2月8日の投票日を前にし、総選挙の真っ只中ではあるが明日は節分である!
日本の多くの家庭で、「福は内、鬼は外!」と唱えながら豆を撒く節分の日である。
総選挙戦を戦っている各政党の間では、「当選は内、落選は外!」と叫ばれるのではなかろうか。
自民党までが消費税の減税を唱え始めたからには、選挙の結果はどうあれ恐らく消費税は下がるのだろう!
さて、消費税とはホンマに鬼なのであろうか?
そこで、あらためて節分における風景の移り変わりに思いを馳せてみた!
平安時代には、節分は古代中国から伝わる「追儺(ついな)」と呼ばれる宮中行事であった!
黄金の目を持つ仮面を被った専門職である方相氏(ほうそうし)」が、矛と盾を持って、目に見えない疫病や災い(鬼)を追い払う儀式が行われていた。
平安時代は、まだ庶民が行う「豆まき」という形では存在せず、古代中国と同様の呪術的な国家行事だったのである!
鎌倉時代となってから、武家社会となり宮中行事だった節分の追儺が寺社へと広がって、寺社で「鬼」を追い払う儀式が定着し始めたのだ!
「いわしの頭」を門口に指す習慣(柊鰯)が登場したのもこの頃と言われている。
室町時代になり、ようやく我々がよく知る「豆まき」のスタイルの原型が確立されたのだ!
これは、文献(『看聞日記』など)に、立春の前日に「豆をまいて鬼を追う」という記述がハッキリと現れるのだ。
「魔(ま)を滅(め)っする」という語呂合わせから、炒った大豆が使われるようになったのである!
安土桃山時代には、豪華絢爛な行事となった!
戦国時代を生き抜いた武将たちは、ゲン担ぎとして節分を重んじたのだ。
城内での大規模な節分行事が行われ、節分が権威付けとしての側面も持ち始めたのである。
世界史的に世にも稀な260年間も平和を維持した江戸時代に、節分は一気にポップな「日本庶民のイベント」へと変貌したのである!
庶民が住む長屋のあちこちから「福は内、鬼は外」の声が響き渡り、浅草などの寺社では年男が豆をまく大規模イベントが人気を博したのだ。
さらには、落語や浮世絵の題材にもなり、現代の節分のイメージが完成したのはこの江戸時代である!
明治時代には、旧暦から新暦への転換がなされ、文明開化により暦が変わるが、節分の伝統は守られた。
新しい 学校教育の中でも、節分は年中行事として紹介されたのだ。
大正時代には、デパート文化が節分に参入した!
都市化が進み、節分も「消費」の対象になったのだ。
三越などのデパートが節分の特設コーナーを設け、豆や関連グッズを販売し始めたのである。
昭和時代には、益々全国的な定番行事となった!
テレビメディア等の発達とともに、節分の風景は画一化されながらも、家族の絆を確認する行事となったのである。
昭和時代の後半には、テレビ番組で有名人が豆をまく姿が中継されるのが定番となっていた。
「恵方巻」が関西(大阪)の一部の習慣から全国へと広がる兆しを見せ始めたのもこの昭和時代の終わり頃である。
平成時代には、恵方巻の全国制覇が起きた!
コンビニの戦略により、節分の風景が劇的に変わったのだ!
「豆をまく」よりも「恵方巻を黙って食べる」という風景が全国の食卓で見られるようになった。
豆まきによる「掃除の大変さ」を敬遠する層も増え、より手軽な食のイベントとしての側面が強まりったと言えよう。
しかし、形は変われども「季節の変わり目に邪気を払いたい」という我々日本人の心根は、平安時代から令和の今も一貫して変わってはいないのだ!
追伸:2026年の節分は2月3日(火)で、恵方は「南南東」!
節分とはどんな行事?由来や歴史、食べ物をわかりやすく解説|HANKYU FOOD おいしい読み物|フード(食品・スイーツ)|阪急百貨店公式通販 HANKYU FOOD







