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戦争とは何か!

ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!

77年前の1945年8月6日午前8時15分「ヒロシマ」には濃縮ウランを用いた原爆リトルボーイが、三日後の8月9日午前11時2分「ナガサキ」にはプルトニウムを用いた原爆ファットマンが世界で初めて投下されました。

世界の中で唯一の被爆国である我日本だけが有する、二つのThe Principal Ground Zero が「ヒロシマ」&「ナガサキ」です!

一瞬の間に「ヒロシマ」で14万人以上、「ナガサキ」では7万人以上、合計で21万人以上の方々が亡くなられました!

ヒロシマ
ナガサキ

そんな日を迎えようとしている2022年8月の今、ロシアがウクライナに侵攻し悲惨な戦争が始まってもうすぐ半年にもなります。

また、先日米国のペロシ下院議長が台湾を訪問したことに対する報復と称し、中国共産党の人民軍は空母も動員して艦船で台湾を包囲して脅しています。

戦争とは即ち、人災であります。いかなる表現を用いようとも、これは変わらぬ事実です。戦争が自然に生じることはあり得ないことです。必ず我々人間が、人為的に起こすのが戦争です。

ただでさえ、地球温暖化による気候変動により自然災害が世界中で著しく増加し、疫病は只今もコロナの真っただ中にあります。

そんな自然災害と疫病に悩まされながら、「ヒロシマ」と「ナガサキ」の原爆投下から77年を迎える今でも、我々人類が人災である戦争を回避する知恵を持つに至らないことが情けなくてなりません。

半世紀以上昔の子供の頃、テレビの鉄腕アトムを見ながら信じて憧れた平和で安全な21世紀は何処へ行ってしまったんだろか?歴史は繰り返されるでは、冗談でも済まされないことです。

取り急ぎ準備すべきことは、欧州の国々が第一次世界大戦と第二次世界大戦における被害に懲りて安全保障の面でNATOを創り、以後は戦争をしていないことを参考とし、アジアにおいてもアジア版NATOのようなものを創るべきだと思います。

その際に注意すべきは、米国がソ連が崩壊した後もずっとロシアをNATOから排除してきた現在の失敗を鑑み、中国を排除することなくカタチはどうであれ実質的には中国も取り込むことに大いに知恵を絞るべきです。

なお、その際プーチン大統領から頼むからロシアも仲間に入れてくれとの依頼があれば、素っ気なく断らずに検討してあげることもあってよしかと。(笑)

最後に標題をThe Principal Ground Zeroとしたことにつきまして一言申し上げます。1945年の原爆投下以来Ground Zeroは長らく原爆の爆心地との意味でしたが、2001年の9.11テロ事件の後には米国において、標的にされたワールドトレードセンターの跡地も同じくGround Zeroと呼ばれるようになりました。米国の皆さんの深い悲しみを思うとそのように呼ぶようになったことも理解できますので、それはそれでよしです。

但し、「ヒロシマ」と「ナガサキ」は9.11とは明らかにレベルが異なります。ハッキリと区別は必要と常々考えていましたので、今回初めてThe Principal Ground Zeroという言葉を造りました。

0832夜 『国破レテ』 村上兵衛 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/0832.html

『国破レテ』は、2003年の8月6日に書かれていました!

記憶に残るG7ヒロシマ!

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさ!

日本社会と外交への願い!

非核三原則に関する国会決議の実状!

「倜儻不羈(てきとうふき)」という言葉!

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戦争とは何か!

沖縄県民斯ク戦ヘリ!

2024年6月23日は第二次世界大戦後79年目の沖縄慰霊の日である。

慰霊の日とは、沖縄戦で犠牲となった我国民だけでなく、敵も含めた20万人以上の方々の霊を慰め世界の恒久平和を願う日であります。

過去の話ではなくまさに今現実にガザやウクライナで起きている惨状を思うと、この慰霊の願いが時空を超えて世界中に広がることを願うばかりです。

なお、20万人以上の犠牲者のうち、軍人ではない一般の犠牲者は推計で約10万人でした。即ち、当時の沖縄県民の4人に1人が命を落とした壮絶で悲惨極まりない戦いでした。

1945年3月23日から6月23日の三カ月間に亘り行われた戦闘で、敵であった連合国側将兵の犠牲者は2万人強です。

そうです、日本側の犠牲者は一般の沖縄県民が約10万人、日本軍の将兵が8万人です。軍人の犠牲者よりも一般の沖縄県民の犠牲者が2万人も多かったということです。

勿論、日本の本土もヒロシマ、ナガサキの原爆を始め、全国の主要都市のほぼ全てがB29による爆撃で焼け野原とされましたが、日本の中で敵味方が死力を尽くす戦争が行われたところは、唯一沖縄県のみでした。

まさしく沖縄の皆さんが、有無をいう暇すら与えられずに日本を守る為の盾の役割を当時の国から強要されたのです。

この歴史は我々日本の国民全員が忘れてはならないことです!

この戦いの中で最後の海軍沖縄司令官が東京の海軍次官に宛てた有名な電報文「沖縄県民カク戦エリ」がありました。

海軍の沖縄方面司令官であった大田実少将が、自決する1945年6月13日の一週間前に多田武雄海軍次官宛に発信した電報です。

なお、沖縄戦時の沖縄県知事であった島田叡と大田少将は、戦闘の最中でも密接な連絡を取り合い、二人は「肝胆相照らす」仲であったといいます。大田が最後に残した電文中にある「県知事より報告せらるべきも」「本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども」の冒頭文の文言は、本来民間人の苦労を伝えるのに最も相応しいのは、「県民に関して、殆ど顧みるに暇なかりき」と言った自分達軍人ではなく、最後まで彼ら県民と共にあった島田達であるはずであるが、既に沖縄県庁の組織自体に通信能力が無く、やむを得ず大田が、行政官である島田に代わって県民の姿を伝えるという意思から綴られたと考えられています。

以下その電文ですが、フリー百科事典「ウィキペディア」Wikipedia より引用させて頂きました。

この多田海軍次官に宛てた太田少将の電報には極めて明白な特徴がありました。
即ち、当時の訣別電報の常套句だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」などの言葉は一言も使わず、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えています。

原文
文中の□部分は不明
発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

現代語訳
沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝されながら窮乏した生活に甘んじ続けている。

しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。


どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。

さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。

食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。

沖縄県民はこのように戦い抜いた。

県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

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戦争とは何か!

3月10日は東京大空襲の日!

太平洋戦争の末期も近い1945年3月10日に東京大空襲があり、11万人以上といわれる民間人が犠牲になりました!

2011年3月11日の12都道府県に及んだ東日本大震災は、犠牲者1万5900人、行方不明者2523人でありました。

かたや東京大空襲は、狭い東京という一地域でのことです。

その大きな要因は「焼夷弾」です!

米国の悪智慧で有名な参謀が、木造建築の多い日本の家屋に対しより効果的な被害を与えるにはコレだと考えたそうです。

結果は悲しいかな、まさにその通りとなりました!
東京だけではありません、全国津々浦々の主要都市が軒並み空襲を受けたのです。

「焼夷弾」の空襲による火災は、普通の火災とは違います!

火災により猛烈な旋風が引き起こされ、吹き付けて来る火が高熱の竜巻となって、ホントにモノが飛び、人が飛ぶのです!

立ち上がりその場を逃れようといくらもがいても、そんなことは不可能な状態になのです!

助けを求める声が、焼夷弾の爆音や強風の音に混じり誠に凄惨であったのは、どこの空襲も同じでした。

私の母も地方都市にて空襲に会い、幸い家族全員無事ではありましたが、家はシッカリと焼かれてしまいました。

市の象徴として市民が見慣れたお城の天守閣までもが、一夜にしてその姿をかき消しました!

「焼夷弾」を落とすのは爆撃機のB29ですが、そのB29を護衛する戦闘機も多数襲来しました。戦闘機は日本の戦闘機がもうほとんど無い状況を知らされていたので、空襲をサポートし終えて帰る際には燃料の節約から銃弾を消費、つまり民間人を目がけてバリバリと打ちました。母も狙われ、すぐ間近で機銃掃射の銃弾が「ヒュンヒュンヒュン」と音をたてたそうです。そのときパイロットの顔をハッキリと見たとのことでした。

これはもう80年近く前のことですが、情けないことに同じことをこの21世紀の今ロシアがウクライナに対して行っているのが現実であることに、人間の愚かさは今も昔も変わらないというだけに終わらせてはならないと思います!


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