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日本人が忘れた歴史、麻薬アヘンの歴史!

阿片(アヘン)やモルヒネ、ヘロインの原料となるのがケシである!

日本におけるアヘンの歴史は、文献に見える古い記録では、梶原性全(かじわらしょうぜん:1265年~1337年)の鎌倉時代を代表する医学全書『頓医抄』の中に、すでに「罌粟(けし)」の用語が見られるという。

その後の室町時代には、南蛮貿易によってケシの種がインドから津軽地方(現在の青森県)にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある。

江戸時代を通じては現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで栽培されたが、いずれも少量で高価であり、用途としても麻酔などの医療用や投獄者への自白剤などに限られていたようだ。

寺島良安『和漢三才図会』(1713年頃)巻百三には「阿片」や他の生薬、辰砂などと調合した「一粒金丹」なる丸薬が止瀉薬として紹介されている。この処方箋は備前岡山藩藩医木村玄石の手によるといい、これが元禄2年(1689年)弘前藩藩医和田玄良に秘薬として伝わったという。

後の弘前藩藩医の和田玄春による寛政11年(1799年)の効能書には鎮痛や強壮が謳われている。この薬の評判はすぐに江戸にまで及び、歌舞伎『富岡恋山開』には「新右衛門、それでおれが、月々呑まそうと思って、伝手を頼んで、津軽のお座敷で所望した一粒金丹」という台詞が残されるまでとなり、江戸市中で売られていたようである。

大坂では天保8年(1837年)摂津道修町の薬問屋奉公の太田四郎兵衛が種子を持ち帰って栽培し、はじめてアヘンの製造に成功したとの記述もあるという。

一方国外においては、清朝の中国ではアヘン戦争(1840年~1842年)の敗戦以後、大量の中国人が東南アジアや東アジアへ移動しており、それとともにアヘンも拡大していった。

明治時代の1877年には日本の横浜でイギリス商人によるアヘン密輸事件であるハートレー事件が起ったが、治外法権を行使されてハートレーは無罪となった。

この事件に際し、イギリス領事館から逆に法制度の未整備を指摘された明治政府は、1879年(明治12年)5月1日に薬用阿片売買竝製造規則(阿片専売法)を施行した。

この法律において、政府は国内外におけるアヘンを独占的に購入し、許可薬局のみの専売とした。購入は医療用途のみとし、購入者及び栽培農家は政府による登録制とした。この専売制は政府に利益をもたらし、日清戦争の戦費となったのである!

1894年の日清戦争後、下関条約により清から台湾を割譲させて植民地とした日本は、台湾においてアヘンの製造と消費が一大産業になっていることを知りビックリするのである。台湾総督府衛生顧問だった後藤新平は伊藤博文に日本によるアヘン専売を建議し、1897年には台湾阿片令が敷かれる。同令においては、すでに常用者である台湾人は登録のうえアヘン購入を許可されたが、日本人、および中毒者でない台湾人の医療目的以外のアヘン使用は禁止された。

1898年の阿片令では、台湾総督府専売局による専売が始まった。後藤は台湾のケシ栽培を課税対象とし、段階的に課税を厳格化することで、40年をかけ台湾のケシ生産を消滅させる一方、内地では、二反長音蔵(にたんちょう おとぞう)などのケシ栽培を積極的に後援し、1935年頃には日本のアヘン年間生産量は15tに達した。台湾総督府は、日本産アヘンの台湾への輸出・販売により、莫大な利益を得たのだ。

特に1932年に満州国を建国した後の日本は、益々朝鮮や満洲の熱河省、遼寧省、内モンゴルなどでケシ栽培を奨励し、第二次世界大戦中は満州産アヘンに高額の税をかけ戦費を調達したのであった!

阿片(アヘン)やモルヒネ、ヘロインの原料となるケシであるが、ケシから採取される阿片汁を乾燥させたものを生阿片(しょうあへん)という。

その生阿片からアヘンが作られ、アヘンからモルヒネ、モルヒネからヘロインが作られる。

2024年の今、薬物の乱用は『ダメ。ゼッタイ。』という普及運動が政府により推し進められている時代には、信じれられない話であるが、百年ばかり前の時代には麻薬の生産が政府により大いに奨励されていたのである!

百年ほど前には前述の明治政府の政策に始まり、日本の各地にて生阿片が生産されていたのだ。
昭和初期、和歌山県は日本一の生阿片の生産地だったという。有田郡、日高郡が中心ながら、熊野地方でも生産されたそうだ。
1928年(昭和3年)の統計だと和歌山県の農家から出荷された生阿片の量は8091.8kg。全国の生産量の63.1%が和歌山県産であったという。なお、残りのほとんどは大阪府の生産であったそうで、和歌山県と大阪府で全国の98%を占めていたのである。この双方の地の農民にはケシ栽培の長い伝統があり、農民がケシ栽培のノウハウに長けていたからであった。阿片王と呼ばれた二反長音蔵(にたんちょう おとぞう)のケシ栽培は、故郷である大阪府の現在の茨木市からスタートしていた。

稲の裏作でケシが栽培され、ケシ坊主(ケシの果実)から阿片汁を採取する作業は子どもや女性が中心となっていた。採取時期には学校が休校となって作業に従事したそうだ。

繰り返すが、当時アヘンの生産は国策として行われたのである。もちろん、モルヒネは戦場で負傷した兵士の痛み止めとして必要不可欠な医療品ではあった。しかし、一方ではやがて世界一のアヘン生産国となる日本は、国内や植民地では専売制を敷きながら、中国には密輸して、アジア諸国に中毒者を生んで大きな利益を上げ、国家財政を潤したのである。

そのような流れの中で、1935年(昭和10年)には日本のモルヒネ生産額は世界4位、ヘロイン生産額は世界1位(世界の生産額の4割)。即ち、日本が世界一の麻薬生産国となったのであった!

アヘン – Wikipedia

アヘン戦争 – Wikipedia

二反長音蔵 – Wikipedia

和歌山県はかつて日本一のアヘンの生産地でした – み熊野ねっとブログ (mikumano.link)

白い花、農家には隠された使途 日本が採った悪魔の戦略 [戦後75年特集] [和歌山県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)

満州国を今みんなのケーススタディに!

麻薬鎮痛剤「オピオイド」と合成麻薬「フェンタニル」、米国の闇!

日本社会と外交への願い!

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本気で平和を唱えるならウクライナと同じ様にガザの人々を支援すべし!

ガザで起きているパレスチナの人々へのイスラエルによるホロコースト!
たった4ヶ月ばかりの間に、多くの子どもたちを含む3万人近い人々が殺されている!
本気で平和を望み、平和を唱えるのならばウクライナへの支援と同じ様に、ガザの人々を支援すべきだ!

いや本当であれば、こうなるずっと前に平和を唱える人々はガザの人々を支援すべきであったのだ!
世界の人々はダブルスタンダードの欺瞞を知りながら、ワザと目をつぶりガザを見ないふりを続けて来たのである。正直に言うと、自らもまさしくその一人であった!

ところがロシアがイスラエルと同じことをすると、まるでそんなことが初めて起きたかのように、慌ててウクライナ支援を始めたのである。
同じことは既に、ガザでずっと前から起きていたにもかかわらずである!

まさにこの事実が、グローバルサウスの国々がロシアの戦争には反対でも、ロシアだけが悪いとは見做さない理由であろう。
グローバルサウスの国々からすれば、至極当然にロシアとイスラエルがしていることに大きな違いはない五十歩百歩であると見えてシラケた思いになるのであろう。

https://youtu.be/H0ux0vUPFlA?si=FOugjWx22Ic9qWbD

もはやウクライナだけ、ガザだけの平和を唱えるのではなく、ガザもウクライナも両方まとめて同時並行で平和に向けた対応を始める時である。
問題の本質は、イスラエルのガザ空爆とロシアのウクライナ侵攻の双方にリンクし繋がっているのである。

我々は、誰かの都合によるダブルスタンダードの欺瞞とは、急ぎ決別しなければならないのだ!

まずウクライナ支援と同様にガザを支援することから始めなけらばならない!

なお、その際には原則中立のグローバルサウスの国々が持つ考えを尊重すると共に、その智慧を大いに発揮して貰うことが大事なポイントである!

特に、ガザのパレスチナの人々に対しては、過去に何度もウソをついて騙して来た歴史を持つ欧米の我が身に覚えのある国々は、その身の程をわきまえて、慎んでグローバルサウスの国々の意見を尊重すべきである!

ウクライナ危機で存在感増す「グローバルサウス」①変わる国際秩序 | ウクライナ危機で存在感増す「グローバルサウス」 | 三菱総合研究所(MRI)

プーチンとネタニヤフとがデュエットで「Imagine」唄いて平和は来ぬか!

プーチン大統領とゼレンスキー大統領がお忍びでcome to japan、四国へお遍路に出かける物語!

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京の掟(おきて)は三ヶ条「遅れの哲学、暈し(ぼかし)の美学、入会いの論理」!

これは三十代半ばの若き証券マンの頃に、我が敬愛する上司より直接伺ったお話である。

今や懐かしい昭和も終わりに近い頃の京都でのお話だ!

上司が副支店長として京都支店に着任後、しばらくして最初の接待の折の話である。当時会社として明治の時代から長らく贔屓にして来た格式の高い京都のお茶屋での、初めての接待のエピソードであった。

宴席がお開きとなるしばらく前に、そっと仲居さんから女将がお客様をお見送りの後、少々時間を賜りたいとの伝言があったそうである。

宴席も大いに盛り上がりお客様もいい御機嫌でお帰りになった後、しばらくすると女将がやって来てまずは礼を述べた後言うには、「申し送りで代々引き継いで参りました、京の商いの掟をお伝えさせて頂きます。」とのことであった。

女将が言う、京の掟とは、「遅れの哲学、暈(ぼか)しの美学、入会いの論理」の三ヶ条であった。

女将の説明によると、「遅れの哲学とは、つまり二番煎じが本当に美味しゅうおます。最初の成功者をよく観察して素早く見習うのがよろしゅうおす。」「暈(ぼか)しの美学とは、つまりイエスかノーかはハッキりさせたらあきまへん。いづれにも解釈可能な態度と対応が身の安全につながるんどす。」「入会いの論理とは、入会い地のように自分と相手にはそれぞれ複雑に入り組んだ領分がお互い共ににあることをよく考えて商いをおやりやす。」という風な話であったという。

さらに女将は最後に一言、「よく皆さん女は、焼きもち焼きやといわはりますけど、男はんの焼きもちの方がもっとエゲツナおすえー!」とのたまわれるたそうである。

蛇足ながら、真偽の程は不明であるが、当時の日銀の京都支店長の任期はあることをきっかけに、代々1年に限るという慣例になった、との艶聞ガラミのうわさも伺ったことも思い出した。

お金持ちの気持ち!

明日から株を始めたい方、とくに若い方へ!

円安や円高やと言う前に!

今は円の危機、昔はドルの危機!

営業の方々への応援歌1!

四枚のプレートの上で踊る我が日本!

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ヒトラーもカフカも、フロイトやドラッカーもこの帝国で生れた「オーストリア=ハンガリー帝国」!

1914年から1919年にかけて行われた第一次世界大戦は、主戦場がヨーロッパであったこともり、日本は参戦はしたが大きく関わることはなく、漁夫の利を得た大戦であった。そのため、日本人からすると実感としては印象の薄いことは否めない世界大戦であったかも知れない。しかし、この大戦の結果は凄まじい内容であった。なんと世界に君臨した大きな帝国が、4か国も崩壊し消えてしまったのである!

第一次世界大戦の結果、各地で革命が勃発し崩壊した4つの帝国とは次のとおりである。

  1. ドイツ帝国: 第一次世界大戦の敗北により、ドイツ帝国は崩壊した。
  2. オーストリア=ハンガリー帝国: 同様に、オーストリア=ハンガリー帝国も第一次世界大戦の結果として解体された。
  3. オスマン帝国: オスマン帝国は第一次世界大戦に敗北し、その後消滅した。
  4. ロシア帝国: ロシア革命により、ロシア帝国は崩壊し、ソビエト連邦が成立した。

これらの4つの帝国の崩壊は、世界のバランス・オブ・パワーに大きな影響を与え、その後の新たな国際秩序が形成される契機となったのである。

余談ではあるが当時を想像するに、時の大正天皇や皇太子であられた昭和天皇におかれては、特にドイツ帝国とロシア帝国、これら両帝国の革命による崩壊については、相当なショックがおありだったに違いなかろう!

日本においても第一次世界大戦後には、民本主義に基づいた一般民衆の生活の向上、また言論や出版及び集会の自由の拡大、さらに一般民衆の政治参加を要求する、いわゆる大正デモクラシーと呼ばれる時代に突入するのである。

閑話休題、崩壊した4つの帝国の中の1つであるオーストリア=ハンガリー帝国。これこそが、あのヒトラーやカフカ、フロイトやドラッカーたちが生を受けた帝国であった!

ヒトラーは、1889年にドイツ系オーストリア人としてオーストリア=ハンガリー帝国のオーバーエスターライヒ州のブラウナウにて生まれた。

ヒトラーが正式にドイツ国籍を取得したのは、1932年のことであったそうである。ドイツ大統領選挙に出馬のためであった。当時は、ドイツ系オーストリア人はほぼドイツ人みたいなものだという感覚もあったのであろう。1938年にドイツの首相となったヒトラーはオーストリアを併合するが、ヒトラーからすると至極当然のことと考えていたような気がしてくる。

『変身』で有名な作家カフカは、1883年にオーストリア=ハンガリー帝国のプラハ(現在ではチェコの首都)でユダヤ人の家庭に生まれている。

心理学、精神医学、心理療法、人文科学全体には大きな影響を及ぼし続けているフロイトは、1856年にオーストリア=ハンガリー帝国のモラヴィアのフライベルク(現在ではチェコの都市)でユダヤ人の毛織物商人の子として生まれた。

「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management) の発明者として知られるドラッカー は、1909年にオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれている。

あらためてオーストリア=ハンガリー帝国とは、かつて中央ヨーロッパに存在した多民族国家である。ハプスブルク帝国の一つで、ハプスブルク家領の最後の形態である。
ハプスブルク家(ハプスブルク=ロートリンゲン家)の君主が統治した連邦国家であり、国家連合に近い。1867年に、従前のオーストリア帝国がいわゆる「アウスグライヒ」により、ハンガリーを除く部分とハンガリーとの同君連合として改組されることで成立し、1918年に第一次世界大戦に敗北して解体するまで存続した。

その領土には、オーストリア・ハンガリー・ボヘミア・モラヴィア・シュレージエン・ガリツィア・スロバキア・トランシルバニア・バナト・クロアチア・カルニオラ・キュステンラント・スラヴォニア・ブコヴィナ・ボスニア・ヘルツェゴビナ・イストリア・ダルマチアなど、多くの地域を抱える大国だった。
「オーストリア=ハンガリー帝国」以外の慣用的な呼び名としてはオーストリア=ハンガリー二重帝国、オーストリア=ハンガリー君主国などともいう。

1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が起き、その混乱に乗じてオーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナ両州を併合した。ここにはセルビア人が多く、南のセルビア王国への帰属を望む人々が多かった。またムスリムも多く、彼らはオスマン帝国への帰属を望み、一方カトリック信者はオーストリアへの帰属を望んでいた。そうした民族だけでなく宗教的にも複雑な地域を無理やり併合したオーストリアへの反感があがるのも当然のことだった。その後、2度のバルカン戦争を経て、バルカン半島は「汎ゲルマン主義」と「大セルビア主義」、それに加えて「汎スラヴ主義」が角逐し、個々の民族間でも対立が激化して「ヨーロッパの火薬庫」の様相を深めていった。

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公は妻ゾフィーとともにボスニアの州都サラエボを軍の閲兵のために訪れていた。オープンカーでパレードしていたところに、ボスニア出身のセルビア人で民族主義者のテロリスト、プリンチプが、この皇位継承者夫妻を銃撃した。2人は奇しくも結婚記念日のこの日に暗殺された。これを「サラエボ事件」といい、ヨーロッパ中に戦乱を告げる狼煙となった。オーストリア軍部はこれを口実にセルビアを討つことを叫んだ。国民は最初は大公暗殺に関しては冷めていたが、貴賤結婚だった大公夫妻の葬儀は簡素に行われ、これが市民の同情を誘い、「セルビア討つべし」の声が高まったのだった。

後年、英国首相のチャーチルは、「前身がオーストリア帝国であるオーストリア=ハンガリー帝国。このハプスブルク王朝が滅亡しなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の歴史を経験しなくともすんだであろう。」と語っている。

そのチャーチルは1965年に亡くなるが、その後も1991年から1995年にかけて、クロアチアのユーゴスラビアからの分離独立、および国内でのクロアチア政府とセルビア系住民による自治政府の対立をめぐるクロアチア紛争が起きている。

さらには、1992年から1995年まで続いたユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナの悲惨な内戦も生じた。別名、ボスニア紛争やボスニア戦争とも呼ばれるものだ。
この紛争は、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立を巡って民族間で勃発し、3年半以上にわたり各民族が同共和国全土で覇権を争って戦闘を繰り広げた。結果として、死者は20万人、難民・避難民は200万人に上ると言われ、戦後の欧州で最悪の紛争となった。
この内戦は、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の3つの民族勢力が対立し、最終的には「民族浄化」合戦が繰り広げられた。この紛争は、多くの人々の命を奪い、国内難民の大量発生、そして民族間の対立をもたらしたのだった。

チャーチルではないけれど、何だかオーストリア=ハンガリー帝国の時代を懐かしんだ人々が、きっとホンマに大勢いたような気がして来る。

ドイツ帝国 – Wikipedia

オーストリア=ハンガリー帝国 – Wikipedia

オスマン帝国 – Wikipedia

ロシア帝国 – Wikipedia

「1910年の韓国併合」の光の面だけを、敢て客観的に見つめた場合!

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WHYイスラエルでホロコースト生存者は、弱い犠牲者と見なされ軽蔑されたのか?

1948年の建国当初100万人程であったイスラエルの人口は、1950年代~60年代には世界中からユダヤ人の移民流入が相次ぎ、1970年代には300万人台にまで拡大した。 さらに、1991年のソ連崩壊前後に旧ソ連圏からのユダヤ人の大量流入が起こり、再度、人口は大きく増加し2000年には680万人となった。 その後、21世紀にはいると在外ユダヤ人の流入は減ったが、合計特殊出生率が3以上という高所得国としては異例に高い出生率を背景にイスラエルの人口は伸び続け、2022年には970万人に達している。

そのような人口推移の中で、ホロコースト生存者の3分の2以上が最終的にイスラエルにやって来た。そして、今日では推定30万人がイスラエルに住んでいる。彼らはイスラエルへの到着時に同胞から抵抗しなかった弱者と軽蔑され、笑われることがあったという。イスラエル国家が軍事崇拝主義のシオニストの戦闘員に率いられていた時代、彼らは抵抗をしなかった弱い犠牲者と見なされたのだ。

ホロコーストによる600万人のユダヤ人の死は、イスラエルの政治指導者のイデオロギーと国家の存在そのものに長い間顕著に利用され続けてきたが、実際にホロコーストを経験したイスラエル人は、しばしば沈黙のうちに苦しみの記憶をイスラエル国内で背負っていたのである。

イスラエルの作家トム・セゲヴは、著作の「The Seventh Million: The Israelis and the Holocaust」(Hill & Wang)の中で、ホロコースト生存者の苦悩に満ちた秘密をこのように描写している!

ホロコーストの生存者と二世の心理社会的支援のためのイスラエル国立センター(Amcha)のジョン・レンバーガー所長は「私たちの社会は沈黙の陰謀を抱えていました!」と述べている。さらに「イスラエル国家が始まった当初、人々はホロコーストを知りたがらなかった。彼らは弱いユダヤ人の話を聞きたくなかったのです。50年経った今、多くのホロコーストの生存者が心を開いています。彼らはホロコーストのことを話したいと思っているのです。」と添えている。

トム・セゲヴはレンバーガー所長とのインタビューの中で、「生存者が声を上げたいという願望は、ホロコーストのより成熟した検証を反映した、イスラエル社会のより大きな変革の一部である。」と述べた。また、「ホロコーストの生存者たちはいつも、なぜ抵抗できなかったのかを説明することから始めます。非常に申し訳なさそうな口調です。」と彼は言う。「これは1950年代から受け継がれているものです。彼らは抵抗しなかったと非難された。これは、私たちの歴史の中で非常に英雄的なことにばかりに光が当てられていた時代でした。」と。

「しかし、今の若い人たちは、その質問すらしません。」とトモ・セゲブは言う。「今日の人々は、はるかに洗練され、成熟した態度を持っています。彼らはホロコーストの被害者に同情する能力を発達させました。生き残った人たちは、国が恥じていた時代から今も生きており、今の子供たちはもはや恥じていません。」とも。

トム・セゲヴの明快な主張は、「イスラエル人はホロコーストの教えを歴史の中に置き、国家が造り出した神話から取り除く必要がある。」ということである!

「あれはサタンの仕業ではなかった、あれは人間の行為だった。社会的、政治的条件がそれを可能にした。同じことを繰り返さないようにするのが私たちの責任です。」とトム・セゲブは明言しているのだ。

以上の話からよく分かることは、建国当初から半世紀以上にわたるイスラエルにおける、軍事崇拝主義の考え方の大きな問題点の存在である!

建国当初からイスラエルにおいては、同胞のしかも、あの過酷なホロコーストの生存者に対する対応に、そもそも既に大きな問題を抱えていたのである。それを思うと、敵と見做されたパレスチナ人へのイスラエルの対応が、どのようなものであったかは容易に想像がつく話である。

あらためて言うと、同胞であるホロコーストの生存者に対し、抵抗しなかった弱者と軽蔑する国民意識に満ちたイスラエル社会が、敵と見做したパレスチナ人に対し弱者として寄り添うなどということは、とうてい無理な話であったことが分かる。

だからこそ、その延長線上に今現在行われているガザへの空爆とガザへの侵攻があるのである!

イスラエルとパレスチナの今後の平和共存については、イスラエルの作家トム・セゲヴの言う、今の新しい考え方が出来る若い人々に期待するしかないのかも知れない!

イスラエルのホロコースト生存者の秘密の苦しみ – ワシントン・ポスト (washingtonpost.com)

ホロコースト – Wikipedia

オバマ元米大統領も大いに憂うガザへの祈り!

今この時もイスラエルの悲惨な空爆を受けているガザとは?

パレスチナの風刺漫画の主人公、少年ハンダラは今も10歳のまま生きている!

イスラエルには慎み(つつしみ)を、パレスチナにはテロの排除を求めたい!

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パレスチナの風刺漫画の主人公、少年ハンダラは今も10歳のまま生きている!

このブログは去年の2月に最初に書いたものである。

1年以上が経ち、もうすぐ今年2025年5月15日「ナクバの日」も近い。しかし、今も相変わらずイスラエルはガザでの虐殺を続けているのだ!

イスラエル軍が攻撃を続けるパレスチナ自治区ガザで、国連のWFP(世界食糧計画)は先月4月25日、「ガザ地区で最後の食料を配り終えた。備蓄が底をついた」と明らかにし、支援物資の搬入を直ちに認めるよう訴えているのだ!

パレスチナの風刺漫画の主人公である少年ハンダラはナージー・アル=アリーの漫画の代表作となり、パレスチナ人のアイデンティティと強い抵抗の象徴的なシンボルであり続けている。このキャラクターは「戦争、抵抗、そしてパレスチナ人のアイデンティティを驚くほど明瞭に描いている」と評されている。

ハンダラの10歳という年齢は、1948年のイスラエルの建国に伴なうナクバによってパレスチナを強制退避させられ、占領された祖国に帰還出来るまで成長しなかったナージー・アル=アリー自身の年齢を表している。

彼は次のように語っている。
「ハンダラは10歳で生まれ、これからもずっと10歳です。私が祖国を離れたのはその年齢でした。ハンダラが帰還する時、彼はまだ10歳で、そしてその後成長し始めます。自然の法則は彼には適用されません。 彼はユニークです。 祖国が返還されたら、物事は再び正常に戻るでしょう。」と。

悲しいことに、そんな彼自身は1987年に亡命先のロンドンで何者かによって暗殺され、既にその短い生涯を終えている。

しかし、少年ハンダラは今も10歳のままパレスチナの人々と共にまさしく生きているのである!

毎年5月15日は、「ナクバ(1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの地に住んでいたアラブ人が居住地を追われ、難民となったことを嘆く日)」である。
1948年のイスラエル建国にともなって、パレスチナの人々のほとんどが、家、土地から強制的に追い出され財産を失った。「ナクバ」とは「大惨事」を意味する。ナクバでは、シオニストの民兵によって531のパレスチナ人の村が地図から消され、70以上の虐殺が行われた結果1947年から1949年の間に1万5千人以上のパレスチナ人が死亡した。それ以来、故郷の村や町、都市に戻る権利を否定された結果、パレスチナ人の約80万人が難民となり、土地に残った人の4分の1が国内避難民となったのだ。

2024年の今、ガザでホロコーストの渦中にいるパレスチナの人々の多くが、当時の難民の子孫なのである!

かつて1967年国連理事会は、国連決議242によって中東における公正かつ恒久的な平和のために以下のような原則を定めた。すなわち、1967年の戦争によって占領された地域からイスラエル軍が撤退すること、すべての要求および交戦状態を終結させ、かつこの地域におけるすべての国家の主権、領土保全、政治的独立、および、武力による威嚇もしくは武力の使用から解放された、安全かつ承認された国境線内において平和に生活する権利を尊重し、承認すること、であった。決議242はまた、「難民問題の公正な解決」の必要も確認した。

さらにイスラエルとエジプト、シリア間の1973年の戦争の後、安全保障理事会は国連決議338を採択し、決議242の原則を再確認し、「公正かつ恒久的平和」の実現を目指した交渉を呼びかけた。これらの決議は中東の包括的解決の基礎となっている。

そして、1987年からの中東和平プロセス(1987‒2016年)では、パレスチナの独立と建国を求めて、パレスチナ人による蜂起(インティファーダ)が西岸とガザ地区の被占領地で始まった。1988年、パレスチナ民族評議会(PNC)はパレスチナ国家の樹立を宣言し、国連総会はその宣言を承認した。総会は、また、そのオブザーバーとしての地位を損なうことなく、国連システムの中でパレスチナ解放機構(PLO)を指す場合は「パレスチナ」と呼ぶことに決定した。

2005年、イスラエルはガザ地区から軍隊と入植者を一方的に撤退させた。パレスチナ国家と共に、平和への道を歩むことを選んだのである。2月、アリエル・シャロン・イスラエル首相とアッバス議長がエジプトで会談し、暴力停止の措置を発表した。6月に再び会談し、なんと9月までにはイスラエルの撤退が完了したのだ。

しかし、こうした明るい進展があったにもかかわらず、政治的展望を変えてしまった二つの出来事が2006年1月に起こった。平和を希求したシャロン首相は脳卒中にかかり、昏睡状態に陥った。そして、パレスチナ議会選挙では、パレスチナ人は強硬派のハマスに投票し、ハマス派が第一党となったのである!

そして今がある。ガザはイスラエルの空爆と軍事侵攻により、パレスチナの人々にとってはまるでホロコーストのごとき場所となっているのだ!

現在も、グテーレス国連事務総長が懸命に停戦を呼び掛けているが、ホロコーストはいまだ止まない!

今は共に亡きハンダラの作者ナージー・アル=アリーやリアリストであったイスラエルのシャロン元首相の願った平和の実現を心から祈るばかりである!

ハンダラ – Wikipedia

中東 | 国連広報センター (unic.or.jp)

今この時もイスラエルの悲惨な空爆を受けているガザとは?

イスラエルには慎み(つつしみ)を、パレスチナにはテロの排除を求めたい!

イスラエルのネタニヤフ首相が自分の命と引き換えに、人質全員の解放を求める夢を見た!

プーチンとネタニヤフとがデュエットで「Imagine」唄いて平和は来ぬか!

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悲しいけれど、こんな政治家たちを選んだのは我々自身であった!

政治家たちが、引き起こす数々の恥ずかしいスキャンダルやら犯罪にホトホト嫌気がさすものの、所詮そんな情けない政治家たちを選んだのが我々有権者であると思うと、忸怩たる思いになるのである!

選ばれた政治家とは、選んだ有権者たちの民度、即ち我々有権者の知的水準や教育水準や文化水準など諸々のレベルを示す「鏡」でしかないのである!

米国で言うならば、トランプ前大統領を一度大統領に選んだのも、米国民全体の民度によるものなのだ!

共和党の予備選で既に二連勝とし、二度目のトランプ大統領の可能性も今また高まっている最中である。

よりマシな政治家を選ぶには、我々有権者が自分たち自身の民度をアップさせる為に、たゆまぬ努力をすることが各人に求められるのである。考えればホンマに面倒くさいことや!

しかも選挙とは、色々とネットなどで調べて熟慮の末になされる一票も、丁か半かで即決される一票も共に同じ一票なのである。困るのは、丁か半かで即決した結果の方が、マシなことも多々ある現実である!

そんなこんなに思いを巡らせると、ホンマ取り敢えずはボヤキの唄しか出て来まへん!

1:裏金を ポッポに入れて 知らん顔 そのやり口が 許されんのよ!
2:派閥など あろがなかろが 構わぬが 金の出入りを ネットで示せ!
3:犯罪を 口では無くそう いうヤツが 裏でコソドロ やってた訳よ!

4:政党や 政治家たちに デジタル収支 金の流れを すべて透明に!
5:まず野党 会計ホンマに クリーンやと 数字ハッキリ 見せてから叫べ!
6:与野党を 問わず政治家 国民は 信じてないと 肝に銘じよ!

7:代議士に 徒党を組めと 誰言うた 一国一城 主の気迫ぞ!
8:代議士も 連続当選 二回で区切り 政治俯瞰す 智慧を養え!
9:ホンワカと 派閥に守られ 金貯めて どこが庶民の 代表なんや!

10:ヤットコさ 党首交代 共産党 タムトモ党首で 時代に添うべし!
11:せっかくの 看板替えを 生かせるか ホンマに民主か 皆んな見とるで!
12:毛沢東 学ぶべきなり リアリスト 他は怖いんで あまり真似すな!

13:民族は 社会の集団 すり込み合い 遺伝子関係 あんまりなくても!
14:だからこそ 千年前の 親戚を ヘイトしてる 子孫おるおる!
15:民族の イメージ言葉に 酔いしれて 遺伝子関係 置いてけぼりも!

16:災害の 関連死無くす TKBは 良きトイレに キッチンとベッドやと!
17:イタリアは 腕利きのシェフ ボランティア 政府と連携 飛んで来るそうや!
18:日本の 智慧も負けずに ホンキ出せ オモテナシとは 観光向けなんか!

19:半世紀 前の家族の スタイルで フリーズしてる 日本の福祉!
20:高齢の お一人さまの 入院は 民政委員の 付き添い求む!
21:急病で 付き添い探し 手間かかり 治療遅れて 南無阿弥陀や!

22:国敗れ 米国に食 助けられ もっとお食べと リコメンドあり!
23:米国の 農家喜ぶ 作物を ドンドン輸入 国策となり!
24:日本の 食が変わりて 病増え 今米国は 和食がブーム!

25:日本人 メシ食う為に 12兆円 原油並みに 輸入で払い!
26:そのくせに 食える作物 廃棄して 知らん顔にて 何してまんね!
27:今食べる それ作ったの 誰なんか そんなことなど 思いもよらずに!

28:猪木亡き 国会議員 誰一人 ガザへは行かぬ 平和憲法!
29:平和の危機 ここが野党の 見せ場なり 何もせずして 何が野党ぞ!                           30:この日本 平和憲法 叫ぶなら お待ちなせいと 首相ガザ行け!

1からわかる政治資金事件 自民党派閥 安倍派・二階派の会計責任者 虚偽記載罪で東京地検特捜部が在宅起訴 安倍派 岸田派 二階派 森山派 解散へ いったい何が? | NHK政治マガジン

日本を今一度、洗濯せねばならぬ時かも!

日本社会と外交への願い!

忘れたらアカン大日本帝国憲法における「天皇機関説」のups and downsの悔しさを!

将来の人口減少が明白な日本各地に、「難民受け入れ特区」を設けよう!

日本の若者よ世界の為にも「国連職員」を目指せ!少なくとも10倍の1万人へ!

「1910年の韓国併合」の光の面だけを、敢て客観的に見つめた場合!

日中国交正常化50周年に想う!

孫中山こと孫文の夢!

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人生は旅!

ガザの空爆とウクライナ侵攻を思えば「ヒロシマ」&「ナガサキ」を思い出す!

パレスチナ自治区ガザの保健当局は先日の2024年1月21日、イスラエルとイスラム組織ハマスによる10月の戦闘開始以降、パレスチナ側の死者が2万5千人を超えたと発表した。

ガザ保健当局によると、これまでに確認された死者は2万5105人となった。大部分が民間人で、多くは女性と子どもだという。被害をこれ程に大きくしたのが、イスラエルによる空爆である。

たった3ヶ月ばかりの間に、なんと2011年3月の東日本大震災による犠牲者約2万人をも超える、戦争による犠牲者数なのである!

一方、ロシアのウクライナ侵攻による民間人の犠牲者について、国連の人権監視団は昨年2023年11月21日、一昨年2月の侵略開始以降1年9カ月で、ウクライナでの民間人死者数が少なくとも1万人に達したと発表した。確認には時間を要するため、実際の死者数は「さらに多い可能性がある」と説明している。

ここで参考までに、1945年8月「ヒロシマ」と「ナガサキ」に落とされたタッタ一発の原爆のエゲツナさを記しておく、一瞬の間に「ヒロシマ」で14万人以上、「ナガサキ」では7万人以上、合計で21万人以上の方々が犠牲になられたのだ!

https://youtu.be/qgJ4uxNV_WU?si=YwbXEJeOMeg1FTuc

1:外務省 害務省には ならぬよう 平和外交 今こそやろよ!
2:日本の 平和憲法 今こそや ガザにウクライナ 出番でござる!
3:地味なれど 平和をかざす 外交が 信用される 時代は来たり!

4:イスラムも キリスト教も 仏教も それ出る前の 世の中恋し!
5:どの宗教 信じたれども 平和来ず これは神さん おサボりなりや!
6:人の世に 神さんおわす その意味は あんまりアホな ことしなさんなや!

7:イスラエル  パレスチナへの  入植と  ロシアの侵攻  そっくりやがな!
8:アレはよく  コレは悪いは  オカシイは 悪いことすりゃ ワルは皆ワル!
9:民主でも  専制主義でも  戦争が  ワルいことには  変わりないがな!

10:イスラエルと 同じことして ロシアだけ なんで悪いと 欧米は言うの!
11:もうやめよ 欧米得意の 二枚舌 あっちもこっちも ワルはワルやで!
12:グローバル サウスの皆さん 白い目で G7見る ごもっともなり!

13:ガンバりや 南アフリカ ICJで 昔の言い訳 今では通じずと!
14:ラグビーで 優勝したる 精神で 反則アカンと 世界に示せ!
15:ICJ 今の常識 考えて 人類の為の 気概を示せ!

16:自己主張 その成れの果てが 戦争だ 譲り合う心 あらばさはならず!
17:譲れること まず探しなよ プーチンさん ゼレンスキーさんも そうしなはれや!
18:時間かけ 譲れないこと 話しても 時間は無駄に なるだけのこと!

19:忘れなや ガザの空爆 日本も かつてチャイナの 都市空爆すを!
20:中国に 爆弾落として 米国に 原爆落とされ 帝国消ゆる!
21:ひとごとに 済ますまいぞや 空爆を やられた方の 怨みは消えず!

ガザの死者2万5000人超に、イスラエルとハマスの戦闘開始後 – BBCニュース

国際司法裁判所 – Wikipedia =ICJ

プーチンとネタニヤフとがデュエットで「Imagine」唄いて平和は来ぬか!

プーチン大統領とゼレンスキー大統領がお忍びでcome to japan、四国へお遍路に出かける物語!

ガザの休戦期間の4日間を利用し、日本の支援でNHK「のど自慢大会」を!

イスラエルのネタニヤフ首相が自分の命と引き換えに、人質全員の解放を求める夢を見た!

今この時もイスラエルの悲惨な空爆を受けているガザとは?

イスラエルには慎み(つつしみ)を、パレスチナにはテロの排除を求めたい!

ハマスのテロの背景にある原点の一つ「バルフォア宣言」!

ウクライナでも顕著な成果「ハントフォワード(Hunt Forward)作戦」日本では?

プーチン大統領!ロシアの国旗はこのままで大丈夫ですか?

ゼレンスキー大統領からの贈り物!

ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!

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人生は旅!

米国資本主義の猛烈なモータリゼーションが、ロサンゼルス鉄道を廃止に追い込んだ!

大谷翔平選手の人気沸騰で益々注目される米国のロサンゼルス!そこの鉄道の歴史を覗いてみた!

ロサンゼルスの市街鉄道自体は 1874年日本では明治7年の 馬車鉄道をその起源に持ち、電車運行は 1886年(明治19年) にスタートした。ロサンゼルス鉄道Los Angeles Railway (LARy)は、 1895年に設立され、それ以前に存在した会社や同時期に設立された競合他社を吸収して拡大した。1901年から1963年までカリフォルニア州ロサンゼルス中央部とその周辺地域で運転していた路面電車であった。

ロサンゼルス鉄道の路線網は、最盛期には 25路線もあった。 この路線網は、中心部のロサンゼルス市内を中心に、周辺地域にも広がっていたのである。同社は、ロサンゼルスの広範囲を営業エリアとしていたパシフィック電鉄(レッド・カー)よりも多くの乗客を運んだ。ロサンゼルスにはかつて、そのレッド・カー(パシフィック電鉄)とイエロー・カー(ロサンゼルス鉄道)と呼ばれる、2つの異なる路面電車網があったのだ。 両社は、ホーソン・ブルバードに沿ってメインストリートと4番ストリートにてデュアルゲージ(1435mm/1067mm)で軌道を共有していた。もし、当時に日本の鉄道オタクがいたならば、泣いて喜ぶような鉄道があったのだ。しかし、残念ながらこれらの路線は 1963年 に廃止されて今はもう無いのである。

廃止の大きな理由は、米国資本主義が生み出した猛烈なモータリゼーションであった。米国のモータリゼーションは、1908年のT型フォードの発表から始まり、1913年にはその量産化が開始され、自家用乗用車が一般大衆に急速に普及するようになった。1937年には米国での自動車生産台数は約400万台に達し、この頃には米国でのモータリゼーションが完成したとされている。このモータリゼーションの渦中においては、アメリカ路面電車スキャンダル( Great American Streetcar Scandal)と呼ばれた、今も流行りの陰謀論まで巻き起こしたのであった。

なお、ロサンゼルス鉄道が廃止になるまでの途中、多くの路線が1940年代後半から1950年代初頭にかけて、バスに転換されていくのである。
最後まで存続していた路線は、1958年にパシフィック電鉄の存続部とともにロサンゼルス都市圏交通局 (現在のロサンゼルス郡都市圏交通局の前身)に引き継がれた。そして、その交通局は1963年にディーゼルバスに転換することにより、残りの5つの路面電車線(J線、P線、R線、S線、V線)と2つのトロリーバス路線(2号線と3号線)を廃止したのである。

ロサンゼルス鉄道が1963年に廃止された後には、バス路線が整備され、さらなる自動車の普及により、公共交通機関の利用者数は益々減少したのだ!

ところが半世紀近く経った2011年には、 ロサンゼルス郡都市交通局 、ロサンゼルス市、その関係者らは、ダウンタウンの路面電車の復活の可能性を判別するための研究や市民集会を実施し始めた。そして、路面電車の復活の運動により、ロサンゼルスのダウンタウンの歴史的中心街への支援をさらに活性化させ、人々をプロジェクト研究領域内の雇用センター、商店街、市民の資源、文化施設、歴史的建造物や娯楽施設へと結びつけた。 路面電車の復活は、ロサンゼルスの繁華街で発生した全体的なルネッサンスをさらに高めようとしたものであった。

現在では、ロサンゼルスの公共交通機関は、LA Metroと呼ばれるバス、地下鉄、ライトレールの3つの交通機関で構成されている。 LA Metroは、ロサンゼルス市内を中心に、周辺地域にも広がっている。

ロサンゼルス郡都市圏交通局 – Wikipedia

ロサンゼルス鉄道 – Wikipedia

ロサンゼルスの交通手段まとめ!バスや地下鉄などの利用方法から料金まで解説 | スクールウィズ (schoolwith.me)

アメリカ路面電車スキャンダル – Wikipedia

大衆が消費した「三種の神器」の移り変わりとは!

「万引き家族」が移住したくなるカリフォルニア州法「プロップ47」(Prop 47)!

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人生は旅!

やまないアイヌ差別、「今のままでは“標本”の勉強に終わる」と危惧する当事者が考える課題!

この21世紀令和の時代においても、悲しくも我が日本では先住民族であるアイヌ民族への差別がまだ存在する!

最近の話題では、現代の日本人のゲノムの一部は縄文人に由来しているという。具体的な比率については、研究により異なる結果が報告されているが、一部の研究では、本土日本人のゲノムの約10%が縄文人に由来すると推定されている。また、別の研究では、本土日本人は縄文人に由来するゲノム成分を20%程度保有していると推定されている。これらの比率は地域により異なり、例えば北海道のアイヌ民族の人々は7割くらい、琉球の人々は3割くらいを受け継いでいると考えられている。これらの研究結果は、縄文人と後の渡来人との混血が現代の日本人集団を形成したことを示している。ただし、これらの比率は研究により異なるため、絶対的な数値として捉えるのではなく、あくまで一つの見方として理解してチョウダイとのことである。

あらためてアイヌ民族に関してザックリと確認しておくと、古代の「蝦夷=えみし」については、古くから「えみし」がアイヌと同一の民族だったのかどうかについての議論があった。
江戸時代の大学者、本居宣長は「えみし」はアイヌであるという説を唱えたそうである。
また、アイヌ語の研究で知られる言語学者の金田一京助(テレビでおなじみの言語学者・金田一秀穂先生のおじいさんです)は、東北北部に残る地名がアイヌ語由来であることから、奥羽地方にいた「えみし」はアイヌ民族だったのではないかという説を提唱された。
しかし、考古学者や人類学者による研究では「えみし」が「アイヌ」であるというハッキリとした証拠がなく、両者を同一のものと見るのは難しいのではないかとの見方である。

個人的には、次世代シークエンサの技術で古代DNAを解析することにより、ハッキリと判定される日は近いと期待している!

取り敢えず、現在の教科書では古代の「蝦夷(えみし)」はアイヌとは必ずしもイコールではないとされているのだ。
つまり、大和朝廷の支配に従わなかった東北部の人々のことを、まとめて「えみし」と呼んでいたという見解である。
その中には日本語を話す人たちもいたであろうし、のちにアイヌ民族となる人たちもいたであろうとの考えである。
それらを全てひっくるめて、大和朝廷は自分たちに従わない野蛮な人たちという差別的な意味で「えみし」と呼んでいたとの見方なのである。
したがって、そもそも「えみし」を民族や人種的な概念だと考えるのが間違いだという見解になる。
一方、中世以降に北海道に居住していた「蝦夷(えぞ)」はアイヌ民族だったと考えられている。

そんな見方をされて来たアイヌの人々が、受けた差別や迫害とはどのようなものなのか。どうすれば解決できるのか。『ABEMAPrime』でアイヌにルーツを持つ当事者のお二人がこのような議論をされている。

そのお一人である、北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授の北原モコットゥナㇱ氏は、一つには「“純粋なアイヌ民族”は存在しないから政府の施策は不要・不適当だ」、もう一つは「不正会計や不正申請などで様々な支援策を食い物にしている」という二つのタイプの攻撃があると指摘される。
「私は埼玉県出身だが、周りの人はほとんどアイヌのことを知らない。観光で行ったことがある人が“北海道にいる原始人でしょ?”と言うぐらいだ。欧米系の外国人はわりとリスペクトされるけれども、一般的な排外主義の一部に加わることが本州のほうでは多い。北海道ではやはりアイヌが知られているので、日本人ではない人々という見方をされ、もう少し直接的な差別が起こる。埼玉にいた時は『外見が違う』、北海道に行くと『アイヌ』と言われる違いがある」。

もうお一人の、アイヌ語教材開発など文化を伝える活動や「ゲストハウス二風谷ヤント」の運営をしている萱野公裕氏は、「僕はアイヌがたくさん住んでいる地域の出身で、周りがすでにわかっている環境で育った。差別の形も、どのぐらいの割合でアイヌがいるか、周りがどれだけ知っているかで変わってくると思う」と説明。
アイヌが知られていないコミュニティでは、自身のルーツは明かさないという。「神奈川で働いていたこともあるが、言ったところでプラスになる感覚がない。言わなければ、日本語も話せるし、普通に日本人ということで暮らしていける。差別をされるというマイナスになり得るので、あえて言わないことが多い」と述べている。

また、北原氏は「日本人という言葉には、“国籍”という意味合いと、日本語・日本文化を作ってきた人々という“民族”としての2つの意味合いがある。アイヌは日本国籍だけれども、アイデンティティとしてはやはり本州以南の人々とは違う。国内には複数の民族がいて、琉球を民族だと考える人もいれば、奄美と沖縄も違うとか、小笠原諸島の人々もハワイ系の人がいるとか、あるいは帰化した人々もいる。本当は多様な人々・民族が日本の中に暮らしているのだが、あまりに知られていないと感じるとのことである。さらに、「アイヌ施策は2009年あたりから国単位で少し進展してきたが、それに対するバックラッシュ(揺り戻し)も出てきているのではないか」とも。

萱野氏は、「僕の地域でいえば、親世代の時よりは今のほうがずっと暮らしやすいと思うが、北海道全体で見ると変わらず差別が続いている地域もある」とした上で、「当事者や少数者側が何かを変えようとするのは、マンパワー的にも難しいところがある。多数派の理解度を深めるために、学校教育や広報活動に期待する」と語った。

北原氏は取り組むべき課題として、「差別とは何かを議論して明確にする」「差別監視・認定の公的機関を設置する」「差別認定された時の罰則規定を定める」の3つをあげる。
そして「漫画の影響などで好意的な受け止めが広がってきていると思う。今度は個人的に好きになるということではなく、差別を明確にし、監視・認定して、どう対処するかを制度として確立していく必要があるのではないか」と!

2019年には、アイヌ民族を「先住民族」と明記した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が成立した。そして、学習指導要領の改訂で、小・中学校の社会では「北方との交易をしていたアイヌについて取り扱うようにすること」に加え、「アイヌの文化についても触れること」も明記された。
しかし、これに対して、北海道大学アイヌ・先住民研究センター教授の北原氏は「今のままでは“標本”の勉強に終わる」と危惧されていることが、今のまさしく日本の問題である!

ダイバーシティを唱えるだけで、その実行があまり伴わない日本を象徴する大きな問題の一つである!

やまないアイヌ差別、道内外での違いも 「今のままでは“標本”の勉強に終わる」当事者に聞く課題(ABEMA TIMES) – Yahoo!ニュース

【蝦夷とアイヌの違い】わかりやすく解説!!同じ民族なの?特徴・関係など | 日本史事典.com|受験生のための日本史ポータルサイト (nihonsi-jiten.com)

アイヌ新法成立、日本の「消えゆく民族」とは – CNN.co.jp

人類の起源 -篠田謙一 著|新書|中央公論新社 (chuko.co.jp)

ネアンデルタール人でノーベル賞!

バリバラ万歳これぞ世の為人の為!

20世紀アートを生んだLGBTQガートルード・スタイン!

ジャニーズ騒動に日本のマスコミを想う!

BBCの「Predator:The Secret Scandal of J-Pop」に想う!


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