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エリザベス女王の後を追うように愛犬ナナも逝く!

年の瀬も迫り今年も残り僅かになったことから、いろいろな思い出が頭の中をグルグルとしていたが、しっかりと愛犬への思いを整理することとした!

今年2022年9月9日にはエリザベス女王が御逝去!
その三日後の9月12日に当ブログのアイコンである愛犬ナナも後を追うように逝ったのである、まさに大往生であった!
前日もいつものようにトイレは庭でさせてよねと要求し、さすがに大小ともに僅かではあったがキチンと用は足したのである。
ナナを元気な時のイメージで座らせるスタイルで用を足させる為、お腹をさすりつつ我が両手で優しく支えるのである。
この一年半寝たきり状態であったが、ベッドでのトイレをいつも嫌がった!プライド高きナナちゃんであった!
お陰でこの夏も、我が両腕は蚊に刺され放題であった!

今年もお花見で大好きなサクラを堪能しました!

実はその一月程前の8月2日にはナナより一歳若いミミーゴこと愛犬ミミが腎不全により逝った。
ミミは身軽で敏捷にて牛若丸の如きジャンプをするスゴイおてんば娘であった!
そのミミも老いてゆっくりと歩くのがせいぜいとなってはいたが、まさかナナよりも先に逝くとは思ってもいなかった!

さらに思い出すと、もう二年以上前となる2020年の節分には伊達男?の愛犬ルーカスが逝った。
実にりっぱな男?らしい最後であった!
だんだん食べることが難しくなっていたが、亡くなる前日も家の庭の中をシッカリと優雅に散歩をしたのである!
そんなルーカスがまさか翌日眠るように逝くとは思ってもいなかった!

ナナ、ミミ、ルーカスみんな20年近く共に過ごした我が家族である。
しかし、5歳で誤診により逝った愛犬メルとは違い、それなりの大往生であったことには救われる思いである!

今では愛犬クロことクロムェルが一人?ぼっちになり、時折寂しそうな表情を見せている。まるで「どうしてボク一人なの?みんなどこに行ってるのかな?」と言いたそうな顔をするのである!走るのが大好きな子であったが、今は腰を痛めてヨチヨチ歩きしか出来ない、この子も20年近くとなる家族である。

こんな思いを巡らせると、30年近く前に最初に我家のワンコとなった愛犬ココのことも思い浮かんで来る。

ココを飼い始めた頃、運転はあまり好きな方ではないが、初めて新車を購入した嬉しさから、東京と田舎の間を運転し人生で初めて東名高速道路を往復した。

往きの道ではココだけが同乗していたことが今では懐かしい!

ありがとさんワンコたち!

犬は人間の最も古い「親友」 DNAから判明 – BBCニュース

日本のワンコ!

きつかったペットロス!

いのり・祈り・Prayer!

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いのり・祈り・Prayer!

人は手を合わせ祈る、人はなぜ祈り、祈りは何をもたらすのか?

そんなことを思った時、自分のことを振り返れば、正月の初詣でこそキチンと手を合わせるが、その他はもっぱら困った時の神頼みである。

しかし今年はロシアのウクライナ侵攻による戦争が始まったり、安倍元首相の暗殺事件、車の中に幼児を置き忘れての死亡事故、幼児の虐待死など、思わず心の中で祈ることしか出来ないことがたくさんあった。

今年も残り僅か半月ばかりとなり、改めて祈りのことを考えネットを検索してみると、そんな祈りを研究されている先生方がおられることを初めて知った!

先生方とは、京都府立医科大学名誉教授の棚次正和先生と筑波大学名誉教授の村上和雄先生ご両人のことである。

その先生方がナントこんなふうに仰っているのだ!

祈りは、自らの願望や懇願のためだけにあるのではない!

感謝や愛、思いやり、従順、誠意、畏敬のためにも、人は祈ることができる!

祈ることの効果の一つは、祈る人の心に新しい良いものを芽生えさせてそれを培うことにある!

例えば、希望の祈りとは、その希望の芽を祈りとともにダンダンと大きく育てることである!

個人の祈りや願いが天に通じるとき、心は落ち着き、心の中に中心軸ができ、ブレない生き方ができるようになる!

このことを人間は太古から直感していたのであろう!

鳥が大空を舞い、魚が水の中を泳ぐように、人は自然な本能として太古から祈って来たのである!

人は無力だから祈るのではなく、祈りには思いもよらない力があるから祈るのである!

祈りには空間を超えた「現実的な効力がある」ことが、現在科学的にいくつも検証されている!

祈り Prayer !

日本語の「祈り」の語源解釈に共通しているのが、「いのり」の語の構成は「い+のり」であるということである。
「い」は神聖なものを指し、「のり」は法(のり)や告(のり)と同根であり、みだりに口にすべきではないことばを口に出す、という意味がある。
さらに「い」は呼吸(いき)や生命(いのち)のことをも指している。これに着目すると、祈りは息や神聖なものを宣言することを指している。

つまり生命の宣言である!

生命の根源の響きをことばに乗せて響かせる。生命を根源から生きることという意味である!

生きるということの具体的な姿は、生命の根源から息をするということ、つまりイキイキと生きることが「いのり」の意味だ!

この解釈から考えると、人間は弱い存在だから祈るということではないとわかる。鳥が大空を舞い、魚が水の中を泳ぐというのは、自然な本能として普通に行っていることだ。

人間の場合も、自然本性として祈るのである!

祈りは何をもたらすのか?

祈りがもたらすものについては次の三つの要素がある。

その一つ目が霊性の開顕。

霊性とはスピリチュアリティともいわれる。仏教では仏性になるが、私たちは仏性をもともと持っていることを自覚するということだ。
私たちは生命の根源から放たれた一筋の光のようなものである。光であることを自覚するということ。これは祈りの実践をとおしてこそ、この自覚が深まっていく。真言宗の場合、大日如来と自分が一体であるという自覚だ。大日如来という根源的な仏が自分のど真ん中に鎮座している。自己と超越者がひとつに結ばれることである。

二つ目は他者との絆を再認識するということ。

人間はそれぞれ個に分かれている。肉体によって個が別れているようにみえるのでである。だから生きていると孤独を感じたり孤立感を深めたりさまざまな問題が生じる。ところが、祈るたびに自分と他者が心では繋がっているということが、再認識される。私も、他者も根源から放たれた同じ光だと理解できる。だから他者との争いは意味をなさない。するとこの世界は平和になる。自己と他者がつながる。

三つ目は自然との共生。

自然界の事物はみんな仏性を持っている。ばらばらに分かれて見えているけれど、全てはひとつの生命につながっているということだ。

自然との共生に気がつくことができる。このような話をすると、単にあなたがそう思っているだけじゃないかともいわれる。仏道の修行を積んでいる方はすぐわかる話だが、そうでない方はピンとこない。そこで、祈りが持っている治癒効果を科学的に実験した研究があるので、それをご紹介したい。

祈りの治癒効果に関する科学的研究とは?

我が日本では祈りや瞑想に関する科学的研究は、残念ながら大変遅れている!

その一方、日本人の精神性には相当に深いものがあるといえる!

なぜ日本の科学者達がそれを研究しないのか誠に不思議だ!

欧米ではこの種の研究はホントにたくさん行われて来たのだ!

サンフランシスコ総合病院の心臓病専門医のランドルフ・バードは、心臓病集中病棟の患者約400名を、祈られるA群と祈られないB群にランダムに分け、祈る人と祈らない人がお互いにわからないようにして、全米から集めた祈り手による祈りの治癒効果を調べる実験を行った。1998年に報告された結果では、抗生物質を必要としたのは、A群は3名、B群は16名。気管内挿管を必要としたのは、A群は0名、B群は12名であった。

このことから、祈りには治癒効果があり、その効果は空間的な距離が障害にはならないことがわかったのである!

もしも祈りのエネルギーが物理的なエネルギーだとしたら距離の二乗に反比例するが、そうではないのだ。つまり、心とは非局在的なものなのだ!

心はどこにあるかというと、頭や心臓、お腹などの体の特定の部位にあるのではない!

いわば、心は体の枠をはみ出ているのだ!

さらに嬉しいことには、祈りは「祈る人」と「祈られる人」その双方共に良い効果をもたらすことも分かって来ている!

また、アメリカの民間研究機関スピンドリフトでは、1970年代から祈りが与える影響力を研究し、ライ麦や大豆の種子に対して祈り、祈った種子とそうでないものを比べた。すると祈ったものの方が発芽率が高かった。またストレスに対する影響も調べたところ、塩水にひたしてストレスを加えた方が発芽率が高かった。このような実験を積み重ねて概念的全体の法則が分かった。これは個別に祈った影響がおなじ概念で括られる集合全体にいき渡るということだ。そして、具体的に何かをイメージして祈る目標指向の祈りと、目標をイメージせずに大いなるものに任せるように祈る非目標指向の祈りの効果にも差があった。非目標指向の方が良い結果が出たのだ。

つまり、米国の「スピンドリフト」という研究グループの実験によって、下記の3つの重要な法則が統計的に検証された。

1. 祈りには量的効果がある(多くの人が祈るとより効果が大きくなる)
2. 方向性を設定せぬ祈りに、質的な効果が見られる(「こうであってほしい」と祈るより、ただ最善を祈ることで、最善の方向への調整が促進される)
3. 困難な状況への祈りは、効果が高い

アメリカ国立衛生研究所に在籍していた医学研究者であるラリー・ドッシーは、今後医学がどのような方向にいくかを示唆している。
第一期は唯物医学といい、肉体だけを対象にして行う医学だ。
第二期になると心身医学となり、心と体の相関を視野にいれたもので現在はこれに当たる。
第三期は非局在医学になるといっている。
普通の病院は臓器別に診療科が分かれているが、非局在医学では、肉体のどこかに病気の原因が局在化しているとは考えないので、最終的には医者に行かなくても治療ができる。
画像診断の遠隔治療は現在でもあるが、それどころの話ではない。患者と医者が地球の裏側くらい離れていても治療ができる。医療のありかたも今後大きく変わっていくはずだ。
これは、人間という存在をどのように捉えるかという話にもつながる。肉体という塊のなかに収まっているのが人間ではない。肉体から心は大きく離れているし、無限大に広がっている。そういう人間の捉え方が今後出てくるわけで、そうなってくると医療の有り様が変わってくるはずだ。

2012年に棚次正和先生と村上和雄先生は、協力されて祈りと遺伝子の研究を始められた。祈りそのものではなく、護摩行に関する実験である。真言僧侶と一般信者を対象に、護摩行の前後に採血をし、DNAマイクロアレイによる遺伝子発現解析と、メタボローム解析により血中の代謝産物を調べたのである。
それと同時に、共感性プロセス尺度というのを用いたアンケート調査を行われた。その結果、僧侶型遺伝子があるということが分かった。それはインターフェロン関連遺伝子という自然の免疫を活性化する遺伝子であった。

また、遺伝子以外にも僧侶型代謝産物(分岐鎮アミノ酸、マイオカインなど)というのも見つかっている。そして、それらの因子と心理的な共感性の関連の度合いを調べると、僧侶の方が共感性の度合いが強い。

共感性というのが、仏教でいう慈悲の心と繋がっているだろうと以前から推定されていたが、これらの間に相関関係があることが分かったのだ!

以上、先生方のお話から「祈りは何をもたらすのか」という問いに対し、祈りには「現実的な効力がある」ということをご理解頂けたことであろう。もっぱら宗教者のものだと思われている祈りを万人に開放し、我々一人一人が自然本性として祈っているということをシッカリと腹から理解をしなければならない。

イキイキと生きることが祈りなのだから、イキイキと生きている人は自然と祈っているのである。そして、生きることと祈ることの間に深いつながりがあることに早く気がつくべきである。

みなさん、とにかくイキイキと生きて祈りましょう!

参照1:智山教化センター第33回 愛宕薬師フォーラム
講師:京都府立医科大学名誉教授  棚次正和 先生の「手を合わせると-人はなぜ祈り、祈りは何をもたらすのか」

参照2:産経新聞 正論 筑波大学名誉教授・村上和雄 祈りとは「生命の宣言」である

 1524夜 『祈りの心』 木下晋 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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中国人民解放軍空軍を育てた大日本帝国陸軍!

1945年8月の日本の敗戦により、8年間に及ぶ日中戦争は終わりを告げた。しかし、中国ではまたすぐに中国国民党と中国共産党による内戦が再開された。

当時、空軍を保有していなかった中国共産党の八路軍は、なんとかして空軍を持つことを熱望していた。

そこで徹底したリアリストである政治家毛沢東は、早急に空軍を創るため旧大日本帝国陸軍航空隊の残留部隊の軍人と飛行機を利用して中国共産党の空軍を創ることを決めたのである。

このように中国共産党にとって都合のよい時に、大日本帝国陸軍をうまく利用するノウハウは、ずっと一貫する政治家毛沢東の得意技の一つであった。

1945年8月、中国共産党中央委員会は空軍創設のため東北部に航空学校を設立することを決定し、同年8月~9月にかけて、ソ連や中華民国空軍で航空技術を学んだ者、中国共産党中央党校、中央自然科学院、俄文学校などから引き抜いた精鋭30名余りを東北部に派遣した。

そして1946年3月に設立されたのが、東北民主連軍航空学校であった!

即ち、東北民主連軍航空学校とは、1946年3月1日に設立された国共内戦期の八路軍の航空学校。第二次世界大戦終結後、大日本帝国陸軍の関東軍第2航空軍独立第101教育飛行団第4練成飛行隊長林弥一郎少佐を始めとする、隊員300名余りが教官となって八路軍のパイロットを育成したのである。

この学校は、旧大日本帝国陸軍の日本人教官による指導のもと、後に中国人民解放軍空軍の屋台骨を支えるパイロット126名と飛行整備士322名を始めとする560名の航空技術幹部を輩出することとなった。

この東北民主連軍航空学校での練習機には、大日本帝国陸軍の一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」、九九式高等練習機や大日本帝国海軍の零戦三二型などが使用された。

大日本帝国海軍の零戦三二型!

それが、今を時めく中国人民解放軍空軍の礎となったのだ!

中国人民解放軍空軍のJ-10B 通称ファイアーバード

東北民主連軍航空学設立の経緯は、1945年10月、旧大日本帝国陸軍の林弥一郎少佐が瀋陽の東北人民自治軍総部で林彪、彭真、伍修権から八路軍空軍設立を要求され、隊員の生活保障を条件として空軍設立に協力することを受け入れたことにある。

1946年1月1日に八路軍の航空総隊が設立され、2月3日の通化事件では、林少佐や中華民国政府に協力しようとした飛行隊員は逮捕され、航空技術を持たないものは炭鉱送りとされた。2月5日、常乾坤に引率された航空幹部10名が通化に到着。3月1日、通化中学敷地内に東北民主連軍航空学校として正式に開校した。

通化事件(つうかじけん)とは、1946年2月3日に中国共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の叛乱蜂起と、その鎮圧後に行われた中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊による多数の日本人らに対する逮捕とそれに伴う虐待や虐殺事件。日本人犠牲者数について諸説あるが、少ない説で戦闘時の死者も入れて約800人、多い説では約3000人の死者が出たとされ、その中には蜂起に参加さえしていなかった一般市民が多数いたとみられている。中国では通化二・三事件などと呼ばれている。

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』国共内戦、東北民主連軍航空学校、通化事件、零式艦上戦闘機、J-10 (航空機)

0188夜 『中国の赤い星』 エドガー・スノー − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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洋の東西を問わず古代社会は「鳥占い」!

我々の「瑞穂の国」は、日本書記の国生みの神話の中に、イザナギとイザナミが夫婦のマグワイの仕方が分からずにいたところにセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る仕草からマグワイの仕方を知ったという伝承を有する国である。

神代の昔から日本人も「鳥占い」を含め、鳥とは密接な関係があったことをよく現わした伝承であろう。

現在、ほとんどの「鳥占い」は消失してしまっているが、それらは文字の中にその姿をとどめている!

甲骨文字を含む漢字学の大家、東洋哲学の巨人である白川静博士は、「中国の文字において、『隹、唯、雖、誰』『應(応)、雁、鷹、䧚(雍)、擁』『雇、顧』『進、津、夼、携(攜)』、『厈、奪、奮』など、その習俗を直接に反映すると思われる多くの文字があることは、鳥の民俗を考える上からも、極めて貴重な資料といわなければならぬ。

そしてそのような習俗は、おそらく遠い無文字時代からあったものが、文字の成立する時期において、そのような観念を含むものとして文字的に形象化されたものであるから、その最古の観念をそこに定着させているものと考えてよい」と語っておられる。

神社の鳥居に関して昨今では、鳥居の起源は中国南部からタイ、ベトナムに分布する越族に求めるとする考え方が主流となっている。以下、鳥越憲三郎の『古代中国と倭族』・『古代朝鮮と倭族』の中ではこんな風に書かれているのだ。

タイ北部の山岳地帯に住むアカ族のロコーンと呼ばれる村の門の上には、数羽の木彫りの鳥が据えられている。また村の周りには結界を意味する注しめなわ連縄が見られる。門柱の根元には裸の祖父・祖母の像が向き合って立っている。これは「鳥居は陰陽交感の表也」に通じている 。

また、朝鮮南部には蘇塗ソッテといって、石を円錐状に積み上げその頂に鳥形の自然石を置く風習が今もなお残っている。また、低い石積みを作って、鳥の形象物を先端につけた木を立てる風習があり、これもまたソッテと呼ばれている。さらに、その低い石積みの上に天下代将軍・地下女将軍と墨書きされた柱が立っており、柱の頂には人面の木彫がある。
日本では、大阪府池上遺跡、山口県宮ケ保遺跡(いずれも弥生時代の遺跡)には木製の鳥形が出土している 。また、奈良県北葛城郡河合町の佐味田宝塚古墳から発見された家屋文鏡には屋根上に鳥がみられる。また、八王子郷土資料館にある家型埴輪の棟飾りに二羽の鳥がみられる。

これらをみると、タイのアカ族と朝鮮南部と日本には鳥の形象物を通して共通の民俗が認められる。アカ族は中国南方から戦禍を逃れて移住してきたといわれ、元は越人であった。

そう「呉越同舟」のことわざの中にある越人である!

「鳥占い」に関しては、「鳥」よりも圧倒的に「隹」字が多く使われる!

「隹」には「進」・「携」・「難」・「應」などがあり、これらは元々「鳥占い」に関わる文字であったものが、それらの祭祀的な意味が捨象されて後の意味に転じたものと思われる。

例えば、「進」の原意は「鳥占い」によって進退を決する意、「携」の原意は外出にあたって「鳥占い」のための鳥を携える意である。

「難」の原意は「鳥占い」において火矢を用いて鳥を驚かせる意、「應」の原意は「鳥占い」によって神意の応徴があることの意である。
このように、「鳥」と「隹」の文字を分類していくと、「隹」を含んだ文字群は、「鳥占い」と極めて関連性が深いということが分かる。一方「鳥」は、主に鳥の種類を表す意符として使われる。

「唯」が「鳥占い」において、神の承諾を得た肯定的神託である「しかり」であるのに対し、「雖」は「実行を保留すべし」という否定的な神の答えを意味する。

その理由は「雖」は「唯」に「虫」が付け加えられるからである。白川博士によると「唯」は巫女が祈るときの祝詞の容器を、口形として加えたものである。

その祝詞が蛇形の呪霊に侵されるときは、「雖いえども」という逆説態となると述べられている。

次に中東の古代メソポタミアであるが、この文明では楔形文字で記録された粘土板が大変有名である。

実はその粘土板に刻まれている内容の大部分は、「鳥占い」に関する文章であったのだ!

メソポタミアの人々は鳥占いが大好きだったようで、かなり体系化された占いの方法論が存在していたようである。その文章には文法的な決まりがあり、それは簡単に言うと「こういうことがあったら、こうなりますよ」という形式で、様々な前兆と出来事が結びつけられていた。

さらに、西洋の古代ローマでは、「鳥占い」がとても重要視されていた!

リーウィウスの 『ローマ建国史』 によれば、ローマ建国の時、都の中心をどこに置くかを「鳥占い」で決めたそうである。

以来、古代ローマの文化において、「鳥占い」は戦争など国家の重要なことを決定するための儀式としてドッシリと定着した!

アウグルと呼ばれる「鳥占い」専門の役人が任命されていたことは有名である。アウグルは鳥の飛び方や数、鳴き声や餌の食いつきなどを観察して読み解き、国事の吉凶を予測したのである。アウグルの仕事のほとんどは「鳥占い」であったので、鳥卜官と日本語訳されるている。

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』セキレイ

参照2:古代中国・日本の鳥占の古俗と漢字  張莉 同志社女子大学現代社会学部・社会システム学科准教授 ( 特別契約教員)

参照3:五十六謀星もっちぃ 鳥占について Jean Botter『最古の宗教 古代メソポタミア』法政大学出版局

1141夜 『稲と鳥と太陽の道』 萩原秀三郎 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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鎌倉殿の13人を超えて「御成敗式目」!

「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」は、鎌倉幕府がスタートして50年程後の1232年(貞永元年)の鎌倉時代に、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武家政権のための法令(式目)である。「貞永式目(じょうえいしきもく)」とも呼ばれる。
1221年(承久3年)承久の乱の勝利を経て、鎌倉幕府の権力は東国だけでなく西国をも含めた全国に及ぶこととなった。
承久の乱の直後から京の六波羅探題を務めた北条泰時は、「武家」が日本全国を統治する上で、指標となる道徳や倫理観、そして慣習が各地で異なることから、是非とも新たに武家社会、武家政権を統一する為の裁判規範が必要だと考えたのである。

なお、細かなことではあるが1232年(貞永元年)の「泰時消息文」には、はじめ「御成敗式目」を「式条」と呼ばせたが、朝廷の律令をはばかって「式目」と改めたことが記されている。

司馬史観とも呼ばれていた作家の司馬遼太郎さんが確かよく、「今の日本人の考え方の原型が出来たのは鎌倉時代かと思う。」と仰っていたことを思い出す。

そんな思いに浸りながら「御成敗式目」51ヶ条をまた覗いてみると、やはり冒頭の第1条にいつもナルホドと納得するのだ。

第1条「神社を修理し、祭祀を専らにすべき事」の中にあるのが
「神は人の敬ひによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ。」である。

つまり、「人が神様を敬えば敬うほど神様の御威光は増し、そのお陰で人は神様の徳により運に恵まれることになる」とハッキリと法律の一番最初に書いてあるのだ!

幼い頃おばあちゃんからも「神さんはエライんや!ちゃんと拝みや!」と何度も諭されたことを思い出す。

我々日本人がごく自然によく神社仏閣に御参りする習慣があるのは、鎌倉時代に出来た法律「御成敗式目」に今も誠に忠実であるからだと言える。

まさに800年間続く我々日本人の「コンプライアンス遵守」の伝統である!

「御成敗式目」の制定当時、公家には、政治制度を明記した律令が存在していたが、武家を対象とした明確な法令はなかった。
「泰時消息文」によれば、公家法は漢文で記されており難解であるので、武士に分かりやすい文体の法律を作ったとある。

その為、鎌倉幕府が強権をもって法律を制定したというよりも、むしろ御家人の支持を得るために制定した法律という性格を持つのだ。

また、鎌倉幕府制定の法と言っても、それがただちに御家人に有利になるという訳ではなく、訴訟当事者が誰であっても公正に機能するものとした。それにより、武家ではない荘園領主側である公家や寺社にも御成敗式目による訴訟が受け入れられてその一部が公家法などにも取り入れられた。

その結果、なんと「御成敗式目」は鎌倉幕府滅亡後においても、法令としてはずっと有効であり続けたのだ!

この事実こそが、「御成敗式目」第一のスゴミである!

足利尊氏も「御成敗式目」の規定遵守を命令しており、室町幕府において発布された法令、戦国時代に戦国大名が制定した分国法も、「御成敗式目」を改廃するものではなく、追加法令という位置づけであったのだ。
さらに「御成敗式目」は女性が御家人となることを認めており、この規定によって戦国時代には女性の城主が存在し、井伊谷城主の井伊直虎、岩村城主のおつやの方、立花城主の立花誾千代、淀城主の淀殿などが知られることになる。
江戸幕府による「武家諸法度」の施行に至って武士の基本法としての位置づけを譲ることになるが、法令としての有効性には変わりなく、明治時代以降に近代法が成立するまで続いた!

また、広く武家法の基本となっただけでなく、優れた法先例として公家・武家を問わずに有職故実の研究対象とされた(「式目注釈学」)。
もっとスゴイことは、江戸時代には庶民の習字手本として民間にも大いに普及したことだ!

世界中で庶民が「自国の法律」を書き写して文字の練習をした国は、まず日本しかないであろう!

江戸時代後期、江戸の識字率は約80%、ロンドンが約25%、パリが約2%と言われており、ダントツで江戸が世界一だ!

あの黒船のペリーさんも日本人の識字率の高さに、アメリカ人もビックリだったそうである!

蛇足ながら、二日前の12月10日に「旧統一教会 被害者救済法案 」が国会で可決された。

しかし、人にお金をせびる神はどこにもいない!

お金をせびるのは、神の名を利用する我々と同じ人間しかいないのである!

とにかく間違いないことは、神を敬うには、お金ではなく心で敬うことにするのが一番よい方法であると言える!

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』御成敗式目

参照2:コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)御成敗式目(全文)の解説

1804夜 『明恵上人集』 明恵 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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真珠湾攻撃( Attack on Pearl Harbor)&マレー沖海戦(Sinking of Prince of Wales and Repulse)!

1941年12月8日の未明、ハワイの真珠湾攻撃より70分早く、日本軍はタイ国の国境に近い英国領マレーのコタバルに陸軍部隊を上陸させた(大本営もこのコタバル上陸をもって、対英米への宣戦を布告したと報じた)。

真珠湾攻撃( Attack on Pearl Harbor)とは、日本時間1941年(昭和16年)12月8日午前3時20分(ハワイ時間12月7日午前7時50分)。第二次世界大戦において日本海軍が、米国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあった米国海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である。

マレー沖海戦(Sinking of Prince of Wales and Repulse)とは、第二次世界大戦中の1941年(昭和16年)12月10日にマレー半島東方沖で日本海軍の陸上攻撃機と英国海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘。日本海軍航空隊が英国東洋艦隊の最新型戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。

航行中の戦艦を航空機だけで撃沈した世界初の事例である!

この1年前の1940年、米国では民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が3選を果たしていた。
1940年の米国大統領選挙において、現職大統領であった民主党のルーズベルトはそれまでの慣例を破り3期目に出馬、それが大きく問題視されていた。
それでも彼は強行に出馬、選挙直前には相手の共和党候補者からルーズベルトが密かに国民を第二次世界大戦に引き込もうとしていると告発された。
ルーズベルトはこれに応えて、「アメリカの青少年をいかなる外国の戦争にも送り込むことはない!」と公約したのだ!

1914年から1918年にかけて米国からは遥か遠い欧州を主戦場とした第一次世界大戦において、米国にも約12万人もの戦死者が生じた。
その悲しみと一体何の為、誰の為の戦死だったのかとの思いが、米国民衆の心を戦争反対と平和への固い思いへと駆り立てることになっていた。
だからこそ、ルーズベルトはそんな公約をしなければならず、その公約をした彼は見事に大統領3選を実現させた。

しかし、ルーズベルトの本心は欧州を席巻するヒトラーのドイツに宣戦して英国などを救い、同時にアジアにおける日本の勢力をも削いでおくことであったと思われる。

彼にとって極めて重要なことは、米国民衆の戦争反対への固い思いを大転換させる「上手なプロパガンダ」を生み出すことであったはずだ!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』真珠湾攻撃、マレー沖海戦、1940年アメリカ合衆国大統領選挙

1092夜 『日本の失敗』 松本健一 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!

ミッドウェー・3418!

3月10日は東京大空襲の日!

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

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腸脳相関(gut-brain interaction)!

昔から「脳腸相関(brain-gut interaction)」とは、よく言われて来た。
「脳」と「腸」の関係が密接に関係しており、「脳」から「腸」へと「腸」から「脳」へと双方向の関係性も含めて指摘されて来た経緯がある。

それが最近の科学的な考えでは、順番は逆になりつつある。
つまり、「腸脳相関(gut-brain interaction)」なのだ!

そう言えば、「腹に落ちる」「腹を決める」「腹を立てる」「腹に据えかねる」「腹が太い」など、我々日本人は昔から「腹」を使った言葉をホンマにたくさん利用して来たのだ。
これを思うと、ご先祖様たちは「腸脳相関(gut-brain interaction)」の本質を、体験的にシッカリと理解していたように思えるのだ。
うちのお婆ちゃんもよく「お腹を大事にな!」とお腹をさすってくれた。
そうだ、あの寅さんもお腹を大事にして、いつも腹巻をしていた!

腹巻にもご注目!

「脳」は発生学的には「腸から生まれた」と言われる。
「腸」は体の中でもっとも起源が古い器官で、原生生物がはじめに獲得した臓器が「腸」なのである。

あの土の中の「ミミズ」の身体には「脳」も「目」もない、あるのは「腸」だけである!
もっとも、大昔には「ミミズ」にも「脳」や「目」があったが、地中生活に適応するために、「脳」や「目」を捨てて進化したらしいというのだ。

原生生物は、やがて徐々に「腸」周辺に神経細胞をもち、「腸」の動きをコントロールするようになった。
そして、この神経細胞から「脊髄」ができ、さらにそこから「脳」ができたと言われる。
つまり、「脳」は「腸の神経細胞」から「のれん分け」をされたのだ。

だから「腸」が「本家」で「脳」は「分家」である!

我々生物は「脳」を獲得するまでの長い間、ずっと「腸」で生き、「腸」で思考してきたのである!

最近の科学があらためて気付いた、「腸」こそが本家であり、「脳」は分家なのだという考え方を、今や益々大切にすべき人類80億人の時代である。

ご先祖様たちがそのようにと教えて来てくれたように!

参照1:水と健康の情報メディア「脳腸相関とは?脳と腸の関係性について解説」
参照2:漢方のスギヤマ薬局 健康になりたい 「ミミズ」に見る腸の重要性

ほんほん8 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

エムラン・メイヤーの『腸と脳』を読むと、会話は腸内の井戸端会議なんだということが、よくわかる。とのこと(草)

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人生は旅!

「サムライブルー」よ11年前の「なでしこジャパン」に続け!

11年前の2011年の女子ワールドカップで「なでしこジャパン」は、アジアの代表として初の優勝を遂げた!
「サムライブルー」には今回の2022年大会において、是非「なでしこジャパン」の偉業を実現して貰いたい!

2011年「なでしこジャパン」は優勝!

11年も「なでしこジャパン」に遅れをとることではあるが、それは許そう「サムライブルー」!

ドイツとスペインを逆転で撃破した「サムライブルー」を目にした韓国も奮起してポルトガルを見事に撃破、ベスト16へと駒を進めた。
同じアジア勢として、また隣国として嬉しい限りである。
是非今回はお互いにベスト8に駒を進め、男子ワールドカップ史上初となるベスト4を目指す日韓戦を実現して貰いたい。

ガンバレ韓国!

優勝せよ「サムライブルー」!
たとえ「なでしこジャパン」の11年遅れでも!

北朝鮮からはまるで花火大会のように、ミサイルを50発以上も打上げられても、毎度「誠に遺憾に存じます」としか言えない存在である今の日本を取り巻く厳しい政治状況!

国民1人当たりGDPでは、既に4年前2018年に韓国に追い抜かれている貧しき我が日本の経済状況!

せめてサッカーの世界だけでも夢を実現させて貰いたい!

食料品などの物価だけは値上げラッシュが続くなか、ひどい円安で益々グローバル的にも貧乏になっている日本国民、特に我々庶民の為に今ただただ優勝を祈るばかりである!

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人生は旅!

ピカピカの1年生が40年経って分かった真実!

小学1年生の時から、心の片隅にチョコット引っ掛かったまま、時折思い出してはまたは忘れることにしてきた一つの疑問があった。
それは、小学校1年生の時に教わった漢字「左右」の筆順のことである。
先生は「えーか、左はまず横の一を書いて次にカタカナのノの字を書く、そして中にカタカナのエや!」と仰り、「次に右やが、こっちはまず先にカタカナのノの字を書いて、次に横の一を書くのや。間違えんときや!そして中に口を書くんやで。」と告げられたのであった。

「そんなアホなことなんでせんとアカンの!」と当時ピカピカの1年生は大きなショック受けながら心の中で叫んだのである。
そして信じられないという思いからサット手を挙げ「先生!何で左と右で書き方の順番がそないに違うん。」とお尋ねしたのだ。
先生のお答えは「あのなーこれは昔からそんなふうに決められている。決まりごとやね。」という一言であった。

しかし、それではとても納得は出来なかったのだ。
実は先の幼稚園時代の折は今で言う「月光仮面のマンガオタク」であったことから、両親はもちろん祖母や伯母を含め身近な親しい人には誰彼となく「月光仮面の本読んでー。」とひたすらせがむ幼稚園児だったのだ。
その甲斐?があって、マンガの中のセリフはほぼ読めるようになっていた。
そうなんです!
左右の漢字は、小学校で教えてもらう前から既に読めていたのである。
そんなピカピカの1年生にとって、書いた後での読む人にとっては、左右の筆順の違いなんぞはどちらでもエエのやとしか思えなかったのだ。
そして、その時ハッキリと「どっちでもエエことに悩むのはもう止めや。」と心のなかでスパッリと決め、以後筆順は無視することにしたのである。

そして初志貫徹のまま40年の月日は流れ、四十代も半ばを過ぎた頃、あの甲骨文字を含む漢字学の大家、東洋哲学の巨人である白川静(しらかわしずか)先生を知ったことから、思いもよらぬ展開が待っていたのであった。

なんと左右の漢字の筆順の違いが、どういう理由であったのかというその謎がついに解けたのである!

まさに氷解するとはこのことであった!

古代中国の甲骨文字では、左の元の字はまずアルファベットのUの字を右に傾けて上から下に書き、後にその真ん中を貫いてカタカナのノが入れられていた。エはまだ存在しない。

そして、右の元の字はまずアルファベットのUの字を左に傾けて上から下に書き、後その真ん中を貫いて横に一がやや右下がりに入れられていたのである。口はまだ存在しない。

まるで、自分の左右の手を目の前でハの字にしたカタチそのものなのである。

そう、ピカピカの1年生が40年間無視続けて来た、まさに「昔からの決まりごと」そのものが目の前に現れて来たのであった。そのとおりの筆順であることが、ついに分かった瞬間である。

白川静先生は、およそ3400年前に書かれた漢字の原点である古代中国の甲骨文字の解明をなさる中、漢字にまつわる偉大な発見をいくつもなされて来たのだ。

実は、この古代中国の甲骨文字が研究されるようになったのは清朝末期(1899年)に、中国で遺物の骨に文字が刻まれているのが発見されてからのことである。

つまりは、たった120年ばかり少し前のことなのである!

この甲骨文字が発見されるまで、中国における最古の漢字辞典といえば、「説文解字」(せつもんかいじ)、略して「説文」(せつもん)。それは、後漢の時代西暦100年に許慎(きょしん)によってに書かれたものであった。

しかし、西暦100年の「説文解字」にとっては、その1500年前に存在していた甲骨文字の存在は、もはや歴史の彼方へと消え去って久しいものであった。つまり、漢字の原点である甲骨文字の情報を、許慎は知る由もなかったのである。

甲骨文字の存在すら知り得なかった許慎は、「説文解字」で「告」という字の注解に考えあぐね、「牛が人を後ろからつついている様」というような話を記載している。

一方、甲骨文字の解明を進めた白川静先生は、「告」という字の下の口は元の甲骨文字では、「日」に似た文字でそれは「サイ」と読むべきことを発見された。

「サイ」とは祈りの言葉を印したモノを収める、箱のような入れ物のことを示す。

さらに「告」の上は牛ではなく、祝詞を神様に捧げる時に使う幣、白木の棒などで作った祓串(はらえぐし)のようなモノを示すと発見された。

つまり、白川静先生は、「告」と言う字は「人が祈りを込めた言葉を入れたイレモノをかざして神様に御願いをする様」であるという大発見をされたのである。

従来、単に人の「口」であると思われていた「口」を、「サイ」に読み替えるケースを導入することで、多くの漢字が本来の意味を明確に示すことが分かって来たのだ。

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』説文解字

0987夜 『漢字の世界』 白川静 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさ!

米国における今話題の共和党派と民主党派の過激な論争は、まさに現代の「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさを示す最も分かり易い見本である。
日本でいうならば、安倍元首相暗殺事件や昨夕に起きた社会学者の宮台真司さんの襲撃事件も、明らかに「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさを如実に示すものである。
それは、まるで自分と異なる意見は、間違っており悪いもので無くなってしまえばいいのだと、一方的に決めつける幼稚で利己的かつ独善的な考え方である。
勿論、これには昔と比較してそうなり易い今のネット社会の在り方が大きく影響している。

今は自分のスマホで色々なニュースや情報が手軽に即座に見られる時代、それは見た目にはさもスマートに感じられることであるが、実際にはスマホの画面は既にあなたのお好みの情報に限定されてしまっているケースが多い時代でもある。
本来まともな情報収集とは、個人の好みに合わせたものだけではないはずである。自分に好ましいものもあれば、自分が好きになれないイヤな情報も相当にあるのが当たり前なのである。
ある考え方に容易に染まり易い人たちは、異なる考え方にも配慮するという訓練が足りない、つまり自分とは異なる考えに我慢する力のない修行不足なのだ。
しかし、この「我慢する力の修行」が、今や人類80億人時代を迎えた我々には益々必要不可欠になって来ているのである。
そして、「寛容さの共有」という人類の知恵こそが、異なる考え方に対しても無理なくシナヤカに「我慢する力の修行」を実践させ継続させる原動力となるものなのである。


このように思う時、日本は江戸時代に既に一度「寛容さの共有」の実現に見事に成功した歴史を持つ世界で唯一の国なのである。

それは、ズバリ「大阪のお笑い文化」のことである!

今も日本の都会は人口密度が高いが、江戸時代に経済の中心地であった大阪の人口密度はその都市面積が狭いことから、当時すでに百万人都市であった江戸よりもさらにグッと人口密度は高かったとのことである。
そんな超過密人口の中における「人付き合いのノウハウ」として、大阪という都市が辿り着いたのが「寛容さの共有」であり、その実践ノウハウが「大阪のお笑い文化」であったのだ。
「人間とは皆なかなか我慢ができず、すぐに口論やケンカを始めてしまうもの」との問題提起に対し、その解決法として「大阪のお笑い文化」を生み出し進化させたのである。

「大阪のお笑い文化」は江戸時代に大阪に住んだ人々が、お互いの生活の心地よさ求め合うなかで到達した「寛容さの共有」の権化だったのである!

個人的な思いを言うと、今もし昔の松竹新喜劇のあの藤山寛美さんが現役バリバリでいらして、米国で1年間でも興行が出来たなら、共和党派や民主党派のみなさん共に「大阪のお笑い文化」を学び、互いの論争を今少しは次元の高い内容に高め得るはずだと思うのである。
しかし、それはもう出来ないことである。

せめて今海外へも目を向けて頑張っている大阪の吉本興業さんに「大阪のお笑い文化」のさらなる輸出拡大を期待するばかりである。

お笑いの輸出に関しては、どこの国でも規制されるいわれはないはずだから!

上方と江戸の笑いには違いがある!豪胆にして繊細、落語家・笑福亭純瓶師匠インタビュー | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)


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