日本の歴代内閣総理大臣経験者の中で、暗殺された方々は悲しいかな合計7名にものぼる。
最後の七番目が、記憶に生々しい2022年7月8日の安部晋三元首相の暗殺である。
これは1945年8月の太平洋戦争敗戦後、初めての暗殺であった。
7名の暗殺された歴代首相のお名前を列挙するとこうである。
1. 伊藤博文(初代、第5・7・10代):1909年にハルビン駅で韓国の民族運動家である安重根によって射殺されました。伊藤は明治期の政治家であり、初代内閣総理大臣でもありました。
2. 原敬(第19代):1921年に東京駅で国鉄職員の中岡艮一によって刺殺されました。原は「平民宰相」とも呼ばれ、政治家として活躍していました。
3. 高橋是清(第20代):1936年の「二・二六事件」で青年将校によって暗殺されました。高橋は「だるま宰相」とも呼ばれていました。
4. 濱口雄幸(第27代):1930年に東京駅で右翼活動家の佐郷屋留雄に銃撃されました。一命は取り留めましたが、その後療養生活を余儀なくされ、首相を退任した後に亡くなりました。
5. 犬養毅(第29代):1932年の「五・一五事件」で首相官邸で青年将校に銃撃されました。即死は免れましたが、その日の夜遅くに亡くなりました。
6. 斎藤實(第30代):1936年の「二・二六事件」で青年将校によって暗殺されました。
7. 安倍晋三(第90、第96-98代):元内閣総理大臣である安倍晋三氏は、2022年7月8日奈良県での選挙応援演説中に銃撃を受け亡くなりました。
暗殺された政治家のうち5人の方が、1921年から1936年のたった15年間の短い期間になされた暗殺でした。その後の日本は太平洋戦争へと走り出し、ついに1945年には大日本帝国滅亡となる敗戦を迎えました。
一方、英国の歴代首相経験者の中で、暗殺された方は日本がまだ江戸時代にあったナポレオン戦争時代、スペンサー・パーシバルただ一人のみである。
1. スペンサー・パーシバル(1762年-1812年):彼は唯一の英国首相であり、暗殺された人物です。日本の歴史教科書ではあまり取り上げられていないかもしれませんが、彼は英国政治史において重要な存在でした。
イギリス史上唯一の暗殺された首相である彼は、弁護士として名声を得た後、法務次官、法務長官、財務大臣を歴任し、第2次ポートランド公爵内閣で首相に就任しました。
以下はスペンサー・パーシバルの略歴です。
<生い立ち>:1762年にロンドンのオードリー・スクエアで生まれました。父はアイルランド貴族の第2代エグモント伯爵ジョン・パーシバルで、幼少期をチャールトンで過ごしました。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、福音派を支持しており、キリスト教の信念が彼の政治的態度に影響を与えていました。
<弁護士業と政治家としてのキャリア>:ミッドランド巡回裁判所で弁護士業を務め、文書偽造の案件で名声を得ました。また、政治家としても活動し、ウィリアム・ウィンダムから海軍本部委員会の顧問弁護士に任命されました。
<首相在任中の業績と暗殺>:1809年から1812年まで首相を務め、ワルヘレン遠征の失敗や摂政法問題、枢密院勅令による貿易不況などの問題を乗り越え、内閣の基盤を固めました。しかし、その矢先に1812年5月11日、ロンドンの議会建物で、ジョン・ベリンガムによって銃撃され、即死しました。
スペンサー・パーシバルは、政治家としてのキャリアと暗殺された運命によって、イギリス史に名を刻みました。
しかし、少なくとも300年以上の歴史のある英国議会において、暗殺された首相はただ一人のみというのは、誠に健全で立派なことである!