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米国フェイクニュースの源流「イエロージャーナリズム(Yellow Journalism)」!

イエロージャーナリズム(Yellow Journalism)!

結論を先に述べると、今の米国におけるフェイクニュースの源流は、このイエロージャーナリズムであった!

このイエロージャーナリズムは、米国の帝国主義がスタートする1898年の米西戦争、即ちスペインとの戦争の時から米国と共に手と手を取り合って歩み始めたのである!

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ちなみに、日本の帝国主義のスタートは、米国よりも4年早い1894年の日清戦争、即ち当時の中国との戦争であった。

ただし、外見としては同じ帝国主義のスタートではあるが、日米両国における当時のそれぞれの国家が抱いていた思惑には、雲泥の差があった。

つまり、日本の場合は、このままでは植民地にされかねないという恐怖心からの帝国主義のスタートであったが、米国の場合は国内における発展は順調に成し遂げていたうえに、さらなる国際社会におけるステータスの向上を目指すという欲望からの帝国主義のスタートであったのだ!

ただ当時の人口を見てみると、例えば1870年の米国国勢調査から米国の人口は約3900万人。1872年の日本の人口は約3500万人だったので、人口的に見た場合には日米両国はほぼ同じ程度の国ではあった。

話をフェイクニュースに戻すと、現代米国におけるフェイクニュースとは何のことはない。インターネットの社会となりイエロージャーナリズムの頃よりも、フェイクニュースを発信する人の数が、膨大な数に増えただけなのだ!

即ち、本質的には昔も今も大きな違いはないのである!

ただ、あまりにもインターネットにより発信されるフェイクニュースの数が増えすぎたことから、本気でフェイクニュースを流したいヤカラからすると、目指したフェイクニュースのコントロールが昔と比べると格段に難しくなったのである。

分かり易い例で言うならば、ひと昔前には必ず存在した老若男女の誰もが知っていて口ずさむ流行歌は今はもうない。今の流行歌のほとんどは、ある特定の好みの集団における流行歌でしかないというのが今の現実である。本気でフェイクニュースを流したいヤカラも、今ではある特定の好みの集団ごとに有効なフェイクを流す手間暇が不可欠なのである。もっとも、今ではAIを使って容易に、特定の集団が好みそうなフェイクニュースを作成することも可能な時代ではある。

とにかくフェイクニュースに騙されない為には、我々は今も昔も各人が常識(コモンセンス)を日々地道に磨き続けるしかないのである!

あらためてイエロージャーナリズムは、1998年の米西戦争において決定的に重要な役割を果たした。以下はその詳細である。

1. 新聞の拡張競争
①当時のアメリカでは、ニューヨーク・ジャーナル紙とニューヨーク・ワールド紙の2つの新聞が発行部数の拡張にしのぎを削っていた。
②両紙はセンセーショナルな話題や内容を競い、捏造された記事が紙面を埋め尽くした。

2.イエロージャーナリズムの語源
①イエロージャーナリズムの名称は、当初ワールド紙に掲載されていた人気漫画の主人公「イエローキッド」から取られた。
②ジャーナル紙がその漫画の作者を引き抜いて自紙への漫画掲載を行わせたため、両新聞の争いを評して名付けられたのだ。

3. キューバに関する扇情的なニュース報道
①イエロージャーナリズムは、キューバにおけるスペイン人の非人道的な行為を誇張・捏造して大きく報道した。
②これによりアメリカの世論はキューバへの軍事介入を支持する勢力が多数を占め、米西戦争へと突入したのである。

4. スペインの敗北と米国の植民地獲得
①アメリカはスペインに勝利し、フィリピン、グアム、プエルトリコを殖民地として獲得した。(キューバは保護国とした)
② 米西戦争はアメリカが帝国主義化するきっかけとなった、世界史でも意義の大きな戦争であったのだ。

要するにイエロージャーナリズムとは、新聞の発行部数を伸ばすために、事実報道よりも扇情的であることを売り物とする形態のジャーナリズムを指す。この用語はアメリカで生まれ、特に19世紀末にニューヨークの新聞「ジャーナル」と「ワールド」が、漫画『イエローキッド』を奪い合って載せたことに由来している。これらの新聞は「黄色新聞(イエローペーパー)」としても知られていた。

なお、イエロージャーナリズムの主な特徴は次の通りだ。

1. 扇情的な見出し:
赤や黒の大きな活字で人を驚かせるような見出しをつける。
2. 事実検証不足のニュース速報:
大したニュースでもないことが多く、全体として嘘臭い構成になることが多々あった。
3. 絵や写真の多用:
どうでもいいようなもので、盗用や捏造も見られることがあった。
4. 詐欺的行為:
インタビューやストーリーの捏造、誤解を招く見出し、エセ科学などが行われることがよくあった。

こうして内容を競った結果、当初の発行部数はワールド紙が15,000部、ジャーナル紙が1,500部にすぎなかったものが、米西戦争のマニラ湾での戦いが発生した時点では、何と160万部にまで部数が伸びたと伝えられている。

このスタイルの報道は、19世紀を通じてアメリカ合衆国で発行部数と読者数を極度に増加させた。世界的にも大きな影響を与え、現在でもジャーナリズムの歴史に名を刻んでいるのである。

あらためて米西戦争とは、アメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争であり、1898年に勃発した。この戦争の原因は複数あるが、以下の要因が主なものとされている。

1. スペインの植民地における独立運動
①スペイン帝国の植民地であるキューバやフィリピンにおいて独立運動が起こっていた。
②スペイン帝国は国力が弱体化しており、反抗勢力に対抗する予算や人的資源が不足していた。
③アメリカの新聞はスペインの残虐行為を誇大に報道し、アメリカ国民の反スペイン感情を大いに高めた。

2. 米国戦艦メイン号の爆発事故
①1898年2月15日、ハバナ湾に停泊していたアメリカ海軍の戦艦メイン号が謎の爆発を起こし、266人の乗組員が亡くなった。
②アメリカの主要メディアは一斉に、この爆発事故をスペインによる破壊工作と報道し、アメリカ世論は戦争へと傾いた。

このような背景から、米西戦争はキューバやフィリピンを舞台に繰り広げられ、米国が勝利した。この戦争により、スペイン帝国の国際的な地位は大きく下落し、米国はキューバを占領し、フィリピンとプエルトリコ、グアムを併合したのだ。

この米西戦争は、米国と世界に多くの影響を与えた。以下にその主な影響を示す。

1. アメリカの国際的地位の向上
①米西戦争により、アメリカはスペイン帝国からキューバ、フィリピン、プエルトリコ、グアムを獲得した。
②これにより、アメリカは世界的な植民地帝国としての地位を確立し、国際的な影響力を高めた。

2. キューバとフィリピンの独立
①米西戦争の結果、キューバとフィリピンはスペインから独立した。
②キューバは一時的にアメリカの保護領となり、フィリピンはアメリカの植民地となった。

3. アメリカの帝国主義的傾向がスタート
①米西戦争はアメリカの帝国主義的な傾向を浮き彫りにした。
② アメリカは海外領土を獲得し、国際的な政治的・経済的利益を追求する姿勢を強調した。

4. スペインの国際的地位の低下
①スペインは敗北し、国際的な地位が大きく低下した。
②この戦争はスペイン帝国の終焉を象徴していた。

5. 米西戦争の影響を受けた文化と芸術
①米西戦争は文学、映画、音楽などの芸術作品にも影響を与えた。
マーク・トウェインは、米西戦争に対する批判的な視点を持ち、その意義を問い直すエッセイを執筆した。例えば、「To the Person Sitting in Darkness」は、聖書の一節「暗闇に座る人々は大いなる光を見た」に皮肉を込めたもので、帝国主義者が征服していた土地の「野蛮」「異教徒」「未開の」住民を指す際に使われていた言葉でもある。

かくして、米西戦争は米国と世界の歴史に大きな影響を与えた出来事であり、その影響は現在にまで繋がっているのだ。

ついでながら、当時の漫画イエロー・キッドが人気だった理由はいくつかある。この漫画が人々に愛された理由を以下に示す。

1. カラー印刷の先駆け
①イエロー・キッドは、最初にカラーで大量印刷されたコミック・ストリップだった。
②当時の新聞は白黒で印刷されていたため、カラーのコミックは目新しく、読者に大きなインパクトを与えた。

2. ユニークなキャラクターとユーモア
①イエロー・キッドは奇妙でユニークなキャラクターであり、彼の黄色いナイトシャツと出っ歯は視覚的に記憶に残った。
②彼のユーモラスな冒険と奇抜な行動は、読者に楽しさと笑いをもたらした。

3. 新しいメディア形式の登場
①コミック・ストリップは新しいメディア形式であり、人々は日常的に新聞を読む際に楽しむことができた。
②イエロー・キッドはこの新しいメディアで初めて登場したキャラクターであり、多くの人々に愛された。

総じて、イエロー・キッドはカラフルでユニークなキャラクターと、新しいメディア形式の登場によって人気を博した。

なお、リチャード・F・アウトコールト(Richard F. Outcault)は、アメリカの漫画家であり、イエロー・キッドの作者だ。彼は19世紀末に活躍し、コミック・ストリップの先駆者として知られている。

<アウトコールトの生い立ちとキャリア>

①アウトコールトは1863年1月14日にオハイオ州ランカスターで生まれた。
②彼は美術学校で学び、グラフィックデザインとイラストレーションのスキルを磨いた。
③1894年から1895年にかけて、彼は「トゥルース」誌にモノクロ印刷で不定期連載されていたコミック・ストリップ『ホーガンズ・アレイ』を執筆した。

<イエロー・キッドの誕生>
① 1895年2月17日、アウトコールトの作品はジョーゼフ・ピューリツァーの経営するニューヨーク・ワールド紙に連載された。
②このカラー印刷のコミック・ストリップは、イエロー・キッドというキャラクターを生み出し、多大な人気を博した。

<その後の経歴>
①1896年にアウトコールトはウィリアム・ランドルフ・ハーストの経営するニューヨーク・ジャーナル・アメリカン紙に引き抜かれ、漫画のタイトルも『イエロー・キッド』と改題された。
②イエロー・キッドは、カラー印刷と奇抜なキャラクターによって、新しいメディア形式で多くの読者に愛された。

リチャード・F・アウトコールトは、コミック・ストリップの歴史に名を刻んだ重要な漫画家であり、イエロー・キッドの創造者として広く米国で知られている。

米西戦争 – Wikipedia

新聞が巻き起こした戦争・イエロージャーナリズムと米西戦争 – 草の実堂 (kusanomido.com)

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コミック・ストリップ – Wikipedia

作成者: 鈍偶斎

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