19世紀の幕末に日本を訪れた欧米人たちは、江戸の町や庶民の独特な習慣や文化に驚嘆したそうである。彼らが感心した具体的なポイントについてAIに尋ねてみた!
AIの回答はこんな具合である!
幕末に日本を訪れた欧米人は、彼らとは異なる日本人の社会の在り方やその文化に大きな驚きを感じ、その経験を書き残しています。彼らは一様に日本の民衆の正直さと誠実さに感銘を受けたようです。
例えば、トロイ遺跡を発見した考古学者ハインリヒ・シュリーマンは1865年に日本を訪れた際、中国での経験とは対照的に、日本では渡し船の船頭が正規の料金しか受け取らなかったことに驚いたと記しています。
また、欧米で大人気となった「日本奥地紀行」の作者、英国の女性旅行家イザベラ・バードは、「日本ほど女性が一人で旅しても危険や無礼な行為と全く無縁でいられる国はない」と旅行記に記しています。
これらの記録は、幕末から明治にかけての日本を訪れた外国人たちが、日本人の優しさや誠実さを称賛していることを示しており、当時の日本社会の美徳を反映しています。
幕末に日本を訪れた欧米人が驚いたことは、まだ他にもたくさんありました。以下はそのいくつかです。
1:「読み書きができる日本の庶民層の文化水準の高さ」
多くの外国人が、日本の庶民の多くが読み書きができることに大変驚いたと記録しています。
2:「貧しくても満ち足りた生活」
日本人はたとえ貧しい生活状況でも、精神的には十分満ち足りているように見えたと感じられていました。
3:「働き者でありながら遊びを楽しむ姿勢」
日本の庶民は真面目に働くが、お祭りの時など遊ぶ時はとことん楽しむ姿が非常に印象的だったようです。
4:「道徳心と正直さ」
日本人の実直さや正直さ、金銭に対する清潔な姿勢が称賛されています。
5:「無償の真心と気遣い」
なにかにつけ対価を求めようとしない日本人の真心と気遣いに、外国人は深い感銘を受けました。
また、幕末から明治時代にかけての日本の文化や社会に対する外国人の驚きや敬意は、その日記や旅行記に詳細に記されており、日本の自然の美しさや清潔で心豊かな人々の生活、日本人の精神性などに対する驚きや敬意が強く感じられます。
これらの記録は、当時の日本と日本人に対する外国人の好奇心や驚き、そして尊敬の念を伝えており、日本文化の深い魅力を今に伝える貴重な資料となっています。
6:「清潔さと秩序」
幕末の江戸の街は驚くほど清潔で整然としていました。外国人は、街路の清掃や建物の美しさ、人々の身なりの整った姿勢に感心しました。
7: 「資源の効率的な利用」
江戸庶民は限られた資源を上手に使いまわし、循環社会を築っていました。彼らの賢明な資源管理は、外国人にとって驚きの対象でした。
8:「日本の美的感覚」
外国人作家や美術家は、日本の仏像や絵画、建築に感銘を受けました。彼らは、浮世絵など日本独自のアートや美学が欧米のロジックやテクノロジーでは生み出せないものであることを認識しました。
9:「心豊かな人々の生活」
外国人は、日本人の精神性や心の豊かさにも感銘を受けました。日本の文化には深い魅力があり、欧米とは異なる視点からの驚きがありました。
より具体的な話ではこんな具合です!
10:「 巡礼旅行の盛んさ:」
日本人は伊勢神宮や日光東照宮、善光寺などへの参詣の旅を自由に行っていました。商売人や農家にとっては、伊勢神宮への参詣は商売繁盛の神を祀る場所であり、盛んに行われていました。このような巡礼旅行が一般的であることは、世界的にみても異例でした。
11:「無人販売の安全さ:」
日本では、無人販売所が道端に設置されていました。商品を選んでお金を支払う仕組みで、外国人はこの安全で信頼されたシステムに驚きました。現代の日本でも見られる風景ですが、当時の世界的にみても異例でした。
12:「 厳しい法律と秩序:」
日本は厳しい法律により治安が保たれていました。外国人は日本の秩序を絶賛し、所有権を犯す犯罪が滅多に起こらないことに驚きました。また、日本人の誇り高い性格と精神性も感心されました。
正確な統計はないが、幕末には日本人全体の識字率は40%程度、江戸に限定すれば90%以上と言われており、当時江戸とならんで世界の2大都市であったロンドンで識字率が15%程度であったことと比較すると、幕末の時点でも日本の識字率は世界で突出していたといえよう!
幕末に日本を訪れた欧米人が感嘆したように、日本では街も村も誠に清潔であった。日本に限ったことではないが、これはアジアがリサイクル文化であったからでもある。アジアにおける農業は人の糞尿を肥料その他に利用し、価値あるものとして交換されたが、欧米の都市では糞尿は路上に捨てられていた。日本の道路は清潔で安心して草履で歩けたが、不潔な欧米ではハイヒールなどが必要となった訳である。
反対に、当時の日本人が、西洋化していく自分たちの日本をどうのように見ていたかを覗いてみると!
東洋のルソーと呼ばれた中江兆民、彼の「黒船以来の総決算」という意見書は、彼が日本の近代化と西洋文明に対して批判的な視点から行った総合的な評価である。
兆民は、自由民権運動の理論的指導者として知られ、明治維新後の日本の政治、社会、文化の変化を総括し、その影響を分析した人物である。彼は、西洋が野蛮であると考え、明治維新による西洋化の進行に疑問を投げかけたのであった。
彼の見解では、明治維新は日本に多くの変化をもたらしたものの、それが必ずしも国民の幸福につながったわけではないと批判した。特に、徴兵制の導入や資本主義の発展がもたらした社会的な問題に注目し、近代化の過程で生じた負の側面を強調した。
中江兆民は、その著作や活動を通じて、日本の近代化が西洋の模倣によるものではなく、日本独自の文化と価値観を基にしたものであるべきだと主張したのである。
「黒船以来の総決算」で、中江兆民が「西洋は野蛮である」と指摘したが、大西郷こと西郷隆盛は兆民よりもずっと前に同じことを指摘していた!
『南洲翁遺訓』に収録されているが、「文明とは、道の普く行はるるを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふに非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蛮と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の国に対しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蛮なりと云ふ可し」とある!
西郷隆盛は日本の近代化に反対したのではない。政府主流が岩倉遣外使節で欧米を訪問している間に、地租改正事業と税制、徴兵制、学校制度を整え、人身売買を禁止し、神社仏閣の女人禁制を廃止したのは、西郷を中心とした留守を預かった政府であった。西郷はあくまでも、日本が主体性を持って、ゆっくりと近代化すべきだと主張したのである。
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