今回カースト制度を話題にした理由は、この二十一世紀に米国とイランの停戦交渉が続く中、ロシアの兵隊が50万人亡くなってもロシアとウクライナの戦争は四年以上も続いている。
こんな状況から、二十一世紀の現代は民主主義国家であるか専制主義国家であるかを問わず、どこの国においても程度の差こそあれ、目には見えないカースト制度的なものが生じつつあるような気分になったからである!
仏教がカースト制度を継承しなかった本質的な理由は、バラモン教およびヒンドゥー教とは異なる、その根本的な哲学、社会構造、そして救済論にある!
仏教は、紀元前5世紀頃、バラモン教の祭儀重視の教えに対する批判的な潮流の中で、ブッダによって成立した !
ブッダと同じ頃には、バラモン教の『ヴェーダ』の思想を否定する自由思想家(六師外道)も現れており、当時のインド社会には既存の宗教的権威に対する懐疑的な空気が存在した 。ブッダ自身はクシャトリア階級(王や貴族)に生まれたとされる 。
仏教の根本思想は、人生はすべて苦である(一切皆苦)と捉え、この苦を解決するために四諦(苦、集、滅、道)と八正道(苦の滅を実現する道)を説く点にある !
また、仏教の根本思想の一つに「無我」がある。これは、人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在(アートマン)を否定する思想である !
この「諸法無我」の思想は、カーストにとらわれることなく、各自が自らの行いによって自分を変えていくことができるという、個人の変革の可能性を示唆する力となる 。
さらに、仏教は「すべての人は平等である」と説かれた万人平等の教えであると強調される !
近年の宗教情勢において益々増加しているイスラム教徒であるが、まず強調する「アッラーの前では全ての人間が平等」というイスラム教の考え方は、個人的にはキリスト教からよりも仏教の教えを七世紀初頭において、上手に取り込んだ可能性が高いように思えるのだ。
コーラン(クルアーン)やマホメッド(ムハンマド)の言行では、人種や出自、肌の色、貧富では人の価値は変わらないとされているからである!
なぜ仏教はカースト制度を引き継がなかったのか?
ヒンドゥー教がカースト制度を継承したのに対し、仏教がこれを否定した理由は、両者の根本的な哲学、社会構造、そして救済論において明確な相違に示されている!
それは、具体的には以下のような相違点である!
哲学的な相違点としては、「我(アートマン)」の有無と「ブラフマン」の解釈の違いがある。
バラモン教およびヒンドゥー教では、宇宙の根本原理である「ブラフマン」と個人の本質である「アートマン」の一致(梵我一如)を説く 。アートマンは不変の実体であり、輪廻転生を通じてその魂が次の生(カースト)を決定するという思想が根底にある 。この思想は、現在のカーストを過去の業の結果として正当化し、生まれによる身分を固定化する根拠となった 。
一方、仏教は「無我」の思想を説き、不変の実体としての「我(アートマン)」の存在を否定する 。一切の存在は常に変化し、相互に依存し合う「縁起」の法則に従うと考える。
もし不変の実体としての自己(アートマン)が存在しないならば、その自己が特定の生まれやカーストに固定されるという概念は成り立たない。カースト制度が「生まれながらの属性」に根差すものである以上、「生まれ」の根拠となる不変の自己を否定する「無我」の思想は、カースト制度そのものの哲学的基盤を根本から破壊する。これは、仏教がカースト制度を継承しなかった最も直接的かつ本質的な哲学的理由である!
社会的な相違点としては、祭儀中心主義と出家主義である。
バラモン教は祭儀(ヤジュニャ)が中心であり、バラモン階級が神と人との唯一の仲介者として祭儀を独占し、その権威を確立した 。ヴァルナ制度は、バラモン階級の特権と社会秩序を維持するための基盤として機能した 。ヒンドゥー教では祭司の役割は「儀礼専門職」へと緩やかに転換したが、バラモンの特権は依然として保持された 。バラモン教が「外面的」な祭儀と、それを司る特定の階級(バラモン)に権威の源を置いたため、その階級の特権を維持するための社会構造(カースト)が不可欠であった!
対照的に、仏教はブッダがバラモン教の祭儀の権威を否定し、個人の内面的な努力と実践(四諦八正道)による悟りを重視したのだ 。出家共同体(サンガ)は、カーストに関わらず誰でも入ることができ、身分差別のない平等な共同体として機能した 。仏教は「内面的」な精神の変革と、それを目指す個人の努力に焦点を当てた。この内面化は、外部の社会階層や儀式に依存しない救済の道を可能にし、結果として、カースト制度のような外部的な身分制度を必要とせず、むしろそれを否定する方向へと導いた。サンガは、この内面化された実践が社会的に具現化された「平等な場」であり、カースト制度とは異なる新しい社会モデルを提示したのである!
救済論の相違点としては、生まれによる運命と行為による解脱である!
バラモン教およびヒンドゥー教では、輪廻転生において、現在の生まれ(カースト)は過去の業(カルマ)の結果であるとされ、生まれつきの身分が個人の運命を決定すると考えられた 。解脱(モークシャ)は輪廻からの解放を意味するが、その道筋はカースト制度の枠内で語られることが多かった。ヒンドゥー教ではバクティなど多様な救済の道が生まれたが、カースト制度自体は依然として存在し、その枠組みの中で救済が追求された 。ヒンドゥー教のカルマは「現在のカーストは過去の業の結果」と結びつき、カーストを固定化する根拠となった 。これにより、現世でのカーストは変えられないが、善行によって来世でより良いカーストに生まれるという「希望」を提供し、現状維持を促した。
一方、仏教ではカルマは「行為」そのものを指し、その行為の善悪によって未来が決まるという因果応報の法則を説くが、これは「生まれつきの身分」を固定するものではない 。ブッダは「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンとなるのである」と明確に述べた 。
苦からの解脱(涅槃)は、個人の正しい行いと精神的な修行(八正道)によってのみ達成されるものであり、生まれや身分には関係しない 。仏教はカルマを「個人の自由意志に基づく行為」と捉え、その行為の結果が現在の身分ではなく、精神的な状態や悟りへの進捗に影響するとした。これにより、生まれつきの身分に囚われず、誰もが自らの努力で解脱を目指せるという「普遍的な救済」の道を開き、カースト制度の宗教的根拠を剥奪した!
古代インド社会において、バラモン教から発展したヒンドゥー教がヴァルナ(カースト)制度を基本的に継承した一方で、同時期に成立した仏教がこの制度を継承しなかったという事実は、インド思想史における重要な問いを提起している!
さらに、この問いは二十一世紀に生きる我々人類こそが、マジメにみんなで考えるべき問題に思えてならない!
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