第一次世界大戦(1914年から1919年)の結果、当時の誰もが知っていたドイツ帝国とロシア帝国とオスマン帝国とオーストリア・ハンガリー帝国という、世界の四大帝国が滅亡した!
この時代の激変を踏まえ、当時の日本、大日本帝国は大正デモクラシー(1912年から1926年)と呼ばれる十数年間を通して、新しい民主主義への道を模索し続けた。
しかし、1929年に米国から始まった世界大恐慌による経済的に非常に困難な時代背景などもあって、大正デモクラシーの流れは徐々に途絶えていったのである。
結局、大日本帝国は今の世の中で言うならば『権威主義国家』の道を選び、とうとう1936年にはあのヒトラーのナチスドイツと『日独防共協定』により国際共産主義運動に共に立ち向かうという目的で手を結び、第二次世界大戦(1939年から1945年)へと突き進んだのである。
そして、当時大日本帝国であった日本が、主に米国や英国や中国と戦った第二次世界大戦における日本人の犠牲者は、軍人と民間人を合わせて約310万人に及んだ!
軍人は約230万人が戦死!
なお、230万人の約60%あたる140万人は、日本軍の兵站能力(物資の供給能力や輸送能力など)の脆弱さによる、餓死と病死であったと推定されている!
民間人は 約80万人が犠牲になった!
なお、この民間人の犠牲者約80万人の方々の多くが、1945年3月から8月までの、たった半年の間に犠牲になられた!
すなわち、東京や大阪などの全国主要都市への米軍の無差別爆撃による空襲での犠牲者が約20万人。国内で唯一の戦場となった苛烈な「沖縄戦」(当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなった)の犠牲者が約10万人。あの忌まわしい原子爆弾による「ヒロシマ」の犠牲者が14万人、同じく「ナガサキ」の犠牲者が7万人。そして、「ナガサキ」原爆の日と同じ日に『日ソ中立条約』を破ってソ連が参戦し、満州に侵攻したことによる犠牲者が約25万人である!
たった半年、1945年3月から8月までの6か月間に、一般市民の犠牲者が約80万人にも及んだのだ!
理由は誠にシンプルである、米軍による日本本土への無差別爆撃の空襲が本格的に始まったことと、終戦直前(1945年8月9日)に『日ソ中立条約』を破りソ連が参戦し満州に侵攻したことである。まさしく今のロシアによるウクライナ侵攻と同じで、突然ソ連の満州侵攻は始まったのだった!
これが、日本人がまさに生き地獄を見た半年間であった!
今更ながらではあるが、米国の「マンハッタン計画」による原爆の実験成功が1945年の7月16日であったことから、日本の無条件降伏が実際の1945年8月15日ではなく、もしもう一ヵ月早い1945年7月15日であったならば、「ヒロシマ」と「ナガサキ」への原爆投下はそもそも無かったし、ソ連の満州侵攻も無かったかも知れないのだ!
たった1か月、無条件降伏の時期が遅れたことにより約50万人の民間人が犠牲となり亡くなったのである!
決して忘れてはならない、日本人の大失敗の悲劇の歴史である!
戦争による国別犠牲者数 – 人間自然科学研究所 (hns.gr.jp)
ヒトラーもカフカも、フロイトやドラッカーもこの帝国で生れた「オーストリア=ハンガリー帝国」!