今月半ば17日に実施された兵庫県知事選挙には、多くの人がそもそもの経緯と結果の双方ともに、何とも言えぬ違和感を感じたのではないだろうか!
この違和感の正体は、一体ナニモノなのかと妄想してみた!
そして辿り着いた違和感の正体とは、かなり以前に姿を消したはずの護送船団方式が、兵庫県では阪神大震災からの復興の過程で生き残り、まるで過去の亡霊が目の前に突如現れたような感覚であった!
日本の高度成長期の銀行は、政府の決めた金融制度に従い、行政の方針をもとに経営をしていくだけで企業成長が可能となる護送船団方式の中心に存在し、行政もそんな状況にまったく危機感を感じることは無かった。
そんな護送船団方式がその機能を失う契機となるが、1996年に実施されたいわゆる「金融ビックバン」である。
金融ビックバンの理念はどれもが護送船団方式の性質を否定するものであったから、金融ビックバンの実施に伴ない、護送船団方式は日本の金融制度から姿を消したと一般的には考えられている。
しかし、1995年に起きたあの阪神淡路大震災からの復興の過程にあった兵庫県においては、スタイルを変えた新たな護送船団方式が大人の事情により取り残されたのではなかろうか!
今回の騒動は、知事の身から出た錆が、自民と維新両党内の分裂の動きと混ざり合い化学反応を起こした。その結果、長らく兵庫県内で安泰であったスタイルを変えた護送船団方式が、本格的に崩壊し始めたのであろう!
1962年以降ずっと半世紀以上、兵庫県では元官僚出身の知事が続いて来た歴史があった。
あらためて元官僚出身の兵庫県知事の在任期間を見ると、以下の通りである。
金井元彦氏 (1962年 – 1970年)、坂井時忠氏(1970年 – 1986年)、貝原俊民氏(1986年 – 2001年)、井戸敏三氏 (2001年 – 2021年)、斎藤元彦氏(2021年 – 現在)。
要するに、大震災からの復興の中で20年間も知事を務めた井戸敏三元知事時代を含め、兵庫県政においては半世紀以上にわたり護送船団方式が続いて来たのであろう!
ただ、今回一つ異なる点は、今回知事に返り咲いた斎藤元彦氏は、前回2021年の知事選挙では従来の自民党からではなく、分裂した自民党の新派と維新の会の両方からの推薦であったことだ。
そんな生い立ちの経緯があったにもかかわらず、斎藤知事は根回しすることもなく維新の会スタイルの県政をスタートさせた。
これにより、長らく安泰であった自民党を中心とする護送船団方式がビックリ仰天し、大いに反撃に出た。
そして起きたのが、斎藤知事の数々のパワハラ疑惑問題と知事を告発した西播磨県民局長の自殺であった。
この自殺は斎藤知事自身の数々のパワハラ疑惑問題で騒がしい中での、命をかけた告発であったことからマスコミの報道もさらにヒートアップした。
勿論、護送船団方式サイドの攻撃もここぞとばかりに強まって行った。
そんな最中にありながらも、斎藤知事が頼ろうとした維新の会は、自民党と同様に内紛の状況があったことから高みの見物を決め込んだのだ。
そこへ飛び込んで来たニュースが、10月27日の総選挙にて与党が過半数割れとなり敗北!
自民党は65議席失い191議席に!
公明党は8議席失い24議席に!
与党は合わせて73議席を失い215議席の惨敗となる!であった。
さらに、他の野党が議席を伸ばす中で、維新は6議席を失い38議席に減ったのだ!
そして11月17日の兵庫県知事選挙が実施され、約45%の得票を得て斎藤氏が再び知事に返り咲いたのである。
ニュースでは従来型マスコミがSNSに負けたという話をよく目にするが、恐らくその見方は今回の本質ではなかろう!
今回の知事選挙結果に一番大きく影響したのは、やはり直前の総選挙における与党の惨敗と各野党の個別の得票率という絶妙の結果であった可能性が高い!
それ故の、さらば兵庫の護送船団方式なのであろう!
もっと簡単に言うならば、従来型の政党政治のやり方にはホトホト嫌気がさした!
もうここらでエエ加減にせい!という兵庫県民の声であろう!