今年2022年は昭和20年の敗戦、即ち1945年の太平洋戦争の敗戦から数えて77年目に当たる。
そして実は、明治維新の1868年から昭和20年1945年の敗戦までもが、丁度同じ年数の77年目だったのである。
明治維新に始まり、日清戦争、日露戦争に勝利した後、太平洋戦争で米国に敗れ去り、あの大日本帝国が滅亡するまでの時間とは、たった77年間のことだっのである!
そんな年回りとなる今年2月、世界中が驚いたロシアのウクライナ侵攻が始まり、悲しくも現在それはまだ続いている。
我が日本は欧米と同じ立場を選び反ロシアの立場にあるが、南アフリカをはじめとする旧植民地諸国の中には、欧米よりもロシアにシンパシーを感じて肩入れする親ロシアの国も多い。
これが正義というものが一筋縄ではいかない、今の世界の複雑で難解な現実の一つである。
こんな今の世界情勢を踏まえ、日本人が忘却の彼方へと忘れ去ろうとしてきた、かつての「満州国」を今もう一度顧みることは、これからの日本人にとって非常に重要な国民的なケーススタディに思えて来るのである。
「満州国」には、1945年に滅亡した我が先輩たちの大日本帝国が夢見た、その見果てぬ夢がすべて凝縮されているのである!
「満州国」とは、1932年から1945年の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国である。
そう、たった13年間だけ存在した国家なのである!
「満州国」は、建国にあたり自らを満州民族と漢民族、蒙古民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人による五族協和と王道楽土を掲げた。 参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
1937年末時点の満洲国の総入口は約3667万人。うち最大多数の漢族が2973万人で全体の81%を占めている。第二位は満洲族でその数は425万人、全体の約12%を占める。第三位は蒙古族で98万人、全体の3%弱。そして第四位は朝鮮族の93万人でこれも3%弱。そして第五位が日本人で42万人と1%強であった。 参照:小林英夫著「満洲の歴史」講談社現代新書
また、「満洲国」は、通常は当時の大日本帝国の傀儡国家と認識されている。
しかし、「満洲国」は当時の他の植民地とは大きく異なり、国際連盟加盟国の約3割の国により承認され、多数の外国領事館も設けられていた事実もある。日本の属国植民地だと一言で簡単に定義できる存在ではなく、むしろ万里の長城より北側に存在した独立国家だと捉えるべきである、という複雑で難解な見方も少数意見ながら存在している。
そんな複雑で難解な見方も踏まえて、当時の「満洲国」を振り返ることの意味とは、複雑に入り組んだ今の国際情勢をいろいろな視点や角度から考える際に、大いに役に立つ国民的ケーススタディだと思えるのである。
それはなによりもまず、「満洲国」とは、我が日本こそが明らかにその主役であったからである。
これは我々日本人が複雑で難解な国際情勢を考える際に、自らが当事者である認識をシッカリとイメージし易いケーススタディであるからだ。
現在の国際連合加盟国数は196ヵ国もあるが、1932年当時の国際連連盟加盟国数は3分の1以下の63ヵ国しかなかった!
これは、1932年当時はアフリカを筆頭に、欧米の宗主国から独立させてもらえない植民地国家が、いかにたくさんあったかという事実の裏返しでもある!
1932年以降、欧米が主導する国際連盟は「満州国」の独立をずっと認めなかった。しかし、一方で「満州国」を独立国家として承認した国が、世界には23ヵ国存在した。
これが、国際連盟加盟国の約3割が承認したという数字の元である。
では、承認したその23ヵ国とはどんな国であったのか、その顔ぶれをシッカリと確認してみよう!
まず一番最初に「満州国」を独立国家として承認したのが、我が日本である。
次が1934年3月にエルサルバドル。
三番目が、1934年4月にバチカン(ローマ教皇庁)。
1937年12月にイタリアとスペイン(フランコ政権)。
1938年5月にドイツ(第三帝国)。
同年10月にポーランド。
1939年1月にハンガリー。
そして、コスタリカ、中華民国南京政府、タイ、ビルマ、フィリピン、蒙古聯合自治政府、自由インド仮政府、クロアチア、スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、デンマーク(ドイツ占領下)、フィンランド、ドミニカ、エストニア、リトアニアという、合計23ヶ国である。
ドイツやイタリアという、日本と同盟関係にあった枢軸国側の国ばかりではなく、カソリックの本山であるバチカンや東欧諸国、南米諸国なども承認していたのである。
こんな複雑で難解な事実も踏まえ、たった13年間の存在であった「満州国」を、もう一度我々日本人が真摯に顧みるべき絶好のタイミングが今だと思えるのだ。
そして「満州国」には、これから益々複雑怪奇化する米中関係の流れに応じて、日本が臨機応変に適切な対応をしていく為のヒントが山積みにされているよう思えるのである!
今こそ「満州国」を、我が日本の国民的なケーススタディとして生かさない手はないのではなかろうか!
〈正史〉と〈叛史〉をつむぐ、すさまじい力業 船戸与一『残夢の骸―満州国演義9―』 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
執筆途中の2012年に船戸与一氏は肺がんであることを公表され、一時はその完結は危ぶまれた。しかし、「満州国演義」完結への執念は、肺がんをもしばし押さえ込んだ。そして、最終巻の第9巻の刊行を見届けた2か月後、2015年4月22日に船戸与一氏は浄土へと旅立たれたのである。
書評|アーロン・S・モーア著 『「大東亜」を建設する 帝国日本の技術とイデオロギー』|メニカン|note
アーロン・モーア氏は、1972年横浜生まれ。
コーネル大学歴史学部Ph.D.アリゾナ州立大学歴史・哲学・宗教学研究学科(歴史学部)准教授。専門は近現代日本史、科学技術史。
なんと悔しいかな惜しいかなアーロン・モーア氏は、47歳という若さで2019年9月8日に急逝された!