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洋の東西を問わず古代社会は「鳥占い」!

我々の「瑞穂の国」は、日本書記の国生みの神話の中に、イザナギとイザナミが夫婦のマグワイの仕方が分からずにいたところにセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る仕草からマグワイの仕方を知ったという伝承を有する国である。

神代の昔から日本人も「鳥占い」を含め、鳥とは密接な関係があったことをよく現わした伝承であろう。

現在、ほとんどの「鳥占い」は消失してしまっているが、それらは文字の中にその姿をとどめている!

甲骨文字を含む漢字学の大家、東洋哲学の巨人である白川静博士は、「中国の文字において、『隹、唯、雖、誰』『應(応)、雁、鷹、䧚(雍)、擁』『雇、顧』『進、津、夼、携(攜)』、『厈、奪、奮』など、その習俗を直接に反映すると思われる多くの文字があることは、鳥の民俗を考える上からも、極めて貴重な資料といわなければならぬ。

そしてそのような習俗は、おそらく遠い無文字時代からあったものが、文字の成立する時期において、そのような観念を含むものとして文字的に形象化されたものであるから、その最古の観念をそこに定着させているものと考えてよい」と語っておられる。

神社の鳥居に関して昨今では、鳥居の起源は中国南部からタイ、ベトナムに分布する越族に求めるとする考え方が主流となっている。以下、鳥越憲三郎の『古代中国と倭族』・『古代朝鮮と倭族』の中ではこんな風に書かれているのだ。

タイ北部の山岳地帯に住むアカ族のロコーンと呼ばれる村の門の上には、数羽の木彫りの鳥が据えられている。また村の周りには結界を意味する注しめなわ連縄が見られる。門柱の根元には裸の祖父・祖母の像が向き合って立っている。これは「鳥居は陰陽交感の表也」に通じている 。

また、朝鮮南部には蘇塗ソッテといって、石を円錐状に積み上げその頂に鳥形の自然石を置く風習が今もなお残っている。また、低い石積みを作って、鳥の形象物を先端につけた木を立てる風習があり、これもまたソッテと呼ばれている。さらに、その低い石積みの上に天下代将軍・地下女将軍と墨書きされた柱が立っており、柱の頂には人面の木彫がある。
日本では、大阪府池上遺跡、山口県宮ケ保遺跡(いずれも弥生時代の遺跡)には木製の鳥形が出土している 。また、奈良県北葛城郡河合町の佐味田宝塚古墳から発見された家屋文鏡には屋根上に鳥がみられる。また、八王子郷土資料館にある家型埴輪の棟飾りに二羽の鳥がみられる。

これらをみると、タイのアカ族と朝鮮南部と日本には鳥の形象物を通して共通の民俗が認められる。アカ族は中国南方から戦禍を逃れて移住してきたといわれ、元は越人であった。

そう「呉越同舟」のことわざの中にある越人である!

「鳥占い」に関しては、「鳥」よりも圧倒的に「隹」字が多く使われる!

「隹」には「進」・「携」・「難」・「應」などがあり、これらは元々「鳥占い」に関わる文字であったものが、それらの祭祀的な意味が捨象されて後の意味に転じたものと思われる。

例えば、「進」の原意は「鳥占い」によって進退を決する意、「携」の原意は外出にあたって「鳥占い」のための鳥を携える意である。

「難」の原意は「鳥占い」において火矢を用いて鳥を驚かせる意、「應」の原意は「鳥占い」によって神意の応徴があることの意である。
このように、「鳥」と「隹」の文字を分類していくと、「隹」を含んだ文字群は、「鳥占い」と極めて関連性が深いということが分かる。一方「鳥」は、主に鳥の種類を表す意符として使われる。

「唯」が「鳥占い」において、神の承諾を得た肯定的神託である「しかり」であるのに対し、「雖」は「実行を保留すべし」という否定的な神の答えを意味する。

その理由は「雖」は「唯」に「虫」が付け加えられるからである。白川博士によると「唯」は巫女が祈るときの祝詞の容器を、口形として加えたものである。

その祝詞が蛇形の呪霊に侵されるときは、「雖いえども」という逆説態となると述べられている。

次に中東の古代メソポタミアであるが、この文明では楔形文字で記録された粘土板が大変有名である。

実はその粘土板に刻まれている内容の大部分は、「鳥占い」に関する文章であったのだ!

メソポタミアの人々は鳥占いが大好きだったようで、かなり体系化された占いの方法論が存在していたようである。その文章には文法的な決まりがあり、それは簡単に言うと「こういうことがあったら、こうなりますよ」という形式で、様々な前兆と出来事が結びつけられていた。

さらに、西洋の古代ローマでは、「鳥占い」がとても重要視されていた!

リーウィウスの 『ローマ建国史』 によれば、ローマ建国の時、都の中心をどこに置くかを「鳥占い」で決めたそうである。

以来、古代ローマの文化において、「鳥占い」は戦争など国家の重要なことを決定するための儀式としてドッシリと定着した!

アウグルと呼ばれる「鳥占い」専門の役人が任命されていたことは有名である。アウグルは鳥の飛び方や数、鳴き声や餌の食いつきなどを観察して読み解き、国事の吉凶を予測したのである。アウグルの仕事のほとんどは「鳥占い」であったので、鳥卜官と日本語訳されるている。

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』セキレイ

参照2:古代中国・日本の鳥占の古俗と漢字  張莉 同志社女子大学現代社会学部・社会システム学科准教授 ( 特別契約教員)

参照3:五十六謀星もっちぃ 鳥占について Jean Botter『最古の宗教 古代メソポタミア』法政大学出版局

1141夜 『稲と鳥と太陽の道』 萩原秀三郎 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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鎌倉殿の13人を超えて「御成敗式目」!

「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」は、鎌倉幕府がスタートして50年程後の1232年(貞永元年)の鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武家政権のための法令(式目)である。「貞永式目(じょうえいしきもく)」とも呼ばれる。
1221年(承久3年)承久の乱の勝利を経て、鎌倉幕府の権力は東国だけでなく西国をも含めた全国に及ぶこととなった。
承久の乱の直後から京の六波羅探題を務めた北条泰時は、「武家」が日本全国を統治する上で、指標となる道徳や倫理観、そして慣習が各地で異なることから、是非とも新たに武家社会、武家政権を統一する為の裁判規範が必要だと考えたのである。

なお、細かなことではあるが1232年(貞永元年)の「泰時消息文」には、はじめ「御成敗式目」を「式条」と呼ばせたが、朝廷の律令をはばかって「式目」と改めたことが記されている。

司馬史観とも呼ばれていた作家の司馬遼太郎さんが確かよく、「今の日本人の考え方の原型が出来たのは鎌倉時代かと思う。」と仰っていたことを思い出す。

そんな思いに浸りながら「御成敗式目」51ヶ条をまた覗いてみると、やはり冒頭の第1条にいつもナルホドと納得するのだ。

第1条「神社を修理し、祭祀を専らにすべき事」の中にあるのが
「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ。」である。

つまり、「人が神様を敬えば敬うほど神様の御威光は増し、そのお陰で人は神様の徳により運に恵まれることになる」とハッキリと法律の一番最初に書いてあるのだ!

幼い頃おばあちゃんからも「神さんはエライんや!ちゃんと拝みや!」と何度も諭されたことを思い出す。

我々日本人がごく自然によく神社仏閣に御参りする習慣があるのは、鎌倉時代に出来た法律「御成敗式目」に今も誠に忠実であるからだと言える。

まさに800年間続く我々日本人の「コンプライアンス遵守」の伝統である!

「御成敗式目」の制定当時、公家には、政治制度を明記した律令が存在していたが、武家を対象とした明確な法令はなかった。
「泰時消息文」によれば、公家法は漢文で記されており難解であるので、武士に分かりやすい文体の法律を作ったとある。

その為、鎌倉幕府が強権をもって法律を制定したというよりも、むしろ御家人の支持を得るために制定した法律という性格を持つのだ。

また、鎌倉幕府制定の法と言っても、それがただちに御家人に有利になるという訳ではなく、訴訟当事者が誰であっても公正に機能するものとした。それにより、武家ではない荘園領主側である公家や寺社にも御成敗式目による訴訟が受け入れられてその一部が公家法などにも取り入れられた。

その結果、なんと「御成敗式目」は鎌倉幕府滅亡後においても、法令としてはずっと有効であり続けたのだ!

この事実こそが、「御成敗式目」第一のスゴミである!

足利尊氏も「御成敗式目」の規定遵守を命令しており、室町幕府において発布された法令、戦国時代に戦国大名が制定した分国法も、「御成敗式目」を改廃するものではなく、追加法令という位置づけであったのだ。
さらに「御成敗式目」は女性が御家人となることを認めており、この規定によって戦国時代には女性の城主が存在し、井伊谷城主の井伊直虎、岩村城主のおつやの方、立花城主の立花誾千代、淀城主の淀殿などが知られることになる。
江戸幕府による「武家諸法度」の施行に至って武士の基本法としての位置づけを譲ることになるが、法令としての有効性には変わりなく、明治時代以降に近代法が成立するまで続いた!

また、広く武家法の基本となっただけでなく、優れた法先例として公家・武家を問わずに有職故実の研究対象とされた(「式目注釈学」)。
もっとスゴイことは、江戸時代には庶民の習字手本として民間にも大いに普及したことだ!

世界中で庶民が「自国の法律」を書き写して文字の練習をした国は、まず日本しかないであろう!

江戸時代後期、江戸の識字率は約80%、ロンドンが約25%、パリが約2%と言われており、ダントツで江戸が世界一だ!

あの黒船のペリーさんも日本人の識字率の高さに、アメリカ人もビックリだったそうである!

蛇足ながら、二日前の12月10日に「旧統一教会 被害者救済法案 」が国会で可決された。

しかし、人にお金をせびる神はどこにもいない!

お金をせびるのは、神の名を利用する我々と同じ人間しかいないのである!

とにかく間違いないことは、神を敬うには、お金ではなく心で敬うことにするのが一番よい方法であると言える!

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』御成敗式目

参照2:コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)御成敗式目(全文)の解説

1804夜 『明恵上人集』 明恵 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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真珠湾攻撃( Attack on Pearl Harbor)&マレー沖海戦(Sinking of Prince of Wales and Repulse)!

1941年12月8日の未明、ハワイの真珠湾攻撃より70分早く、日本軍はタイ国の国境に近い英国領マレーのコタバルに陸軍部隊を上陸させた(大本営もこのコタバル上陸をもって、対英米への宣戦を布告したと報じた)。

真珠湾攻撃( Attack on Pearl Harbor)とは、日本時間1941年(昭和16年)12月8日午前3時20分(ハワイ時間12月7日午前7時50分)。第二次世界大戦において日本海軍が、米国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあった米国海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である。

マレー沖海戦(Sinking of Prince of Wales and Repulse)とは、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)12月10日にマレー半島東方沖で日本海軍の陸上攻撃機と英国海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。日本海軍航空隊が英国東洋艦隊の最新型戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。

航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の事例である!

この1年前の1940年、米国では民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が3選を果たしていた。
1940年の米国大統領選挙において、現職大統領であった民主党のルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目に出馬、それが大きく問題視されていた。
それでも彼は強行に出馬、選挙直前には相手の共和党候補者からルーズベルトが密かに国民を第二次世界大戦に引き込もうとしていると告発された。
ルーズベルトはこれに応えて、「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない!」と公約したのだ!

1914年から1918年にかけて米国からは遥か遠い欧州を主戦場とした第一次世界大戦において、米国にも約12万人もの戦死者が生じた。
その悲しみと一体何の為、誰の為の戦死だったのかとの思いが、米国民衆の心を戦争反対と平和への固い思いへと駆り立てることになっていた。
だからこそ、ルーズベルトはそんな公約をしなければならず、その公約をした彼は見事に大統領3選を実現させた。

しかし、ルーズベルトの本心は欧州を席巻するヒトラーのドイツに宣戦して英国などを救い、同時にアジアにおける日本の勢力をも削いでおくことであったと思われる。

彼にとって極めて重要なことは、米国民衆の戦争反対への固い思いを大転換させる「上手なプロパガンダ」を生み出すことであったはずだ!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』真珠湾攻撃、マレー沖海戦、1940年アメリカ合衆国大統領選挙

1092夜 『日本の失敗』 松本健一 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!

ミッドウェー・3418!

3月10日は東京大空襲の日!

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

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腸脳相関(gut-brain interaction)!

昔から「脳腸相関(brain-gut interaction)」とは、よく言われて来た。
「脳」と「腸」の関係が密接に関係しており、「脳」から「腸」へと「腸」から「脳」へと双方向の関係性も含めて指摘されて来た経緯がある。

それが最近の科学的な考えでは、順番は逆になりつつある。
つまり、「腸脳相関(gut-brain interaction)」なのだ!

そう言えば、「腹に落ちる」「腹を決める」「腹を立てる」「腹に据えかねる」「腹が太い」など、我々日本人は昔から「腹」を使った言葉をホンマにたくさん利用して来たのだ。
これを思うと、ご先祖様たちは「腸脳相関(gut-brain interaction)」の本質を、体験的にシッカリと理解していたように思えるのだ。
うちのお婆ちゃんもよく「お腹を大事にな!」とお腹をさすってくれた。
そうだ、あの寅さんもお腹を大事にして、いつも腹巻をしていた!

腹巻にもご注目!

「脳」は発生学的には「腸から生まれた」と言われる。
「腸」は体の中でもっとも起源が古い器官で、原生生物がはじめに獲得した臓器が「腸」なのである。

あの土の中の「ミミズ」の身体には「脳」も「目」もない、あるのは「腸」だけである!
もっとも、大昔には「ミミズ」にも「脳」や「目」があったが、地中生活に適応するために、「脳」や「目」を捨てて進化したらしいというのだ。

原生生物は、やがて徐々に「腸」周辺に神経細胞をもち、「腸」の動きをコントロールするようになった。
そして、この神経細胞から「脊髄」ができ、さらにそこから「脳」ができたと言われる。
つまり、「脳」は「腸の神経細胞」から「のれん分け」をされたのだ。

だから「腸」が「本家」で「脳」は「分家」である!

我々生物は「脳」を獲得するまでの長い間、ずっと「腸」で生き、「腸」で思考してきたのである!

最近の科学があらためて気付いた、「腸」こそが本家であり、「脳」は分家なのだという考え方を、今や益々大切にすべき人類80億人の時代である。

ご先祖様たちがそのようにと教えて来てくれたように!

参照1:水と健康の情報メディア「脳腸相関とは?脳と腸の関係性について解説」
参照2:漢方のスギヤマ薬局 健康になりたい 「ミミズ」に見る腸の重要性

ほんほん8 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

エムラン・メイヤーの『腸と脳』を読むと、会話は腸内の井戸端会議なんだということが、よくわかる。とのこと(草)

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「サムライブルー」よ11年前の「なでしこジャパン」に続け!

11年前の2011年の女子ワールドカップで「なでしこジャパン」は、アジアの代表として初の優勝を遂げた!
「サムライブルー」には今回の2022年大会において、是非「なでしこジャパン」の偉業を実現して貰いたい!

2011年「なでしこジャパン」は優勝!

11年も「なでしこジャパン」に遅れをとることではあるが、それは許そう「サムライブルー」!

ドイツとスペインを逆転で撃破した「サムライブルー」を目にした韓国も奮起してポルトガルを見事に撃破、ベスト16へと駒を進めた。
同じアジア勢として、また隣国として嬉しい限りである。
是非今回はお互いにベスト8に駒を進め、男子ワールドカップ史上初となるベスト4を目指す日韓戦を実現して貰いたい。

ガンバレ韓国!

優勝せよ「サムライブルー」!
たとえ「なでしこジャパン」の11年遅れでも!

北朝鮮からはまるで花火大会のように、ミサイルを50発以上も打上げられても、毎度「誠に遺憾に存じます」としか言えない存在である今の日本を取り巻く厳しい政治状況!

国民1人当たりGDPでは、既に4年前2018年に韓国に追い抜かれている貧しき我が日本の経済状況!

せめてサッカーの世界だけでも夢を実現させて貰いたい!

食料品などの物価だけは値上げラッシュが続くなか、ひどい円安で益々グローバル的にも貧乏になっている日本国民、特に我々庶民の為に今ただただ優勝を祈るばかりである!

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ピカピカの1年生が40年経って分かった真実!

小学1年生の時から、心の片隅にチョコット引っ掛かったまま、時折思い出してはまたは忘れることにしてきた一つの疑問があった。
それは、小学校1年生の時に教わった漢字「左右」の筆順のことである。
先生は「えーか、左はまず横の一を書いて次にカタカナのノの字を書く、そして中にカタカナのエや!」と仰り、「次に右やが、こっちはまず先にカタカナのノの字を書いて、次に横の一を書くのや。間違えんときや!そして中に口を書くんやで。」と告げられたのであった。

「そんなアホなことなんでせんとアカンの!」と当時ピカピカの1年生は大きなショック受けながら心の中で叫んだのである。
そして信じられないという思いからサット手を挙げ「先生!何で左と右で書き方の順番がそないに違うん。」とお尋ねしたのだ。
先生のお答えは「あのなーこれは昔からそんなふうに決められている。決まりごとやね。」という一言であった。

しかし、それではとても納得は出来なかったのだ。
実は先の幼稚園時代の折は今で言う「月光仮面のマンガオタク」であったことから、両親はもちろん祖母や伯母を含め身近な親しい人には誰彼となく「月光仮面の本読んでー。」とひたすらせがむ幼稚園児だったのだ。
その甲斐?があって、マンガの中のセリフはほぼ読めるようになっていた。
そうなんです!
左右の漢字は、小学校で教えてもらう前から既に読めていたのである。
そんなピカピカの1年生にとって、書いた後での読む人にとっては、左右の筆順の違いなんぞはどちらでもエエのやとしか思えなかったのだ。
そして、その時ハッキリと「どっちでもエエことに悩むのはもう止めや。」と心のなかでスパッリと決め、以後筆順は無視することにしたのである。

そして初志貫徹のまま40年の月日は流れ、四十代も半ばを過ぎた頃、あの甲骨文字を含む漢字学の大家、東洋哲学の巨人である白川静(しらかわしずか)先生を知ったことから、思いもよらぬ展開が待っていたのであった。

なんと左右の漢字の筆順の違いが、どういう理由であったのかというその謎がついに解けたのである!

まさに氷解するとはこのことであった!

古代中国の甲骨文字では、左の元の字はまずアルファベットのUの字を右に傾けて上から下に書き、後にその真ん中を貫いてカタカナのノが入れられていた。エはまだ存在しない。

そして、右の元の字はまずアルファベットのUの字を左に傾けて上から下に書き、後その真ん中を貫いて横に一がやや右下がりに入れられていたのである。口はまだ存在しない。

まるで、自分の左右の手を目の前でハの字にしたカタチそのものなのである。

そう、ピカピカの1年生が40年間無視続けて来た、まさに「昔からの決まりごと」そのものが目の前に現れて来たのであった。そのとおりの筆順であることが、ついに分かった瞬間である。

白川静先生は、およそ3400年前に書かれた漢字の原点である古代中国の甲骨文字の解明をなさる中、漢字にまつわる偉大な発見をいくつもなされて来たのだ。

実は、この古代中国の甲骨文字が研究されるようになったのは清朝末期(1899年)に、中国で遺物の骨に文字が刻まれているのが発見されてからのことである。

つまりは、たった120年ばかり少し前のことなのである!

この甲骨文字が発見されるまで、中国における最古の漢字辞典といえば、「説文解字」(せつもんかいじ)、略して「説文」(せつもん)。それは、後漢の時代西暦100年に許慎(きょしん)によってに書かれたものであった。

しかし、西暦100年の「説文解字」にとっては、その1500年前に存在していた甲骨文字の存在は、もはや歴史の彼方へと消え去って久しいものであった。つまり、漢字の原点である甲骨文字の情報を、許慎は知る由もなかったのである。

甲骨文字の存在すら知り得なかった許慎は、「説文解字」で「告」という字の注解に考えあぐね、「牛が人を後ろからつついている様」というような話を記載している。

一方、甲骨文字の解明を進めた白川静先生は、「告」という字の下の口は元の甲骨文字では、「日」に似た文字でそれは「サイ」と読むべきことを発見された。

「サイ」とは祈りの言葉を印したモノを収める、箱のような入れ物のことを示す。

さらに「告」の上は牛ではなく、祝詞を神様に捧げる時に使う幣、白木の棒などで作った祓串(はらえぐし)のようなモノを示すと発見された。

つまり、白川静先生は、「告」と言う字は「人が祈りを込めた言葉を入れたイレモノをかざして神様に御願いをする様」であるという大発見をされたのである。

従来、単に人の「口」であると思われていた「口」を、「サイ」に読み替えるケースを導入することで、多くの漢字が本来の意味を明確に示すことが分かって来たのだ。

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』説文解字

0987夜 『漢字の世界』 白川静 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさ!

米国における今話題の共和党派と民主党派の過激な論争は、まさに現代の「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさを示す最も分かり易い見本である。
日本でいうならば、安倍元首相暗殺事件や昨夕に起きた社会学者の宮台真司さんの襲撃事件も、明らかに「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさを如実に示すものである。
それは、まるで自分と異なる意見は、間違っており悪いもので無くなってしまえばいいのだと、一方的に決めつける幼稚で利己的かつ独善的な考え方である。
勿論、これには昔と比較してそうなり易い今のネット社会の在り方が大きく影響している。

今は自分のスマホで色々なニュースや情報が手軽に即座に見られる時代、それは見た目にはさもスマートに感じられることであるが、実際にはスマホの画面は既にあなたのお好みの情報に限定されてしまっているケースが多い時代でもある。
本来まともな情報収集とは、個人の好みに合わせたものだけではないはずである。自分に好ましいものもあれば、自分が好きになれないイヤな情報も相当にあるのが当たり前なのである。
ある考え方に容易に染まり易い人たちは、異なる考え方にも配慮するという訓練が足りない、つまり自分とは異なる考えに我慢する力のない修行不足なのだ。
しかし、この「我慢する力の修行」が、今や人類80億人時代を迎えた我々には益々必要不可欠になって来ているのである。
そして、「寛容さの共有」という人類の知恵こそが、異なる考え方に対しても無理なくシナヤカに「我慢する力の修行」を実践させ継続させる原動力となるものなのである。


このように思う時、日本は江戸時代に既に一度「寛容さの共有」の実現に見事に成功した歴史を持つ世界で唯一の国なのである。

それは、ズバリ「大阪のお笑い文化」のことである!

今も日本の都会は人口密度が高いが、江戸時代に経済の中心地であった大阪の人口密度はその都市面積が狭いことから、当時すでに百万人都市であった江戸よりもさらにグッと人口密度は高かったとのことである。
そんな超過密人口の中における「人付き合いのノウハウ」として、大阪という都市が辿り着いたのが「寛容さの共有」であり、その実践ノウハウが「大阪のお笑い文化」であったのだ。
「人間とは皆なかなか我慢ができず、すぐに口論やケンカを始めてしまうもの」との問題提起に対し、その解決法として「大阪のお笑い文化」を生み出し進化させたのである。

「大阪のお笑い文化」は江戸時代に大阪に住んだ人々が、お互いの生活の心地よさ求め合うなかで到達した「寛容さの共有」の権化だったのである!

個人的な思いを言うと、今もし昔の松竹新喜劇のあの藤山寛美さんが現役バリバリでいらして、米国で1年間でも興行が出来たなら、共和党派や民主党派のみなさん共に「大阪のお笑い文化」を学び、互いの論争を今少しは次元の高い内容に高め得るはずだと思うのである。
しかし、それはもう出来ないことである。

せめて今海外へも目を向けて頑張っている大阪の吉本興業さんに「大阪のお笑い文化」のさらなる輸出拡大を期待するばかりである。

お笑いの輸出に関しては、どこの国でも規制されるいわれはないはずだから!

上方と江戸の笑いには違いがある!豪胆にして繊細、落語家・笑福亭純瓶師匠インタビュー | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)

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「安倍元首相暗殺事件」の真相究明はドコへ行った?

マスコミは一体この「異常な重大事件」の真相究明をどう考えているのだろうか?
この事件を発端に火が付いた「旧統一教会問題」は盛んに報道しているが、この事件そのものの真相を追求しようとするマスコミがどこにも見当たらないのだ。
マスコミは我々日本国民をバカにしているのか?それともたんにボケているのか?
このどちらかとしか思えない報道に終始している。

まるで事件の真相は実行犯Aの単独犯行と断定し、その理由は旧統一教会への恨み。
そこに警察当局の警備の不手際が重なりこの事件が起きた。
以上、終わりとでも言えるような報道ぶりである。

しかし、「ギョウザの王将社長暗殺事件」にも見られるように、今頃では暴力団・ヤクザの暗殺事件でさへ、主謀者は実行犯に対して犯行目的や理由などは一切何も伝えることなく、ただシンプルに目的行為の実行だけをやらせるスタイルである。

こんなご時世に、マスコミはせめて「一国の元首相が暗殺されたことの重み」を考慮した報道をなすべきではなかろうか?
ハッキリ言うと、実行犯Aの単独犯行説のみではなく、どこかの大きな組織が仕掛けた組織ぐるみの犯行説も当然検証して報道すべきではないのかということである。

これは流行りの陰謀説で言うのではない、現実に起きた「異常な重大事件」に対する最低限必要な検証の在り方として言っているのである。
例えば、今回の実行犯Aの動機解明のための手掛かりは、まるであらかじめそれらがすべて準備されていたかのようにスイスイと出て来た。
感覚的には、あたかも「1時間モノの刑事ドラマ」を見るがごとくであった。
さらに、ゴルゴ13の読み過ぎやと言われるかも知れないが、安倍元首相が銃撃される直前のニュース動画にはタイミングが良すぎる人物が二人も登場する。
特に直前動画の「台車を押して後ろを横切る男性」などは、まるで実行犯Aの共演者ではないかと見えてしまうのだ。

とにかく、「旧統一教会の問題」が以前から指摘されてきた問題であるのとは異なり、「安倍元首相暗殺事件」こそは今年7月8日に起きた我々国民にとっての「異常な重大事件」なのである。
警察に対しては当たり前であるが、いつも正義の味方を演じるマスコミにも、是非ボケずに他社とは異なる分析の報道を各社各様になすことを期待したい!

そんなマスコミの姿を国民はシッカリと見ている!

安倍元首相銃撃 警備警察官 台車に気を取られ容疑者気付かず|NHK 関西のニュース

安倍元首相を悼んで!

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ジイさんバアさんが支えるニッポン株式市場!

今朝の日経新聞の一面は、「老いるニッポンの株主」とあった。
以前から指摘されて来たことであるが、あらためて調べ直したところ、日本株式を保有する年齢構成は70代以上が40%を上回るとのことであった。
何とジイさんバアさん株主が41%以上なのだそうだ!
若い人はというと、30代の株式保有は58%が米国株、40代でも米国株保有が40%を超えるそうだ。
そして、若い人が米国株を選び、日本株を避ける理由として、日本株が成長力と稼ぐ力の両方で劣っていること、さらに投資の手軽さにも劣るということが指摘されていた。

確かにその通りである。
しかし、オモテナシをよく口にする日本において、どうして投資の手軽さがこれほどに劣る状態がかくも長らく続いているのであろうか?
どうしてニッポン株式市場は、株主に対するオモテナシに精進できていないのだろうか?

老いも若きも米国株!

ニッポン株式市場に「直ちに成長力と稼ぐ力をつけよ!」と言っても、これはすぐには無理な話である。
ところが、オモテナシはそうではない!
例え、成長力や稼ぐ力に劣るニッポン株式市場であっても、オモテナシの改善には直ぐに取り掛かれるはずである。
日本株はまず、オモテナシについての改善を図ることが急務である。

今を時めく米国株のアップルが2万円で株主になれるのに、日本株のユニクロ即ちファーストリテイリングは800万円がないと株主はなれない。
ユニクロのような銘柄、すなわち株主になるのに最低数百万円が必要な値嵩株(ねがさかぶ)は、他にもたくさんあるのがニッポン株式市場である。
このような値嵩株は、言い換えると「貧乏人排除銘柄」と言えよう!

一方、米国株であるアップルは、貧乏人を排除していない!

この両国における彼我の差は一体何なのかと思うとき、やはり真っ先に浮かぶ言葉は「ダイバーシティ」である。

要はシンプルな話である。米国株のアップルはダイバーシティを考慮した株主対策をしていて、日本株の「貧乏人排除銘柄」はダイバーシティを考慮できていないということである。
米国株はシッカリとダイバーシティ政策を、自分たちの経営戦略の中にキチンと落とし込んでいるのである。

日本株のオモテナシの改善と向上には、ダイバーシティを深く考慮し、ダイバーシティを「オモテナシ・ツール」の源泉として本気で活用する覚悟が不可欠なのである!

また、そのことが実行されてこそ、グローバル市場における成長力と稼ぐ力の向上が実現できると確信する。

ニッポン株式市場は、腹をシッカリと括って「ダイバーシティ」をホンマにマジメに内部に取り込むべき時代である!

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人生は旅!

銀杏黄葉(イチョウモミジ)の中で!

明治神宮外苑のシンボルともいえるイチョウ並木、今イチョウ祭りの真っ最中である。
イチョウの木は、東京都のシンボルの木でもある。
昨日はまさに小春日和であったので、近くの善福寺公園のイチョウの大木をまた尋ねてみた。
毎年眺める一番お気に入りのスポットは、50メートルばかり離れた少し小高い場所のベンチ、そこに座って眺めるイチョウの木全体の眺めが大好きなのである。
休日ならばたくさんの人も訪れるが、平日なので人も少なく一人占めとはいかないまでも、それに近い気分に浸れて大満足であった。
そんな銀杏黄葉(いちょうもみじ)の中には、照り映える黄金色の落ち葉の絨毯がまた何とも言えず見事であった。

亡き母が晩年趣味とした絵手紙の中には、毎年秋になると決まって与謝野晶子のこの歌

「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏(イチョウ)ちるなり夕日の岡に」

が添えられていたことを思い出す。

そんな心地よい一時を過ごし、家に帰ってふと思ったのが万葉集ではイチョウはどんな風に詠まれていたのか?ということであった。

万葉人はイチョウの木にどんな思いを寄せたのであろうか?

ネットで調べると、万葉集遊楽というブログには万葉集その二百九十一(ちちの木は銀杏)というこんな解説があった。

古代の人たちは「イチョウ」を「ちち(乳)の木」とよび、乳が十分に出ない母親は子供が健やかに育つよう、この木に祈ったのです。

ちちの実の 父の命(みこと)  ははそ葉の 母の命(みこと)
おほろかに 心尽くして 思ふらむ
その子なれやも ますらをや 空しくあるべき
万葉集巻19-4164 大伴家持

<現代語訳>
チチの実、ははそ葉。
それはわが尊敬する父上、母上の名。
その「ちち」「はは」は、私を懸命に育てて下さいました。
そのような私はそんなに不甲斐ない子でしょうか。
いやいや、そんなことがあろうはずはありません。
ますらをたる者 日々空しくこの世をすごしてよいものでしょうか。
いやいや、そんなことが許されるはずもありません。

https://youtu.be/vHRxK5hKcbU
樹齢1200年と言われるチチイチョウ!

ところが、庭木図鑑 植木ペディアにはこう書かれていた。
日本で見られるイチョウは、中国南東部で生き残っていたものが朝鮮半島を経緯して渡来したものとされる。その時期については、仏教が伝播した飛鳥時代とする説や室町時代とする説があり、特定されていない。

さらに、全日本通訳案内士連盟のホームページではこうあった。
イチョウの木は、日本へは鎌倉時代に伝わったようで、青桐と同じように火に強く、江戸時代には火事に備えて寺や神社によく植えられたために、東京ではイチョウの木が多いのです。

鎌倉の八幡宮のイチョウは、樹齢千年と言われているので、 渡来してすぐ植えられたものと思われます。

中国では建築や彫刻に使われるだけでなく、「頭に良い」と考えられ、その葉が漢方薬として5,000年にわたって利用されてきました。肺の働きを高め、尿のコントロール、体力増強にもよいそうです。また、生命力を支えて いると言われるフラボノイドが豊富に含まれ、老人性痴呆症予防、記憶力維持に効果があるということが明らかになっています。

ドイツやフランスでは、イチョウの葉エキスが30年以上も前に医薬品として認可され、痴呆症の治療に使われて成果をあげているとのことです。
ドイツ人の医者、植物学者、旅行家であるエンゲルベルト・ケンペルが、長崎を訪れ(1690-1692)そこで初めてイチョウの木を見ました。彼は、将軍綱吉に会うため2回箱根を越えた際、箱根の自然を本に書いて 世界に紹介した人でもあります。彼の手書きの草稿は、その後、大英博物館が購入し、今はそこに保存されて います。彼は日本のイチョウの種を持ち帰って、オランダのユトレヒトの植物園に植えました。その木は現在でも 残っているそうですが、ここからヨーロッパ中にイチョウの木が広まっていったのです。ヨーロッパにある イチョウの木が、日本のイチョウの種から生まれたなんて、知らない人も多いのではないでしょうか?
イチョウの木は18世紀の中ごろドイツに移植されました。1815年、ゲーテ66歳の時に書いた有名な詩があります。

 これは 東洋からやってきて 私の庭に植えられた木の葉です
  (中略)
 もともと1枚の葉が裂かれて2枚になったのでしょうか
 それとも2枚の葉が相手を見つけて1枚になったのでしょうか
 私は1枚の葉であり あなたと結ばれていることを
 あなたはお気づきになりませんか

ゲーテは、2枚の葉が割れて1枚につながっているイチョウの葉を男女の愛の象徴とみました。彼は、ハイデルベルグの古城の庭にあった1枚のイチョウの葉をつけて、愛する女性に詩を贈ったのです。
当時は珍しいエキゾチックな木だったのでしょう。

結局、イチョウがいつから日本に存在するのかはハッキリとは解明されていないことが分かった。

しかし、そんなことは銀杏黄葉(イチョウモミジ)の中では、どうでもよいことだけは間違いなしである!

「しぐれつつ留守守(も)る神の銀杏かな」高浜虚子

1597夜 『虚子五句集』 高浜虚子 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)


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