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日銀と海外ヘッジファンド勝負の行方は!

昨日1月18日の決定会合において、日銀は引き続き現状維持の長期金利上限0.50%を決めた!
日本の国債をドンとカラ売りしている海外ヘッジファンド勢が、今回日銀はさらに金利引上げへと動くと大いに期待していたにもかかわらずである。
自分たちの考えこそが合理的なのだとの思いの強い、海外ヘッジファンド勢は今後もまだまだ日本国債のカラ売りを継続させることではあろう。
「イングランド銀行を打ち負かした男!」(The Man Who Broke the Bank of England) ジョージ・ソロスを連想する連中も多いかとも想像する。

英国通貨ポンドを売り続けたソロス対自国通貨ポンドを買い続けた中央銀行イングランド銀行の戦いの結末である。

しかし、あの1992年9月16日当時のイングランド銀行には明確に「ユーロ」という誠にキツイ「縛り」が存在していた。ジョージ・ソロスはその「縛り」をまさに突き、一撃を加えて勝利したのである。

その一晩だけで、ソロスは10億ドル儲けたそうだ!

その出来事が生じる以前の1992年2月7日には、単一通貨「ユーロ」を目指す欧州連合の創設を定めた条約、マーストリヒト条約が欧州諸国加盟国において既に調印されていたのだ。

一方、今の日銀を取り巻く環境をつらつら眺めてみると、巷では政策に対する様々な批判もあるが、1992年当時のイングランド銀行のような「縛り」はどこにも存在しない。

現在、国債の発行残高は約1000兆円であるが、その内半分以上の557兆円(2023年1月10日時点)は日銀が保有しているのである。

営業毎旬報告(1月10日現在) : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

こんな中央銀行は、他の先進諸国には存在しない。

これは喜んでいいのか嘆くべきなのか、普通の日本人の多くにとっては実に分かりにくいのが現状でもある。

黒田総裁の任期も残り三カ月もない、今年4月8日迄である。

新しく総裁になられる方が、黒田総裁の如く腹の座った方であれば、日銀はイングランド銀行の二の舞となる可能性は低いように思える。

既に500兆円以上買っているのだから、1000兆円くらいはきっと気合で買えるはずだ!

次の日銀総裁にもフレー フレー!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジョージ・ソロス

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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや!

知る人ぞしる戦後歌壇の異才・寺山修司の昭和の代表作である!

令和の今「マッチ」という言葉に対する人々の感覚が、昭和の時代からはほど遠くなっていることが少し残念である。

しかし、今も実際に戦っているウクライナやロシアには、きっとこの歌のような切実な思いに悩む人々が数多いることは間違いないであろう!

プーチン大統領に是非プレゼントしたくなる歌である!

たった三十一文字の中に、人それぞれに浮かび上がってくるドラマがある。この歌はとりわけ、人それぞれに各人各様の具体的なイメージを見事に膨らませてくれる。

まるで自分がこの歌の主人公になった気にさせてくれる!

昨年二月にロシアがウクライナに侵攻し、取り繕いながらも何とか77年間続いて来た「おおよそ世界は平和な時代」は終わりを告げた。

そして、我国周辺では中国の台湾問題が日々緊張を増している。

日本の防衛費も、戦後78年間ずっと縛り続けて来たGDPの1%から2%へと倍増させる方向にある、今こそ平和な日本においてもあらためて読み直し味合うべき歌であろう!

寺山修司が「身捨つるほどの祖国」と詠んだ背景には、大日本帝国のためと信じて戦い死んでいった父の姿があるという。

終戦直後、寺山は満10歳という少年であった。
しかし、早熟であった少年・寺山は「祖国とはなんなのか」「父の死の意味とは」「自分のあり方とは」と様々な自問自答が脳裏に満ち溢れていたことであろう。
ただ、もう一方で、寺山自身がこの歌の創作過程について触れている内容を読むとまた違った見解もできるという。
寺山の自伝抄『消しゴム』によると、横浜のチャイナタウンで知り合った42歳の中国人・李と並んで眺めた光景がこの歌のきっかけだというのだ。
寺山は当時23歳、三年間の入院生活を追え、生活のため電話番やポーカーディーラーの仕事についていた。二人は仕事の合間に横浜の海を見に行くのだが、その晩は霧が深くお互い黙って「べつべつの海」を眺めていたと述べ、その時に作った歌だと述べている。
「わたし」だけでなく、国籍が異なるもう一人の登場人物によって、「身を捨つるほどの祖国」にはこれからの日本の舵取りへの憂いだけでなく、中国に残してきた42歳の中国人・李の家族への心配も含まれるようになる。
ただし、寺山は自身の過去でさえも虚構化することから、この話も創作である可能性は否めない。

参照1:短歌の教科書|短歌の作り方・有名短歌の解説サイト (tanka-textbook.com)

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

ヒトラーやスターリンが互いを嘲笑し合う映画「独裁者たちのとき」!

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岸田政権支持率UPの秘策とは!

昨日はワシントンで米国のバイデン大統領とも会談を行った岸田首相の支持率が低迷している。

1月10日のNHKの世論調査によると、支持率は先月の調査よりさらに3ポイント下がって33%という厳しい数字である。

ある直近の新聞報道では、米国のある政府高官から来年の日本の首相は誰だと思うかと尋ねられたとあった。

そこで、岸田政権支持率UPの秘策を提案したい!

それは、ズバリ時代に適した国民栄誉賞の贈呈である!

今こそ、アフガン復興に生涯を捧げ3年前にテロにて暗殺された医師の中村哲さん、そして昨年の10月に逝かれたアントニオ猪木さん、さらに昨年「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞を受賞された眼科医の服部匡志さん、この御三方に国民栄誉賞をお送りするのである!

米国にハシゴを外されアフガンは、あっという間に元の木阿弥、またタリバン国家に戻ってしまい、特に女性方が今大変厳しい状況にある。

なお、その際の米国の杜撰なアフガン撤退がプーチン大統領のウクライナ侵攻をもたらした可能性は極めて高い!

そんなアフガンの人々に対して、中村哲さんへの国民栄誉賞は「日本はアフガンの人々のことを決して忘れてはいないのだ!」という強いメッセージとなるはずである!

皆さんよく御存知の「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは、史上初めてプロレスラー出身として参議院議員に当選、イラク人質事件や北朝鮮を訪問しての異色の独自外交も展開された!

「燃える闘魂」への国民栄誉賞は、老若男女の多くのファンが強く支持すること間違いなしである!

マグサイサイ賞を受賞された服部匡志さんは、ベトナムで貧しく白内障などの治療が受けられずに、失明してしまう人々を救う為、20年間にわたり私財まで投じて手術や治療を無償で行い、さらに高度な手術を行える眼科医の育成にも力を尽くされてきた。

服部匡志さんへの国民栄誉賞は、今後日本の医学会がさらに本格的にグローバルな医学貢献を行うことへの指針となり、アジアにおける日本の医療貢献への期待をアジア各国に大いにもたらすものである!

WHOによると日本の人口1千人あたりの医師数は2.297人で、世界ランキングの順位は55位とある。医師数を倍増すればロシアを抜いて世界7位となる。

御三方への国民栄誉賞の贈呈奨励に際し、岸田政権のみなさんへ「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが愛した詩である「道」をお送りしたい!

この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、

危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、

その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。

<オマケの一節>

迷わず出せよ 国民栄誉賞を 出せばわかるさ!

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シャルギー(東洋人)!

2018年には日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルが、この『シャルギー(東洋人)』である。

1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあり、西側諸国から見ると多くの問題を抱えている。しかし、こんな映画を製作する外交的センスを目の当たりにすると、やはり歴史ある大国であることを実感せざるを得ない。

是非とも日本の外交筋には、爪の垢を煎じてガブ飲みして貰いたくなる!

この映画の主人公である井筒俊彦は、30以上もの言語を流暢に操った天才言語学者であり、東洋人で初めてイラン王立研究所教授として現地で講義を行ったイスラーム学者。さらに東洋思想研究者であり、神秘主義哲学者でもあった大先生である!

1993年(平成5年)に79歳で亡くなられたが、イラン及びイスラームの世界を中心に今も尊敬され続けている。

東西の知を操る異才 井筒俊彦:[慶應義塾] (keio.ac.jp)

個人的に井筒俊彦を知ったのは、30年ばかり前に司馬遼太郎との対談を読み何度も驚いてからである。

あの辛口の司馬遼太郎が対談冒頭に、「二十人ぐらいの天才が一人になっているような方」と語り、挨拶して平身低頭しているのがまず最初の驚きであった!

対談の中で今でも記憶に鮮烈に残っている話は、よくテレビに映像が出てくる東京裁判の1シーンで、あの東条英機の頭を後ろからポカリと殴る大川周明とも関わる話である。

勿論戦前の話で、1939年(昭和14年)に当時二十代半ばのヤングであった井筒俊彦が法政大学教授でもあった大川周明から亡命イラン人を東京で匿う手助けを頼まれ、イスラームの大学者と接した折の逸話である。

井筒が驚いたのは、その大先生が「おまえはなかなかよく勉強しているが、読んだ本はどうしているのか?どこか他の地へ行かねばならない時に本はどうするのか?」と尋ねられたのだ。

井筒は「取り合えず必要な本だけは持って参ります。」と答えると、大先生はさらに「火事で燃えたらどうするのか?」とまたお尋ねになったのである。

たまりかねた井筒は、大先生に「それでは先生御自身は読まれた本はどのようになされているのですか?」とお尋ねした!

先生の御答えは極めてシンプルかつ明快であった!

「読んだ本はすべて頭の中に記憶してある!」

「イスラーム学者として至極当然のことである!」

これにはさすがの後の大天才、井筒俊彦も驚愕したそうである。

シャルギー(東洋人)』は、イスラム学者井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれた。制作・脚本・監督はマスウード・ターヘリー。

本作の目的は、井筒俊彦の研究をより客観的な立場から紹介し、制作を通じて文化交流を行うことにあった。

映画の企画は2015年2月に開始された。撮影は2015年9月から2017年5月までかかり、移動距離14万2千キロにも及んだ。挿入曲は今回のドキュメンタリーのためにオリジナル曲が用意され、2016年5月から制作が開始、公開直前まで調整が続いた。

映像資料が効果的なくだりは、イラン時代の井筒俊彦の資料やイラン革命を実体験しながら井筒が現実世界と政治に関心を持ち遍歴を重ねる姿だ。

この姿は日本社会一般ではこれまであまり知られなかった。場面の中にはイスラームの神輿と日本の祭のそれがどこか似ているといった描写まで登場する。このドキュメンタリーはグローバル化が進む日本のイスラームとの対話にとって大きな存在となるだろう。

日本ではイスラーム研究そのものが社会一般においてまだまだ知られていないことから、井筒俊彦の構想した世界とそのテクストの重要性・意義が認識されないところがある。

井筒の業績や学才の恩恵に早い段階からあやかったのはイランをはじめイスラーム圏であり、その重要性を彼の地では早くから指摘されてきた。
イスラームからみた東洋はインドや中国・韓国・日本なども含まれている。優れた西欧の東洋研究者たちとも全くひけをとらないイスラーム研究者が日本から出て来たこと、そしてその人物が西洋・イスラーム・東洋を橋渡しするようなモデルを構築したことの意義はしっかりと評価されるべきだろう。

現代日本はAI時代になっている。井筒哲学を人工知能的にモデル化・形式化する試みもすでにこの国からはじまっている。現代文明を読み解く上で1つの大きなベースとして井筒俊彦を捉え、そこから得たものをマルチメディアな現代の中で描くのがこれからの我々に求められていることだろう。

井筒俊彦や大川周明がシュタイナーに興味を持っていたこと、子ども時代に禅を親から学んだ井筒と大家の鈴木大拙、鈴木の妻で神智学徒だったビアトリスらによる近代日本の精神史の深層といった興味深いテーマも日本から掘り起こしがはじまっている。この映画の発表によってさらに新たな展開が世界的に予想される。
参照:neoneo編集室【Review】ドキュメンタリーが示す新たな井筒俊彦とその可能性 text 吉田悠樹彦

余談ではあるが、井筒俊彦が恩師である西脇順三郎はあくまでも「学問」の師であると強調しているのは興味深い。分厚い英語辞書を丸暗記し、覚えたところは破いて捨てろという師、「私も語学が好きですから、やれといわれればやるけれども」という弟子。西脇順三郎の指導は、経験的かつ「厳格そのもの」だったと井筒俊彦は書いている。

井筒俊彦は英文学研究の道には進まず、西脇順三郎の専門領域を引き継ぐことはなかった。「学者にはなりたい、だがいわゆる『専門家』にだけはなるまい、とひそかに思い決めたのは学生時代」(「道程」)だったいうからここに、学問への態度は当時すでに決せられていたといっていい。言語哲学、ギリシャ神秘思想史、ロシア文学と、一見無秩序な講義の開講を許されたのも、西脇門下ゆえだった。

後年、西脇順三郎は「言語学概論」の講座を井筒俊彦に委譲する。しかし、従来の言語学も井筒俊彦の専門にはならなかった。井筒俊彦がいう「コトバ」とは、言語学のいう言葉ではない。形而上学でいう存在、すなわち万物の実在を規定するもの。西脇順三郎から伝授されたのは、学説ではなく、「コトバ」の系譜、すなわち存在の根源への追究である。「思えばずいぶん出発点から離れ、西脇先生の世界から遠ざかってしまったものだ。だが、コトバに対する関心だけは、始終守り続けてきた。コトバにたいする、やむにやまれぬこの主体的関心の烈しさを通じて、結局、私は今でも西脇先生の門下生の一人なのだ、と思う。他人(はた)が私をどう見るかは知らない。自分では、そうだと思っている」。(「西脇先生と言語学と私」)と井筒俊彦は書いている。

西脇順三郎は、ある詩集の序文で、内なる自己を「幻影の人」と呼んだ。
生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決できない割り切れない人間がいる。 これを自分は、「幻影の人」と呼びまた、永劫の旅人とも考える。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去っていく。この人間は「原始人」以前の人間の奇蹟的に残っている追憶であろう。永劫の世界により近い人間の思い出だろう。(『旅人かへらず』はしがき)

「幻影の人」に思いを馳せるとき、この詩人の実相とともに、井筒俊彦が、西脇順三郎だけを「師」と呼ぶ理由を垣間見ることができるのかもしれない。ヘラクレイトスを論じ、「彼は存在の動的実相を説く哲学者であると同時に、万象転変を歎く憂愁の詩人でもあった」(『神秘哲学』)と、井筒俊彦はいった。詩と哲学が不可分な実在。真実の詩人は永遠の「哲学」を歌う。西脇順三郎はそうした詩人だった。
参照:西脇順三郎 | 特設サイト「井筒俊彦入門」 – 慶應義塾大学

参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シャルギー(東洋人)、井筒俊彦、大川周明

1773夜 『神秘哲学』 井筒俊彦 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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こども家庭庁に望むこと!

今年2023年4月1日からこども家庭庁がスタートする。
そこであらためて内閣官房の資料を眺めてみた!
2021年(令和3年) 11月 29日付のこども政策の推進に係る有識者会議の報告書の中に以下こんな一文があった。

『待ちの支援から、予防的な関わりを強化するとともに、必要なこども・家庭に支援が確実に届くようプッシュ型支援、アウトリーチ型支援に転換 !

これまでの支援の多くは、専門家の配置や相談窓口の開設といった、施設型、来訪型の支援となっている。多くは、こどもや家族の自発的な相談行動や申請を支援の前提としているが、支援が必要なこどもや家族ほどSOSを発すること自体が困難であったり、相談支援の情報を知らなかったり、知っていたとしても申請が複雑で難しいといった課題がある。

来ることを待っていては、本来支援が必要なこどもや家族にアプローチすることは難しい。また、困難が生じてから対処するだけではなく、そもそも困難が生じることを未然に防ぐための予防的関わりを行うことで、将来生じ得る社会コストを減少させることなどの効果にもかんがみ、全てのこどもと家庭を対象とした予防的な支援を重視し、充実させていくことが重要である。』

まさに従来のお役所仕事の欠点を総括した一文である!

ただ、さらに踏み込むべきことを望みたい!

それは、「予防的な関わりを強化する」に留めるのではなく、そもそも「予防的な関わりをメインの仕事とする」ことである!

このように断言するのは、7年前のNHKの特集番組「ママたちが非常事態!?」の中で「人間の子育ての進化」を見て、ナルホドそうだったのかーと目からウロコとなったからである!

その理由は、なぜ人間は毎年こどもを生むことができるように進化したのかについて明快なコメントがあったからである。

進化した人間の子育ては、元々周りの多くの人から支援を受けることを前提に進化したというのである!

余談ではあるが、人類に極めて近いチンパンジーの子育ては、主に母親のみが約5年間子育てに専念するとのこと。また、母親はその間はオスとの関係は持たないとのことである。

NHKスペシャル ママたちが非常事態!? ~最新科学で迫るニッポンの子育て~

今の日本で周りの社会から孤立状態になった子育て中のお母さんが、色々な問題を抱えてしまうのはムシロ当然の結果なのである!

こども家庭庁は、母親が母子手帳を受け取る際に、各自治体等のスタッフも含めて最低3名程度の身近な支援者を母子手帳にキチンと登録し「こども家庭庁自らが直接管理する」ことを義務化すべきである!

ITがこれだけ進化した今の時代、本当にこどもたちを、国の宝と考えるならば当たり前のことである!

大いにAIも駆使すべし!

マイナンバーカードなどよりもさらに優先してやるべし!

こども家庭庁とは?目的や組織概要、最新情報、メリット・デメリットも – SDGsメディア『Spaceship Earth(スペースシップ・アース)』

天下の新居関所の前にOHANA PARK(オハナパーク)!

こどもホスピスを全国津々浦々に!

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江戸のお寺の内部事情!

大河ドラマ「どうする家康」も昨日から始まりましたが、御存知のように「江戸」はその徳川家康が、地方の粗末な城下町をあらためてデザインし直し、大改造して生まれた都市です!

江戸時代中期、江戸の人口は、武士が約70万人、町人が約50万人、僧侶など宗教者も含めると軽く100万人を超しており、世界的にも最大規模の都市でありました。

その頃のロンドンの人口が約85万人、パリが約55万人、そして中国当時は清朝の北京と広州が共に100万人程度と言われています。

同じ頃の国内の大都市である大坂や京都の人口が、概ね30万から40万人(元禄期)ですから、江戸を語る上でこの人口の巨大さは重要なポイントです。

巨大な人口の維持には、誠に膨大な物資を必要とします!

江戸は、「人」と「物」がドンドンと集まることで次第に巨大な「消費都市」になったのです。さらにその消費を支えるために「生産都市」としての性格も強めていきます。こうしたことが江戸の独特な気質や特色を生み、「化政文化」などの江戸文化を発展させました。

一方、多くの人々が集まって住めば、その「精神面を支える装置」もまた必要になります。それが宗教や文化です。特に宗教には「死にまつわる不安を和らげ、来世の保証をしてほしい(来世安穏)」「生きている間の願いを叶えてほしい(現世利益)」という期待が寄せられます。江戸幕府の宗教政策から、それらは主に仏教に求められました。

そうしたさまざまな願いに応じるため、江戸には新たに多数の寺院が建立されました。幕府は、江戸を含め全国の寺院統制を寺社奉行や各宗の触頭(ふれがしら)を中心に行っていきました。

ですから、江戸には先のような庶民の信仰を引き受ける寺院だけでなく、「寺院行政の為のみに関わるような寺院」も設けられました。このことは、多くの寺院が存在する京都とは異なる江戸の寺院の特色といえます!

触頭(ふれがしら)とは、江戸時代に幕府や藩の寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のこと。本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行いました。

室町幕府の時代に僧録が設置され、諸国においても大名が類似の組織をおいて支配下の寺院の統制を行ったのが由来であります。1635年(寛永13年)に江戸幕府が寺社奉行を設置すると、各宗派は江戸もしくはその周辺に触頭(ふれがしら)寺院を設置した。「浄土宗」では増上寺、「浄土真宗」では浅草本願寺・築地本願寺、「曹洞宗」では関三刹(栃木県の大中寺、千葉県の総寧寺、埼玉県の龍穏寺)が触頭寺院に相当し、幕藩体制における寺院・僧侶統制の一端を担った。触頭には、全国の寺院や僧侶から出される各種の請願にともなう、いわば「寺務取扱手数料」としての礼録・冥加料等(一件ごとの額は差程ではないでしょうが)の収入がもたらされた。

余談ですが、このような江戸幕府と仏教界とのWINーWIN関係も踏まえ、明治維新の際に明治新政府は神道の国教化政策に舵を切り、1868年(明治元年3月)神社から仏教的な要素を排除しようと神仏分離政策である「神仏分離令」を出します。

「江戸の寺院の様子とは?」

仏教の信仰は、大きく二つに分けられると思います。葬儀・法事という死に関わる「滅罪」と、現世の願いを叶える「祈祷」です。

江戸では(江戸に限りませんが)、僧侶は人々の願いに応じてさまざまな宗教行為をしています。しかし当時の人々は「滅罪」と「祈祷」とは一つの寺院ではなく、別々の寺院に依頼することがごく普通でした。

例えば将軍家の菩提寺は増上寺(浄土宗)や寛永寺(天台宗)ですが、増上寺では「滅罪」の行為は行っても決して「祈祷」はしません!

将軍家の諸願を叶える祈祷行為は、「護持院(知足院を改称)」が中心になっていました!

庶民も宗門改め制度により特定の菩提寺をもっていましたが、同時に祈祷檀那として祈祷だけを依頼する寺院をもつことが一般的でした。

「江戸町人の宗教意識の特色とは?」

江戸町人が抱いていた宗教意識の特色をまとめると次のようなことがいえます。
①幕府は、禁止しているキリスト教や不受布施派(日蓮宗の中の一派)に属さないように、宗門改め制度によって日本人全てが何れかの宗派寺院の檀徒になることを強制した。宗門改めは家単位で行うため、一個人が特定の宗派・寺院を選択する余地はほとんどなかった。このため宗教行為は滅罪行為を中心に慣習化し、菩提寺との関係は形骸化していった。

②近世、江戸時代の人々は、中世に比べて、現世を謳歌する傾向が強まった。信仰面では、菩提寺を介する「滅罪」行為は習俗的な慣行として一層定着はしたが、菩提寺を介さない「現世利益」を追求する信仰が非常に高揚した。特に江戸などの大都市の町人にその傾向が強い。

③特定の寺院や霊場を参詣する信仰の旅が大いに盛行した(成田詣・大山詣、西国や坂東などの観音札所巡りなど)。

また、一方では全国の著名な寺院が、霊験あらたかな本尊や宝物類を江戸に運び、回向院や護国寺などの境内で参拝させる出開帳が頻繁に行われた。今で言えば大フェスティバルの開催である。出開帳には出店が立ち、催し物や興行があるなど、信仰と娯楽がセットになっており、江戸町人の大人気を博した。

例えば、成田山新勝寺は1703年(元禄16年)の夏に初めて江戸深川の永代寺(えいたいじ)で出開帳を開催し人気を高めた。さらに時を同じくして、歌舞伎の市川團十郎と九蔵の親子が、祈願により子を授かった実体験を元にした演目「成田山分身不動」を上演して大当たり。こうして、「成田詣」は江戸庶民から不動の人気を得ることとなった。

「江戸寺院の経済基盤とは?」

江戸寺院の経済基盤は、大きく二つに分かれる。一つは「土地経済」、もう一つは「布施経済」。これは土地収入・布施収入ともいえる。

「土地経済」とは、いわゆる田畑や借地など土地から得る収入です。将軍や大名から寺院に寄進された「朱印地」や「黒印地」、あるいは「除地」とされ田畑は、年貢・公租類は免除され、それは全てが寺院の収入になった。また、年貢のかかる田畑を農民に貸して得る小作料や、門前町地を貸して得られる借地代も重要であった。
一方、「布施経済」とは、檀家さんの葬儀・法事などの布施、そして祈祷料のことである。江戸の寺院は、布施に頼る寺院が多かったと思われるが、土地・布施のどちらか一方からというのではなく、複合的になっている寺院も少なくなかったはずである。

参照1:総本山智積院 愛宕薬師フォーラム 愛宕 真福寺 江戸の寺院を知る 講師:大正大学文学部教授 坂本 正仁 先生

参照2:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)触頭

参照3:まっぷるトラベルガイド編集部 成田山新勝寺の人気の秘密

1185夜 『廃仏毀釈百年』 佐伯恵達 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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サイバー戦争と日本国憲法!

日本国憲法による制約もあって、日本はサイバー戦争への対応が現在も遅れたままにある。というような言い訳を耳にすると、誠に情けなくなる!

日本国憲法も自衛権はハッキリと認めているではないか!

それにも関わらず、今の日本の状況では、どこかの国がサイバー攻撃を仕掛けて来ても、それが一体どこの国なのかということを正確に認識する能力はないそうだ!
攻めて来ている相手が一体誰なのかを特定できないということは、当然自衛することさへ不可能だということである!

今年9月に中国とロシアが合同演習を行った際に、日本はロシアからのサイバー攻撃を受けていたにも関わらず、日本自らはまったく気が付かなかったそうである。
なぜこんな状態をわざと日本は長らく維持しているのであろうか?

確かにカタチの上では自衛隊には、サイバー防衛隊が2014年から既に今日まで8年間も存在はしている。

しかし、自衛権に最低必要となる機能が果たせていないのが今の明白な現実である。

防衛省・自衛隊:自衛隊のサイバー攻撃への対応について|防衛省・自衛隊の『ここが知りたい!』 (archive.org)

ただ単に、サイバー戦争への対応などはその最先端の同盟国である米国に任せておけばそれで良しと考えて来たのであろうか?
もし、そうであれば軍事の素人が考えても、常識ではあり得ないお粗末極まりない対応である。
サイバー攻撃の怖さについては、素人でも少なくとも10年以上前から既に知っている話である。

この日本という国は、こんな素人でも分かる話ですら、「ホントは真剣にヤル気はありません!」という本音の言葉を、失われた10年とか20年という「言葉のマジック」でまたもや誤魔化すつもりなのであろうか?

いや、もうそれは止めにしよう!

せめて日本国憲法が認める「自衛権」をサイバー戦争においても、まずは実現出来るようホンマにマジでやろう!

さらに言うと、今から76年前の1946年11月に公布された日本国憲法が、サイバー戦争を想定していたと誰が思うのか?

それこそ、サイバー戦争は日本国憲法にとっては「想定外」のはずである!

そもそも日本国憲法が想定もしていなかったであろう、サイバー戦争への対応を、その日本国憲法に則って対応することなど元々不可能な話である。

現実的にサイバー戦争に対して出来ることは、せいぜい日本国憲法の精神を尊重することぐらいしかないはずである。

当事者である防衛省も勿論問題ではあるが、政権与党の政治家たちの「この問題」に対する、これまでの「難しいので何もしない、関わりたくないので触らない」という怠慢極まりない対応状況は更に深刻な問題である!

旧統一教会問題などで狼狽え、いつまでもボーット思考停止している時間はないのだ!

なお、マスコミもまったく同罪である。つい先日のある大新聞の記事に、中国のサイバー部隊の規模について17万5千人程度とあった。

中国のサイバー部隊は、7年前の2015年に既に17万5千人規模と言われていたのにもかかわらずである!

今では少なくとも30万人位の規模でもおかしくはない!

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エリザベス女王の後を追うように愛犬ナナも逝く!

年の瀬も迫り今年も残り僅かになったことから、いろいろな思い出が頭の中をグルグルとしていたが、しっかりと愛犬への思いを整理することとした!

今年2022年9月9日にはエリザベス女王が御逝去!
その三日後の9月12日に当ブログのアイコンである愛犬ナナも後を追うように逝ったのである、まさに大往生であった!
前日もいつものようにトイレは庭でさせてよねと要求し、さすがに大小ともに僅かではあったがキチンと用は足したのである。
ナナを元気な時のイメージで座らせるスタイルで用を足させる為、お腹をさすりつつ我が両手で優しく支えるのである。
この一年半寝たきり状態であったが、ベッドでのトイレをいつも嫌がった!プライド高きナナちゃんであった!
お陰でこの夏も、我が両腕は蚊に刺され放題であった!

今年もお花見で大好きなサクラを堪能しました!

実はその一月程前の8月2日にはナナより一歳若いミミーゴこと愛犬ミミが腎不全により逝った。
ミミは身軽で敏捷にて牛若丸の如きジャンプをするスゴイおてんば娘であった!
そのミミも老いてゆっくりと歩くのがせいぜいとなってはいたが、まさかナナよりも先に逝くとは思ってもいなかった!

さらに思い出すと、もう二年以上前となる2020年の節分には伊達男?の愛犬ルーカスが逝った。
実にりっぱな男?らしい最後であった!
だんだん食べることが難しくなっていたが、亡くなる前日も家の庭の中をシッカリと優雅に散歩をしたのである!
そんなルーカスがまさか翌日眠るように逝くとは思ってもいなかった!

ナナ、ミミ、ルーカスみんな20年近く共に過ごした我が家族である。
しかし、5歳で誤診により逝った愛犬メルとは違い、それなりの大往生であったことには救われる思いである!

今では愛犬クロことクロムェルが一人?ぼっちになり、時折寂しそうな表情を見せている。まるで「どうしてボク一人なの?みんなどこに行ってるのかな?」と言いたそうな顔をするのである!走るのが大好きな子であったが、今は腰を痛めてヨチヨチ歩きしか出来ない、この子も20年近くとなる家族である。

こんな思いを巡らせると、30年近く前に最初に我家のワンコとなった愛犬ココのことも思い浮かんで来る。

ココを飼い始めた頃、運転はあまり好きな方ではないが、初めて新車を購入した嬉しさから、東京と田舎の間を運転し人生で初めて東名高速道路を往復した。

往きの道ではココだけが同乗していたことが今では懐かしい!

ありがとさんワンコたち!

犬は人間の最も古い「親友」 DNAから判明 – BBCニュース

日本のワンコ!

きつかったペットロス!

いのり・祈り・Prayer!

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いのり・祈り・Prayer!

人は手を合わせ祈る、人はなぜ祈り、祈りは何をもたらすのか?

そんなことを思った時、自分のことを振り返れば、正月の初詣でこそキチンと手を合わせるが、その他はもっぱら困った時の神頼みである。

しかし今年はロシアのウクライナ侵攻による戦争が始まったり、安倍元首相の暗殺事件、車の中に幼児を置き忘れての死亡事故、幼児の虐待死など、思わず心の中で祈ることしか出来ないことがたくさんあった。

今年も残り僅か半月ばかりとなり、改めて祈りのことを考えネットを検索してみると、そんな祈りを研究されている先生方がおられることを初めて知った!

先生方とは、京都府立医科大学名誉教授の棚次正和先生と筑波大学名誉教授の村上和雄先生ご両人のことである。

その先生方がナントこんなふうに仰っているのだ!

祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない!

感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、人は祈ることができる!

祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生えさせてそれを培うことにある!

例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにダンダンと大きく育てることである!

個人の祈りや願いが天に通じるとき、心は落ち着き、心の中に中心軸ができ、ブレない生き方ができるようになる!

このことを人間は太古から直感していたのであろう!

鳥が大空を舞い、魚が水の中を泳ぐように、人は自然な本能として太古から祈って来たのである!

人は無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのである!

祈りには空間を超えた「現実的な効力がある」ことが、現在科学的にいくつも検証されている!

祈り Prayer !

日本語の「祈り」の語源解釈に共通しているのが、「いのり」の語の構成は「い+のり」であるということである。
「い」は神聖なものを指し、「のり」は法(のり)や告(のり)と同根であり、みだりに口にすべきではないことばを口に出す、という意味がある。
さらに「い」は呼吸(いき)や生命(いのち)のことをも指している。これに着目すると、祈りは息や神聖なものを宣言することを指している。

つまり生命の宣言である!

生命の根源の響きをことばに乗せて響かせる。生命を根源から生きることという意味である!

生きるということの具体的な姿は、生命の根源から息をするということ、つまりイキイキと生きることが「いのり」の意味だ!

この解釈から考えると、人間は弱い存在だから祈るということではないとわかる。鳥が大空を舞い、魚が水の中を泳ぐというのは、自然な本能として普通に行っていることだ。

人間の場合も、自然本性として祈るのである!

祈りは何をもたらすのか?

祈りがもたらすものについては次の三つの要素がある。

その一つ目が霊性の開顕。

霊性とはスピリチュアリティともいわれる。仏教では仏性になるが、私たちは仏性をもともと持っていることを自覚するということだ。
私たちは生命の根源から放たれた一筋の光のようなものである。光であることを自覚するということ。これは祈りの実践をとおしてこそ、この自覚が深まっていく。真言宗の場合、大日如来と自分が一体であるという自覚だ。大日如来という根源的な仏が自分のど真ん中に鎮座している。自己と超越者がひとつに結ばれることである。

二つ目は他者との絆を再認識するということ。

人間はそれぞれ個に分かれている。肉体によって個が別れているようにみえるのでである。だから生きていると孤独を感じたり孤立感を深めたりさまざまな問題が生じる。ところが、祈るたびに自分と他者が心では繋がっているということが、再認識される。私も、他者も根源から放たれた同じ光だと理解できる。だから他者との争いは意味をなさない。するとこの世界は平和になる。自己と他者がつながる。

三つ目は自然との共生。

自然界の事物はみんな仏性を持っている。ばらばらに分かれて見えているけれど、全てはひとつの生命につながっているということだ。

自然との共生に気がつくことができる。このような話をすると、単にあなたがそう思っているだけじゃないかともいわれる。仏道の修行を積んでいる方はすぐわかる話だが、そうでない方はピンとこない。そこで、祈りが持っている治癒効果を科学的に実験した研究があるので、それをご紹介したい。

祈りの治癒効果に関する科学的研究とは?

我が日本では祈りや瞑想に関する科学的研究は、残念ながら大変遅れている!

その一方、日本人の精神性には相当に深いものがあるといえる!

なぜ日本の科学者達がそれを研究しないのか誠に不思議だ!

欧米ではこの種の研究はホントにたくさん行われて来たのだ!

サンフランシスコ総合病院の心臓病専門医のランドルフ・バードは、心臓病集中病棟の患者約400名を、祈られるA群と祈られないB群にランダムに分け、祈る人と祈らない人がお互いにわからないようにして、全米から集めた祈り手による祈りの治癒効果を調べる実験を行った。1998年に報告された結果では、抗生物質を必要としたのは、A群は3名、B群は16名。気管内挿管を必要としたのは、A群は0名、B群は12名であった。

このことから、祈りには治癒効果があり、その効果は空間的な距離が障害にはならないことがわかったのである!

もしも祈りのエネルギーが物理的なエネルギーだとしたら距離の二乗に反比例するが、そうではないのだ。つまり、心とは非局在的なものなのだ!

心はどこにあるかというと、頭や心臓、お腹などの体の特定の部位にあるのではない!

いわば、心は体の枠をはみ出ているのだ!

さらに嬉しいことには、祈りは「祈る人」と「祈られる人」その双方共に良い効果をもたらすことも分かって来ている!

また、アメリカの民間研究機関スピンドリフトでは、1970年代から祈りが与える影響力を研究し、ライ麦や大豆の種子に対して祈り、祈った種子とそうでないものを比べた。すると祈ったものの方が発芽率が高かった。またストレスに対する影響も調べたところ、塩水にひたしてストレスを加えた方が発芽率が高かった。このような実験を積み重ねて概念的全体の法則が分かった。これは個別に祈った影響がおなじ概念で括られる集合全体にいき渡るということだ。そして、具体的に何かをイメージして祈る目標指向の祈りと、目標をイメージせずに大いなるものに任せるように祈る非目標指向の祈りの効果にも差があった。非目標指向の方が良い結果が出たのだ。

つまり、米国の「スピンドリフト」という研究グループの実験によって、下記の3つの重要な法則が統計的に検証された。

1. 祈りには量的効果がある(多くの人が祈るとより効果が大きくなる)
2. 方向性を設定せぬ祈りに、質的な効果が見られる(「こうであってほしい」と祈るより、ただ最善を祈ることで、最善の方向への調整が促進される)
3. 困難な状況への祈りは、効果が高い

アメリカ国立衛生研究所に在籍していた医学研究者であるラリー・ドッシーは、今後医学がどのような方向にいくかを示唆している。
第一期は唯物医学といい、肉体だけを対象にして行う医学だ。
第二期になると心身医学となり、心と体の相関を視野にいれたもので現在はこれに当たる。
第三期は非局在医学になるといっている。
普通の病院は臓器別に診療科が分かれているが、非局在医学では、肉体のどこかに病気の原因が局在化しているとは考えないので、最終的には医者に行かなくても治療ができる。
画像診断の遠隔治療は現在でもあるが、それどころの話ではない。患者と医者が地球の裏側くらい離れていても治療ができる。医療のありかたも今後大きく変わっていくはずだ。
これは、人間という存在をどのように捉えるかという話にもつながる。肉体という塊のなかに収まっているのが人間ではない。肉体から心は大きく離れているし、無限大に広がっている。そういう人間の捉え方が今後出てくるわけで、そうなってくると医療の有り様が変わってくるはずだ。

2012年に棚次正和先生と村上和雄先生は、協力されて祈りと遺伝子の研究を始められた。祈りそのものではなく、護摩行に関する実験である。真言僧侶と一般信者を対象に、護摩行の前後に採血をし、DNAマイクロアレイによる遺伝子発現解析と、メタボローム解析により血中の代謝産物を調べたのである。
それと同時に、共感性プロセス尺度というのを用いたアンケート調査を行われた。その結果、僧侶型遺伝子があるということが分かった。それはインターフェロン関連遺伝子という自然の免疫を活性化する遺伝子であった。

また、遺伝子以外にも僧侶型代謝産物(分岐鎮アミノ酸、マイオカインなど)というのも見つかっている。そして、それらの因子と心理的な共感性の関連の度合いを調べると、僧侶の方が共感性の度合いが強い。

共感性というのが、仏教でいう慈悲の心と繋がっているだろうと以前から推定されていたが、これらの間に相関関係があることが分かったのだ!

以上、先生方のお話から「祈りは何をもたらすのか」という問いに対し、祈りには「現実的な効力がある」ということをご理解頂けたことであろう。もっぱら宗教者のものだと思われている祈りを万人に開放し、我々一人一人が自然本性として祈っているということをシッカリと腹から理解をしなければならない。

イキイキと生きることが祈りなのだから、イキイキと生きている人は自然と祈っているのである。そして、生きることと祈ることの間に深いつながりがあることに早く気がつくべきである。

みなさん、とにかくイキイキと生きて祈りましょう!

参照1:智山教化センター第33回 愛宕薬師フォーラム
講師:京都府立医科大学名誉教授  棚次正和 先生の「手を合わせると-人はなぜ祈り、祈りは何をもたらすのか」

参照2:産経新聞 正論 筑波大学名誉教授・村上和雄 祈りとは「生命の宣言」である

 1524夜 『祈りの心』 木下晋 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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中国人民解放軍空軍を育てた大日本帝国陸軍!

1945年8月の日本の敗戦により、8年間に及ぶ日中戦争は終わりを告げた。しかし、中国ではまたすぐに中国国民党と中国共産党による内戦が再開された。

当時、空軍を保有していなかった中国共産党の八路軍は、なんとかして空軍を持つことを熱望していた。

そこで徹底したリアリストである政治家毛沢東は、早急に空軍を創るため旧大日本帝国陸軍航空隊の残留部隊の軍人と飛行機を利用して中国共産党の空軍を創ることを決めたのである。

このように中国共産党にとって都合のよい時に、大日本帝国陸軍をうまく利用するノウハウは、ずっと一貫する政治家毛沢東の得意技の一つであった。

1945年8月、中国共産党中央委員会は空軍創設のため東北部に航空学校を設立することを決定し、同年8月~9月にかけて、ソ連や中華民国空軍で航空技術を学んだ者、中国共産党中央党校、中央自然科学院、俄文学校などから引き抜いた精鋭30名余りを東北部に派遣した。

そして1946年3月に設立されたのが、東北民主連軍航空学校であった!

即ち、東北民主連軍航空学校とは、1946年3月1日に設立された国共内戦期の八路軍の航空学校。第二次世界大戦終結後、大日本帝国陸軍の関東軍第2航空軍独立第101教育飛行団第4練成飛行隊長林弥一郎少佐を始めとする、隊員300名余りが教官となって八路軍のパイロットを育成したのである。

この学校は、旧大日本帝国陸軍の日本人教官による指導のもと、後に中国人民解放軍空軍の屋台骨を支えるパイロット126名と飛行整備士322名を始めとする560名の航空技術幹部を輩出することとなった。

この東北民主連軍航空学校での練習機には、大日本帝国陸軍の一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」、九九式高等練習機や大日本帝国海軍の零戦三二型などが使用された。

大日本帝国海軍の零戦三二型!

それが、今を時めく中国人民解放軍空軍の礎となったのだ!

中国人民解放軍空軍のJ-10B 通称ファイアーバード

東北民主連軍航空学設立の経緯は、1945年10月、旧大日本帝国陸軍の林弥一郎少佐が瀋陽の東北人民自治軍総部で林彪、彭真、伍修権から八路軍空軍設立を要求され、隊員の生活保障を条件として空軍設立に協力することを受け入れたことにある。

1946年1月1日に八路軍の航空総隊が設立され、2月3日の通化事件では、林少佐や中華民国政府に協力しようとした飛行隊員は逮捕され、航空技術を持たないものは炭鉱送りとされた。2月5日、常乾坤に引率された航空幹部10名が通化に到着。3月1日、通化中学敷地内に東北民主連軍航空学校として正式に開校した。

通化事件(つうかじけん)とは、1946年2月3日に中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の叛乱蜂起と、その鎮圧後に行われた中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊による多数の日本人らに対する逮捕とそれに伴う虐待や虐殺事件。日本人犠牲者数について諸説あるが、少ない説で戦闘時の死者も入れて約800人、多い説では約3000人の死者が出たとされ、その中には蜂起に参加さえしていなかった一般市民が多数いたとみられている。中国では通化二・三事件などと呼ばれている。

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』国共内戦、東北民主連軍航空学校、通化事件、零式艦上戦闘機、J-10 (航空機)

0188夜 『中国の赤い星』 エドガー・スノー − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)


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