今から半世紀以上前1960年代の子どもの頃、ディズニー映画で毎回語られる、「冒険の国、おとぎの国、開拓の国、未来の国の4つの国の物語の中で、今日はこの国へお連れしましょう!」という冒頭のお決まりのセリフを、いつもワクワクしながら聞いたことをまるで昨日のことにように覚えている!
2025年の今もディズニーランドは大人気だ!
世界で三番目に出来た東京ディズニーランドの開園は、1983年4月15日のことである。
世界で最初のディズニーランドは、ウォルト・ディズニーが1955年に開園した米国カリフォルニアのディズニーランドであった。
1950年代の米国は、第二次世界大戦後の経済成長期にあった。この時期、多くの米国家庭がマイカーを所有し、家族旅行が一般的になっていた。ウォルト・ディズニーは、この時代背景を踏まえ、家族全員が楽しめるテーマパークを作ることを決意した。
また、1950年代の米国政府は、高速道路や公共交通機関の整備に力を入れていた。これにより、ディズニーランドへのアクセスが容易になり、多くの観光客を引き寄せることも予想できたのである。
1955年7月17日、カリフォルニア州アナハイムに世界初のディズニーランドがオープンしたのだ。オープン当初から多くの人々に愛され、成功を収めた。この成功を受けて、ウォルト・ディズニーはさらに多くのディズニーパークを世界中に展開することを計画した。
ディズニーランドの誕生は、ウォルト・ディズニーの創造力とビジョン、そして当時の時代背景が相まって実現したものである。
しかし、日本人にとっては悲しい過去もあった。
第二次世界大戦の時のことである。
1943年に制作された、爆撃機B-29による日本への精密爆撃のプロパガンダ映画である!
タイトルは『空軍力による勝利(Victory Through Air Power)』。
戦争に勝つためには、空軍力が必要だと訴えるプロパガンダ映画だ!
その制作者が、あのウォルト・ディズニーだったのである。
その二年後の1945年3月10日、東京大空襲によって映画がまさに現実のものとなる!
米軍の爆撃機B-29が、東京に32万7000発もの大量の焼夷弾を一気に投下し、一夜にして12万人もの命が失われたのだ。
2025年の今、ロシアのウクライナ侵略による戦争が三年も続いており、およそ五万人ものパレスチナの人々が犠牲となったガザ虐殺における停戦もいまだ確かではない!
このような時代背景を思うと、ディズニーの戦争プロパガンダ作品を、戦争時のメディアの役割や影響に関する歴史的な教訓として、今後もっと世界に役立てるべきではなかろうか。
SNSの規制が世界的な課題となっている今、重要なメディアリテラシー教育において、戦争時におけるプロパガンダの影響を理解し、批判的に評価するための教材として広く世界中で利用されるべきであろう!
大人気のディズニーの話だからこそ、世の中に訴える力がある!
きっとウォルト・ディズニーも喜んでくれるはずだ!
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