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キリスト教でも寄付はやっぱりFUZZY?

安倍元首相暗殺事件に端を発する旧統一教会問題で、寄付金のことが今一つの焦点となっている!

ならば寄付金とは長い付き合いのある、欧米諸国のキリスト教ではそれはどんなもんかと覗いてみた!

聖書に関する質問の答え(日本語版 www.GotQuestions.org )のアプリによると、クリスチャンの十一献金(十分の一献金)について聖書は何と言っていますか?

という質問に対する回答はこんな風でありました!

十一献金(十分の一献金)というのは、旧約聖書の概念です。

十一献金は、多くのクリスチャンが苦闘する問題であります!

多くの教会では、十一献金があまりにも重要視され過ぎています。 同時に、クリスチャンの多くは主に捧げものをしなさいという旧約聖書の勧告に従おうとしません。

十一献金は、本来は喜び、祝福となるはずですが、悲しいことに今日の教会ではそういうケースはめったにないのが現実です。

<<冒頭からキリスト教においても、信者のみなさんが寄付金のことで相当に悩んでいる様子が伺えます。どこの宗教でもまったく同じことであるようです!>>

十一献金とは旧約聖書において律法の要求するものでした。

古にはすべてのイスラエル人は自分で稼いだもの、生産した物のすべての10%を捧げなくてはならなかったったのです。

しかし、新約聖書ではどこにもクリスチャンに律法的な十一献金に従うようにと命令はしておらず、勧めてもいません。
新約聖書のどこにも、収入の何パーセントかを、寄付のために蓄えておくようにとは言っていないのです。

ただし、「各々の収入に応じて!」とだけは言ってます!
キリスト教会は、本来は旧約聖書にあった十一献金という数字の10%を当てはめて、あたかもクリスチャンが捧げるべき最低限の寄付とみなして推薦した訳です。
新約聖書は特別、金額とかパーセントの数字を挙げてはいませんが、捧げることの重要さとその利益はしっかり教えています!

<<捧げることの重要さとその利益という、その利益が重要なポイントですね。つまり、当然なんらかの見返りがあるのやから寄付しなさいとハッキリ教えるようですね!>>

可能なだけ、「その収入に応じて」捧げるべきなのです。 時には、それは十分の一以上ということかもしれません。また時にはそれ以下しか捧げられないという意味になるかもしれません。 すべてそれはクリスチャンのできる限りと、教会の必要次第なのであります。

<<新約聖書では十分の一と言わないだけで、出来る範囲で可能な限り寄付をせよとの奨め!言わばソフトな寄付金奨励!>>

クリスチャン一人一人がよく祈って、神の知恵を求め、十一献金をするかどうか、またいくら捧げるべきか決めるべきなのです。
「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」

<<この、いやいやながらではなく、強いられてでもない、自分の心で決めたとおり、というのがポイントですな!>>

実に上手いスマートな寄付金奨励のキャッチフレーズです!

さすが2000年以上も長きに亘り寄付金を集めて来ました!

大いに洗練された歴史を感じざるを得ず!

しかし、マルセル・モースの言葉を借用すると、「寄付がもたらすもの、それは存在の名誉というものなのである。」

ということかも知れません!

1507夜 『贈与論』 マルセル・モース − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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当世おとなの下ネタ事情!

毎日新聞の今日のネットニュースでこんな記事を見つけた!

神奈川県警が今年6~8月、高校の女子生徒に対する児童買春事件で検挙した顧客たちの職業について、中学教師、医師、僧侶、自衛官、公認会計士などを列挙していたのである。
では、買春を仲介したとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春の周旋)などの疑いで逮捕、起訴されたA被告(31)はどのように客を勧誘していたのか?

警察の捜査から浮かび上がったその手口には、大いに考えさせられてしまった!

事件の経緯はこうである。
A被告は2020年4~6月、東京都内の高級ホテルで計3回、知人の女子高校生1人と客8人以上を集めたパーティーを開催。客1人につき現金2万5000円の参加料を受け取っていた。

繰り返しパーティーに参加する「常連客」も多かった。また8月までに24人の客も同法違反などの疑いで逮捕や書類送検された。

A被告はツイッターで、買春の相手が高校生だと暗に示唆したうえでパーティーの客を募っていた。ただ参加を希望する全員をパーティーに招待するのではなく、ツイッターでのやり取りの文面が丁寧で、まめに返信する人を「選抜」して招待していたという。

捜査関係者は理由について「乱暴で非常識な客に場を乱されたくなかったのではないか」との見方を示し、「A被告は職業で客を選抜していたわけではない。

あくまで結果として、教師や医師や僧侶らが選ばれた」と!

事件は、検挙された客の中に教師や医師や僧侶らが含まれていたことから話題になったが、彼らが意図的に勧誘されていたわけではなかったのだ!

さらに、意外にも捜査関係者は「A被告は利益を得るためにパーティーを主催したのではない」と明かした!

A被告が客から受け取った現金はほぼ全額がホテルの利用料などに充てられており、収入にはなっていなかったのだという。

A被告も容疑を認めたうえで、「パーティーの主催はあくまで趣味だった」という趣旨の供述をしているという。

当世性教育事情!

そんなことから、もし買春の相手が高校生ではなく、成人であったならば、もう少し扱われ方が異なるニュースとなっていたことであろう!

<<犯罪者の心理に詳しい奈良大の今井由樹子准教授(犯罪心理学)は、今回のパーティーの参加者が応募者の中から「選抜」されていた点に触れ、「『自分は選ばれたんだ』という特別感、優越感、満足感を得られる仕組みが、客が何度も足を運ぶ動機の一つになっていた可能性がある」と分析。>>

これは、まさにその通りであろう!
さらに言うと、仮にA被告が倍の儲かる価格5万円を提示しても、恐らく彼らはほとんどが参加したはずだ。
しかし、現実にはA被告は価格を実費のみに留めている。
A被告の趣味だったという発言に、信憑性は感じられる。
その意味では、趣味のサークル主催者とその特別なメンバーが共に御用となった事件である!

<<また橋本和明・国際医療福祉大学大学院教授(犯罪心理学・虐待臨床学)は「高い倫理観が求められる職業にもかかわらず、同様の事件で検挙される人は後を絶たない。こうした立場にある人たちは人一倍高い意識を持ってもらいたい」とコメント。>>

こちらは誠に、大本営発表でその通りとしか言いようはない!

しかし、ホンマに考えるべきことは、なんでそんな立場の職業の人達が、今回と同様の事件で頻繁に検挙される例が後を絶たないのか?
ということに尽きるはずだ!

とは言え、どう考えてもそんな願望を抱く人達を、まったくゼロにすることは到底不可能なことである!

むしろ、我々の社会がそんな願望を持つ人たちに対しても、法律を犯すことなく、それなりの願望が満たされる社会の仕組みを、我々社会の知恵として生み出す努力が必要だと思えるのだ。

そうなんです!

みんながホントはおかしいと思っている、我々の社会の在り方自体そのものを、考え直すことが今問われているのだと思う。

日本は今、「オモテナシ」の日本らしい独自の「社会が認める性的願望」の新しい在り方を模索することが、待ったなしの時に来ているのである!

見て見ぬ振りをする、我が日本のいいものも悪いものもを含めたこれまでの慣習、もはや悪いものはせめて一つ一つ止めにすべきなのだ!

参考として、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で「売春」を検索してみると、最近世界の各国ではこんな風な事情だと解説されていた!

近年、世界的に売春は合法化・解禁の流れがある!

アジアでは中華民国(台湾)で合法化され、タイ王国、あの中華人民共和国でも合法化が検討されている。

欧州諸国では、売春自体は合法である国家がほとんどである!

ただ、斡旋を違法としている国家も多いが、2000年にオランダが、斡旋を含む売春行為を完全に合法化したのを皮切りに、デンマーク、フランス、スイス、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランドなども斡旋合法化に踏み切った。

ギリシャ、ハンガリー、チェコなどにおいても合法で、オーストリア、オーストラリアなどでは、外国人が働くために売春査証で合法的に滞在許可を得ることが出来る。

2015年には、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、売買春の合法化(合意に基づく成人の性的労働や成人同士の間での合意に基づく性の売買)を支持する方針を決定した!

さて、我が日本ではこれらをどう考えればよいのか?

みんなで知恵を出し合うしか道はない!

0115夜 『風俗の人たち』永沢光雄 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/0115.html

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社長!若い人らはアンタをこんな目で見てまっせー!

後生畏るべし!

まずはアンタの「経営者マインド」を!

ホンマにこの会社を社員と共によくしたいという気持ちがあるのかないのか?
将来この会社をどないしたいのかというビジョンは、ハッキリとちゃんとあるのかないのか?
タイムリーに素早い決断をして、ホンマにキチンとそれを実行しているのかしていないのか?
すぐに何かのせいや、誰々のせいやといつも責任逃れをするのかしないのか?
四六時中、同じような「お友だち」とばかりつるんでいるのかいないのか?

次に、アンタの「算数力」を!

もしアンタの性格がとてもヨクナイ場合でも、小学校で学んだ「算数力」がキチンとホンマに身についているなら、「アンタが会社を潰す可能性はまあ低いかも?」というありがたい見方も期待できる大切な力である。

会社の預金通帳の残高ではなく、キチンと財務諸表に基づいた会社の利益の現状を把握しているのかいないのか?
一年先くらいまでは、シッカリ会社の資金繰りのシュミレーションは出来ているのかいないのか?

同時に、エエ加減なことすると業績の悪化に繋がったり、不正や横領も起きかねない大切な現金の取り扱いについて、キチンと正確に現金管理をしているのかいないのか?

そして、締めはアンタの「学ぶ姿勢」を!

これはもうシンプルに、よく言われる「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉に尽きる。
社員やお客さまや取引先などをすべて含めた現実の中で、どれだけアンタがその現場から学び取っているのかいないのか?

つまりは、アンタが自らを足りないものである、至らないものであることを、謙虚にホンマに自覚しているのかいないのか?

もし、これら三つの視点を、すべて現実にクリアーしている社長の会社であれば、恐らくブラック企業の問題やパワハラ・セクハラなどの諸問題も誠に縁の遠い話であると思える。

まさに、後生畏るべしである!

どうですか社長の皆さん!

もう自分の通信簿を見る覚悟はできましたか!

1560夜 『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』 カレン・フェラン − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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日本の生産性が低いのはCEOがアホやからか?

ここ10年から20年の間、ずっと日本の生産性の低下が叫ばれている。
それも、まるで労働者である従業員たちのせいだとばかり、なぜかマスコミも涼しい顔で大本営発表とばかりに、そんなコメントを何とかの一つ覚えで繰り返すばかりである。
しかし、その見方はホンマなのか?

あらためて考えてみると、思い出した言葉がある。
それは、昔プロ野球界で話題となり大いに盛り上がったニュースの発言、「ベンチがアホやから!」である。
じっと皆さんあらためて自社の製品やサービスのことを考えて見てください。
信頼されるメイドインジャパンの製品やオモテナシのサービスのどこが劣っているのでしょうか?

どこが欧米の製品やサービスに劣っているか、サット指でさせますか?

そんなん簡単には出来ませんよねー!

そして、あらためて不思議に感じるのではないでしょうか!
ひょっとして、その理由は生産性が高いと言われる欧米のCEO並みに、日本のCEOが自社の製品やサービスの販売価格交渉を、キチンと適切に交渉出来ていないだけのことかも?

従業員みんなの努力の結晶である製品やサービスを、単に安売りすれば商売が簡単でやり易いというような、劣化したアウトプットを生み出すビジネス構造に陥っていないだろうか?

ストレートに言うと、「CEOがちゃんとした値段でよう売らんから、そのシワ寄せが労働者である従業員に来とるんと違うか!」である。

ジワリジワリと、こんな疑惑が頭に浮上して来るのである!

なぜそんな思いがするのかというと、実は気になっていることが一つある。
それはCEOの学歴のことである!

ハッキリ言って、一代で会社を築き上げた卓越した能力の創業者であるCEOにとっては、そんな学歴などはどうでもいいことだ!

しかし、多くの大企業の普通のCEOは、よそからの引き抜きであろうと社内からの抜擢であろうと、やはり雇われたサラリーマンの延長線上にある存在である。
そんな普通のCEOたちにとって気にかかることの一つが、学歴であろう。
日本のCEOの場合は、その多くが大学卒である。
しかし、今や欧米のCEOの多くは、大学を卒業した後に博士号や少なくとも修士号くらいは取得しているケースが多い。
博士号や修士号を持つ欧米のCEOに対し、ついつい気おくれしてしまう大学卒の日本のCEOの姿が目に浮かんでくるのは、単なる妄想であろうか?

CEOであろうが従業員であろうが、今や不断の学び直しが、誰にでも必要な時代に突入していることだけは間違いない時代ではあるが!

日本人が世界のビジネス界から取り残されている理由 | 新・独学術 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

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タコ(octopus)に学んだダイバーシティ!

「あー今日のタコも美味かった!」と一杯やりながら悦にいることが、これまでの人生何べんあったことか!
そんなタコ好きの自分がある日突然、タコの凄まじい生涯の真実を知りオノノクことになろうとは!

3年ばかり前にネットで、静岡大学教授である稲垣栄洋さんの「タコの最期は涙なくしては語れないほどに尊い」に出会ってしまったのだ。
我々人間を含め哺乳類であれば一生涯の中で、チャンスがあればその度に何度も生殖行為は可能である。

それがタコの場合、生殖行為は生涯にたった一度だけなのだ!

たった一度きりですよー!

大人の男性諸氏には、是非一度そのような立場となった自分自身の気持ちを想像して貰いたい。

多分フーテンの寅さんでさえも、「男はつらいよ!」だけではすまない気分になるのではなかろうか!

これでもかという、命あるもののダイバーシティを皆さん味わうのではなかろうか!

タコのオスは、体力が大きく奪われる激しいメス争奪戦を戦い抜き、勝ち残ったオスだけがメスとの生殖行為に進める。

まさに、疲れ果てた青息吐息の中でようやく、タコの一生に一度の生殖行為が始まるのだ。

これはもう、我々の知る生殖行為というよりは、なにか荘厳な儀式のごときものに思える。

生涯一度のその儀式は、数時間もかけて実に荘厳にねんごろに濃密に行われるのだ。

そして、儀式が終わる時、体中すべてのエネルギーを使い果たし、オスはそのまま静かに死んで行くのである。

なんでやと聞かれても知らないが、とにかくタコのオスの「命のプラグラム」がそのように設計されているのだそうだ。

そして、残され身ごもったメスは卵を産む。産んでからは1ヶ月から数か月、場合によっては半年以上もの間も、メスは卵から片時も離れることなく子育てに専念する。

その間エサを食べるこもなく、卵をケアーしながら、ただひたすらに子育て生活をするのだ!

そして、いよいよ卵から赤ちゃんたちが生れる、母となったメスは体力の限界の中でこの誕生を見届けるのだ。

やっとのことで待望の誕生を見届け終えた時、母ダコにはもうまったく動く力は残っていない。後はただ、力尽きひっそりと死んでいくだけなのである。

タコの最期は涙なくしては語れないほどに尊い | 雑学 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

この話を知ってしまってからは、タコは相変わらず美味しく頂くものの、頂く度にこの光景が頭を過ぎり、心のなかで「タコさん、ありがとう!」と呟いている。

いのり・祈り・Prayer!

モヤシの唄!

腸脳相関(gut-brain interaction)!

みんないつかはパーキンソン病!

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イヤナ奴はタイムマシンでぶっ飛ばせ!

誠にシンプルで簡単な話である。
イヤナ奴はみんなタイムマシンでぶっ飛ばせばいいのだ!

あなたの頭の中のタイムマシンを操ればいいだけの話である。
スカッとさわやかな気分になる。
おカネもかからず、やることも実に簡単だ!
自分の頭の中で遊ぶだけのことやから、パソコンなんぞも使う必要はまったくない。

タダや、タダで出来るのや!

今高騰して困っている電気代も要らんということ!
お金要らずの自分自身が生み出す、超高性能のバーチャルリアルティである!

そのコツは、どうするのかを説明すればこうである!

目の前のイヤナ奴の顔をチラリと見つめながら、年を取らせたり、若返らせばいいだけのこと!
ただし、あんまり年を取らせすぎると、相手に腹が立つより哀れさを感じ不憫になっていまい爽快感が減るので御用心。
また、あまりに若返らせて赤ちゃんにしてしまうと、腹が立つより可愛さを感じてしまうので、これも御用心である。

タイムマシンをホドホドにうまく調節するのだ!        このホドホド加減がホンマに大事なんです!

ちなみに自分自身がよくやる方法を言うと、まず最初は爆速で相手にタップリ年をとらせて、一瞬ながらも相手のヨボヨボでガタガタの姿を確認する。
この一瞬の間に、コイツもここまで哀れになるかという、人間には必然的な老いというものを一度キチンと確認しておくのだ。
しかし、これはあまり長い時間やってはいけない、長引かせるとホンマに相手が哀れになって情が移ってしまう恐れがある。

だから、直ぐに反転し若返えらせるのだ。まずは10歳くらい、次に5歳くらい、そして真のターゲットは3歳くらいである。

これはさらにやり過ぎるとホンマに赤ちゃんになってしまい、誰でもカワイクなるという単純な理由からだ。
10歳くらいと5歳くらいというのは、ホドホドの調節をするためのチューニングという意味合いがある。
そして、これが一番面白いと言えるのが、3歳くらいだ。

何故ならば、三つ子の魂百までと言うように、人間の原形のおよそ八割方はこの頃に大体出来上がるからだ。

そうか、ナルホドこんな頃にはこんな子であったかと分かる!

そして、その子をしっかりと遊んでやるのだ!         遊び方は、すべてあなたに任されている!

ネットで炎上することなく、法律に触れることもないタイムマシンではあるが、上手く操作するには場数を踏む必要がある。

是非、たくさんの場数をケースバイケースで楽しみながら、このタイムマシン操作のコツをゲットして欲しい!

小さなことからコツコツとである!

1061夜 『時間の矢』 リチャード・モリス − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/1061.html

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AIドクターで医療費削減を!

まず最初に断っておきたいことは、なんでもかんでもAIドクターが良いと言いたい訳では決してない。
緊急医療や難病医療、即ち今すぐの命の危機や難しいオペや治療などは、従来通り人間のドクターに御願いするのは当然のことである。
AIドクターを導入すべき対象とは、一番件数が多いのではと思われる、命に関わる緊急性があまりないケースの病状に対してである。

2019年、3年前のお話です!

なんで真剣にこんなことを思うようになったか!

それを自らの体験談を交えて、今からお話しする!

昨年3月末に寄る年波から仕事を引退しました。

異変が起きたのはそれから2ヶ月程が過ぎた6月上旬のことでした。

なんと突然歩くことが困難になったのです!

ただし、じっと座っていると普段と同じ状況でした。

ヨボヨボ歩きで100メーター歩くのもつらい、必死の思いをして500メーターほど歩くと、立ち止まり休憩をせざるを得ずの状態に陥ったのです。

こんなはずはないだろうと思いつつ、数日間様子を見てみましたがまったく改善はせず。

仕方がないので、とうとう近所の整形外科クリニックを尋ねました。

そこでは膝の感覚確認やら、足首の機能状況を確認してもらいました。そして出て来た回答は、オペが必要となるかも知れずとの話!

さらには専門病院に紹介しますのですぐそちらへ行って下さいとのこと。なお、今こちらで予約も取りますのでと、二日後の予約まで取ってくれた。

なお診察の効率をよくするため、今から直ぐ紹介する医療撮影専門のところへMRIを撮りに行き、専門病院へはそのMRIの結果を持参して下さいとのことであった。

クリニックの指示に従い、二日後の朝9時に専門病院を尋ねた。

予約した整形外科に行くと、まず尿と採血検査とレントゲン検査をしますとのこと。検査結果は2時間程かかるので、出た後に御呼びしますとのこと。

お昼少し前に呼び出しがあり、やっとこさで専門医の診察にたどり着いた。

内容は、病状に関する本人が抱える問題ついての問診と、少し立ち上がり数歩歩く際の動作確認であった。それは僅か10分あるかないかの時間のこと。そして、最後に次は造影剤を飲んでもらってCTスキャン撮影をこれから御願いしますとのことであった。

順番を待つこと約1時間ばかりにてCTスキャンの呼び出しがあり、14時過ぎにCTスキャンを撮り終えた。これもまた結果が出るには約2時間とのこと。

結局次の呼び出しは16時半過ぎとなって、本日二回目の専門医の診察とあいなった。

検査結果に対する診断として、内臓に関わるガンの可能性を検査しましたが、内臓については問題なし良かったですねとのこと。

そして、来週は血液の専門医に、血液のガンの検査を依頼しましたとのことであった。これまた時間は10分もかからずの間の話である。

「そら、内臓のガンの疑いはなくてホンマ良かったが、肝心の歩行困難なコノ状況はどないしてくれるんや!」との心の叫びを押し殺しながら病院を出た時には既に17時を回っていた。

実に、一日で8時間にわたる検査漬けの日であった!

さて、次の週にはまた尿と血液の検査をやり直し、半日かけての診察を終えた。診断は、血液のガンについては問題なしとのこと。

ただし、骨髄ガンに関してはオペで細胞を採取し、顕微鏡で確認する必要があるとの話があった。来週に整形外科の専門医があらためて診察を行うと。

自分自身としてはゆっくりではあるが、歩行がややましになって来たことから、「もう検査漬けは要らん。」と感じていた。

そして一週間が経ち整形外科の専門医の診察で、骨髄ガン検査のオペには準備が二週間程必要になるがどうしますかと問われた。

即座に、「その検査は止めておきます!」

「その変わり、2か月様子を見てからあらためて診察を御願いします。」と予約を依頼した。軽い驚きの表情を見せながらも、専門医はうなずいてくれた。

2か月が経った診察日、自身の歩行状態は気持ちの上では7割程度回復したとの思いで病院へ向かった。

また毎度の尿と採血の検査を終えての、専門医の診察である。

検査の結果は、体の状況には特に変化はなしとのことであった。

そこで、最後に腹の中に溜まりに溜まっていた素朴な、されども根源的な質問を、専門医に投げかけたのである!

「先生!一体全体、私の身体になにが起きて、一時は極度の歩行困難となったんでしょうか?」

その回答はまさに想定外であった!

「病状が自然治癒した場合、医師にはその診断は出来ません!」との回答であった。

かくのごとき一連の事情により、命に緊急性の問題のないケースにおいては、各種検査の診断をまずはAIドクターに任せることが甚だ国民にとって有益であると考えるに至ったのである!

検査数値による判断ならば、人間よりもコンピューターの方がむしろ誤診は少ないと思えるからだ!

そして、必ずや医療費の削減にもつながる!

さらに、本来人間のドクターであるからこそ為すべきことに、もっともっと時間を割くことが可能となる!

即ち、より人の健康に役に立つ予防医学、新たな診療方法やオペの方法、より奥の深い医療研究全般に時間を使うことが出来るではないか!

特に声を大にして言いたいことは、これからは病気になる以前の「予防医学」にモットたくさんヒトとカネを使うべし!!!

「健康になりたいのなら、お酒もタバコも止めなさい」というような話なら、小さな子供でも覚えれば言える。そんな子供ダマシのオマジナイのごときものはホンマの「予防医学」とは呼べない!

あらゆる人間の生活の在り方に対し、「ダイバーシティの考え方に基づいた予防医学」!
これこそがこれからは必要なのだ!

高齢化社会の真っただ中にある日本!

今こそ厚生労働省は、そんなビジョンをシッカリと掲げるべき時である!

特定団体の目先の利益よりも、国民全体の利益を優先すべし!

それこそが後々には、その特定団体も含めた日本全体にとっての国益となるハズだ!

1548夜 『涙のチカラ』 坪田一男 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/1548.html

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今時求められる人材とはGlocal Thinking!

多くの企業から今時求められる人材とは、一体どのような人材なのかと思い、還暦をとっくに越えた身ながらネットであれこれとチェックしてみた。

その結果、自分なりに考えて分かったことをまとめてみた。

一番ピンと来た言葉は、たまたま三井物産のダイバーシティ& インクルージョン宣言のごときもの中で見つけたこの言葉である。

Local depth for global reach, global reach for local depth!

(世界中への展開力には地方の奥深さ、地方の奥深さには世界中への展開力!)

言いたいことが分かる気がした!

GlobalのGloと、Localのcalを足した、Glocal Thinkingなのだ!

恐らく予想もしなかったロシアのウクライナ侵攻なども踏まえ、今やグローバル市場の動向を視野に入れつつ、同時にローカル市場で当地の歴史と風土を踏まえた、現場に精通した人材が求められているということであろう。
即ち、「Local depth for global reach, global reach for local depth」という仕組みをしっかり理解して行動できる人材が今求められているのだ。

もっと具体的に考えてみると、システム思考とデザイン思考をグルグル巡らせて遣り繰りをしながら、その場でアジャイル対応が出来る人のことではなかろうか!

システム思考とは、問題として認識する対象を、あたかも一つの「システム」として捉え直し、さまざまな視点からアプローチを試すことにより問題の解決を目指そうとする考え方のことである。

これは、ターゲットとなる「モノ」や「コト」、そのもの自体に焦点を当てる考え方と言える。

デザイン思考については、ノーベル経済学賞を1978年に受賞したハーバート・サイモンがこんなふうに述べている。

デザイン思考とは、「人に対して、現在の状態をより好ましいものに変えるべく行為の道筋を考案する人は、誰でもデザイン活動をしているのだ。」という考え方に基ずく。              つまり、人に対して人によりつくられる物事が、その目的を達成し、機能を果たすためにはどのようにあればよいのかという問題に取り組むことである。

こちらは、「モノ」や「コト」を利用する人間自身そのものに、焦点を当てる考え方と言える。

少年時代のサイモン先生の座右の銘は「戦って逃げる者は生きて再び戦える」というフレーズだったそうだ。

アジャイル対応とは、「すばやい」対応を意味する。     例えば、すぐに対応できるところから取り掛かり、顧客のニーズを臨機応変に取り入れ、何度も改善を繰り返しながらゴールに近づけていく対応のことだ。

0854夜 『システムの科学』 ハーバート・サイモン − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

しかし、いくらそんなことは言っても、そんな人材は簡単には見つからないのが現実の世界である。
ならばどうするのかということを、我々は自らの頭で考えるしかないのである。

幸いなことにITの進化により、我々は今遠く離れた場所にいる人とも共に仕事が出来る環境にある。昔のようにごく近所の人だけで、何とか遣り繰りする必要からは解放されているのだ。

さすれば、「三人寄れば文殊の知恵」を生かすしか道はないであろう、自分自身に問えば直ぐに分かるはずだ。

あんた一人で何でも出来ますか?

恐らく多くの人の答えは、「NO」であろう!

それでなくとも今や世の中の仕組みは益々複雑になり、ヒーローが一人で何でも出来るというのはマンガの世界に限られて来ている。

さらに企業経営全体においても、今の世の中ではESG経営などが求められたりもする。従来の経済的利益だけで良しとはいかず、社会的な貢献までもがシッカリと要求される世の中の時代なのである。

だからこそ今のリーダーは、仕事における適材適所を真剣に突き詰め、場面々々に応じて必要なスキルを持ったメンバーに、その仕事をキチンと任せることが大事になる。つまり、ケースバイケースを当たり前のこととして、今のリーダーは時に応じては自分がフォロー役を演じるという柔軟な対応力が必要となる。

また同時並行して、メンバー各自は自分自身の思いや素質を活かし、新たな価値を生み出すことへのチャレンジを繰り返し、お互いの共創力を高め合うという発想が不可欠となる。

ついでに言うと、ダイバーシティ& インクルージョンという言葉だけはそこそこ飛び交うようになった今日この頃であるが、その中味を見るといまだ道半ばにも至らない状態であるのが、今の日本である。

そんな環境の中、自分自身の年齢を踏まえると「年齢のダイバーシティ」ということが、ホンマにこれからの人材活用における重要な課題だと痛感する(笑)

最後に、特に新入社員に対するリーダーシップに必要なものとして推奨したいのが、「アタッチメント(愛着・愛情)」のスマートな活用である。

「アタッチメント(愛着・愛情)」とは、精神科医のジョン・ボウルビィが1969年に著書「Attachment and Loss」の中で述べた考え方で、「ピッタリと寄り添う愛情」とでも言えるものであろう。
「赤ちゃんや子供が不安を感じた際、母親や身近にいる親しい人にピッタリとくっついて安心しようとする行動」のことである。
赤ちゃんや小さな子供は、抱っこをしてあげると大いに安心するものである。
これは大人でも全く同じであり、怖い時や不安な時は誰かにくっつくと安心するのである。
まさに、新入社員に対し「ピッタリと寄り添う愛情」を、大人向けにスマートに活用することをお勧めする次第である。

1230夜 『一般システム思考入門』 ジェラルド・ワインバーグ − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

社長!若い人らはアンタをこんな目で見てまっせー!

日本の生産性が低いのはCEOがアホやからか?

コンプライアンス・ラプソディ!

「ほぼ日手帳」売上の快挙に喝采!

ウォシュレットの世界制覇はあるか?

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レクリエーション介護士!

あのヤスキヨの西川きよしさんの「私の履歴書」を読んでいたら、「レクリエーション介護士」のことに言及されていた。
まったく初めて耳にし、「何じゃコレは?」と興味が湧いてきた次第である。
すると「レクリエーション介護士」とは、2014年に始まった、比較的新しい資格でだと分かった。
ここで使われているレクリエーションとは単純な娯楽の意味ではなく、高齢者の生きる喜びと楽しみを生み出すことを目的として行われることが求めらている。
今、介護の業界では大変重視され始めているようだ。

考えてみれば、これは当然のことである。
「レクリエーション介護士」とは、介護における「笑いの力!」の実践版の資格なのだ!

西川きよしさんのお話の中には、相手の懐に抵抗なく入っていけるお笑い芸人のコミニュケーション力は、介護の世界とも相性がいいようだ。くつろぎと笑いで施設内の空気も変化するとあった。
さらに吉本興業においては、若手芸人で30人以上が「レクリエーション介護士」の資格を持つとのこと、誠に心強いことである。
ガンバレ吉本興業の「レクリエーション介護士」!と応援したくなって来る。

なお、ここで我事として思い出したのが、6年ばかり前に母の介護問題が浮上した際、慌てて色々と調べまくった中で知った「ユマニチュード」のことである。
その当時、何度も何度もこの「ユマニチュード」の解説を読み返した時の切ない思いが蘇り、年柄もなくシンミリとしてしまう次第である。

「ユマニチュード」とは「人間らしさを取り戻す」という意味をもつフランス語の造語である。
日本ユマニチュード学会の解説によると、
「ユマニチュード」ではすべてのケアを一連の物語のような手順「5つのステップ」で実施する。
この手順は
1・出会いの準備(自分の来訪を告げ、相手の領域に入って良いと許可を得る)
2・ケアの準備(ケアの合意を得る)
3・知覚の連結(いわゆるケア)
4・感情の固定(ケアの後で共に良い時間を過ごしたことを振り返る)
5・再会の約束(次のケアを受け入れてもらうための準備)の5つで構成されている。
いずれのステップも、「4つの柱」を十分に組み合わせたマルチモーダル・コミュニケーションを用いる。

「4つの柱」=「見る技術」「話す技術」「触れる技術」「立つ技術」は、あなたを大切に思っていることを相手にわかるように伝える技術である。

https://youtu.be/NIEIjBBw9Ss?t=39

相手をどんなに大切に思っていても、また優しくしたいと思っていても、その気持ちは相手が理解できるように表現しなければ、相手には届きません。ユマニチュードの「4つの柱」はケアを受けている人に対して「あなたは私にとって大切な存在です」と伝えるための技術です。ここで重要なのは、この「4つの柱」は一つだけではうまくいかないということです。ケアをする時にはこの柱を同時に複数組み合わせて行うことが大切で、このことを「マルチモーダル・ケア」と呼びます。
つまり「複数の(マルチ)要素(モーダル)を使ったコミュニケーションによるケア」を行うのです。

叶うならば、レクリエーション介護において、日本の「笑いの力!」とフランス生まれの「ユマニチュード」を融合させた新しい日本独自の介護方式を確立してもらいたい!

もしこれを確立させたならば、これから大量の高齢者がワンサカと出てくる中国やインドにも売り込んで、しっかりと稼ぐことも夢ではないかも知れず(笑)

1681夜 『嗜癖する社会』 アン・ウィルソン・シェフ − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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人生は旅!

「量子力学」の不思議を丸ごと煮詰めた結晶!

「量子力学」の不思議を丸ごと煮詰めた結晶とは?
2022年のノーベル物理学賞の内容を、そのイメージだけでも少し理解したいと思っていたら、JBpressで小谷太郎さんが素人にも分かり易く理解してもらいたいと努力をされていた。

その解説の標題は、
「量子もつれ」と「ベルの不等式」を犬の散歩でたとえると?
となっていたので、少しは分かるかもと思いチャレンジしてみることにした。
そんな試みの結果がこうである。

まずは、ミクロな物体の物理法則である「量子力学」には、私たちの常識や直感が通用しない。それがあらわれたのが「量子もつれ」であり、「ベルの不等式」である。「量子もつれ」を制すれば、ミクロの世界が支配できて、量子コンピューターも作り放題になるだろうと言われているそうだ。

しかし、この「量子力学」の物理法則は、それまでの物理学の常識に反している大変奇妙なもので、こんなおかしな主張は受け入れられないという人も大勢いた。アインシュタインもその一人であった。
「量子力学」の宇宙の法則は位置と速度を同時に定めることを禁じているのである。
「そんなの絶対おかしいよ!」
「本当は決まっているのに「量子力学」からその値が導けないのは、「量子力学」が不完全な証拠だ! もっとマシな理論があるはずだ!」
と、アインシュタインは反論したのだ。

そして、アインシュタインたちは、「量子力学による物理的実在の記述は完全と考えられるか」=「EPR論文」を発表して、ほら「量子力学」はこんなにおかしい、と主張したのである。
「EPR論文」で、2個の粒子のペアをうまく作ると、片方の粒子Aの速度を測定すれば、もう一方の粒子Bの速度も分かるように調整できるのだと。
この「EPR論文」で示された粒子のペア状態は、今風の言い回しでは「量子もつれ(entanglement)」と呼ばれている。「量子もつれ」にある粒子のペアは、片方の物理量を測定すると、もう片方の物理量が分かるのだ。

<ここまでのイメージは理解できたが、次からが大変になった。
それはこうである。>

さて、「量子もつれ」状態は位置と速度以外の物理量を利用しても作ることができる。現在大人気の研究対象は「スピン」という物理量だ。
ここでは便宜上、ミクロな粒子の「スピン」を、「矢印のようにある方向を向いていて、測定装置にかけると、こちら向きか、あちら向きか、という2通りの測定値が得られる物理量」と説明しておく。

ただし実際には、ミクロな物体の持つ「スピン」という物理量は、これに相当するマクロな現象が存在しない。「スピン」の振る舞いは、見たり触れたりできる日常の物理現象と全然ちがうので、喩えやモデルやイメージで理解することがほとんどできない。

<頭がこんがらがって来た!>

<しかし、無理もないようだ!>

「量子力学」を大学で教わる学生は誰でもみんな、「スピン」という不可思議な概念を、頭をかきむしりながら数式をたどって理解しなければならないそうだ。

<そこで、小谷太郎さんは素人の為に犬を使ってこんな風に説明してくれるのである!>

「スピン」の量子もつれを説明するには、犬が2匹必要である。
タロとジロは「量子もつれ」状態にある犬だとしましょう。
 
タロとジロは遠く離れた別の場所で別の飼い主に飼われています。「量子もつれ」の業界では、ふたりの飼い主をアリスとボブと呼ぶ慣習があります。
測定者Aと測定者Bという意味です。
アリスがタロを東へ散歩に連れ出そうとすると、タロは素直に東に行く場合もあれば、西へ走って行く場合もあります。ボブがジロを北西へ連れ出そうとすると、ジロは北西、または正反対の南東にも走って行きます。

タロとジロは「量子もつれ」状態にあり、もしも同じ方向の散歩に連れ出そうとすると、2匹の反応はそろいます。

「スピン」の東西方向の成分と、南北方向の成分という、ふたつの物理量は、同時に正確に決めることができないのです。
どちらかを測定すると、もう一方が不確定になるのです。

タロとジロが(量子力学を使わず)どんなプランを立てても、この確率は75%より高くできません。平均して4回に1回は違った向きに走り出します。これが「ベルの不等式」です。

一方、「量子もつれ」状態にあるタロとジロは、それよりも高い87.5%の確率でだいたい同じ向きに走り出します。
違った向きに走るのは平均して8回に1回で、古典力学を使う場合の半分です。

大した違いに思えないかもしれませんが、実はこれは恐るべき違いです。
タロとジロは「ベルの不等式」を破り、古典力学では不可能な原理で情報を共有するのです。

少々不正確な表現ですが、2匹は光速を超えた速さでもう一方の散歩の向きを知るのです!

この2個の粒子の「量子もつれ」でも十分不思議なのですが、3個になるとまた飛躍的に不思議になります。
タロを東へ、ジロを北へと散歩に連れ出すと、2匹の「量子もつれ」は壊れますが、ここでサブロを散歩に連れ出すと、「量子もつれ」が復活するのです。

タロが東向きまたは西向きに走りだすさまは、量子コンピューターの素子である「量子ビット」の0と1とみなせるのです。
そして東向きや西向きのタロやジロやサブロを線形結合して作った状態は、量子コンピューターの内部で走り回って因数分解やフーリエ変換やデータベース検索を高速でやってのける能力があるのです(が、まだ実現していません)。
「量子力学」にアインシュタインが噛み付いたことから始まった「量子情報理論」は、なんだかこの世界の原理を明らかにし、今や量子コンピューターの夢まで見せてくれるのです。

というような解説の概説です!

うーんと唸り、正直分かったような分からないような気分です!

しかし、小谷太郎さんのこの御努力にはただただ感謝であります!

小谷太郎さんのお話を御自分で確認したい方はどうぞ下記へ!

「量子もつれ」と「ベルの不等式」を犬の散歩でたとえると? 2022年ノーベル物理学賞、本当は分かりやすい量子もつれの話(1/7) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)


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