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『シャルギー(東洋人)』のいた国は今!

『シャルギー(東洋人)』とは、2018年に日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルである。
日本が誇るべきイスラム学者・井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれている。

今回はこの映画を製作したイランの今をあらためて眺めて見た。
1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあるが、2019年4月米国はさらに態度を強め、2018年の11月に再発動した「イラン産原油禁輸の制裁に関する日本を含めた8カ国・地域への適用除外(ウェイバー)」を延長しないとした。
この為、今は日本のイランからの石油輸入はほぼ停止状態にある。

2018年までは、毎年イランからの石油輸入は日本の石油輸入の5%前後を占めた重要な産油国にも係わらずである。
そんな米国によるイランへの制裁強化により、2020年の日本の石油輸入先国の状況は、サウジアラビア39.5%、UAE32.2%、クウェート9.2%、カタール8.6%、バーレーン1.4%とこれら5か国で90%以上となった。

令和4年11月分|石油統計速報(速報のみ)|経済産業省 (meti.go.jp)

中東では1948年のイスラエル建国以来1973年まで、イスラエルとアラブ諸国の間で大きな戦争が四度も繰り返されてきた。
1948年の第一次中東戦争は、イスラエル対エジプト、サウジアラビア、イラク、ヨルダン、シリア、レバノン。
1956年の第二次中東戦争は、イスラエル対エジプトの二国間であった。
1967年の「六日戦争」と呼ばれる第三次中東戦争は、イスラエル対エジプト、シリア、イラク、ヨルダン。
1973年の第四次中東戦争は、イスラエル対エジプト、シリヤであった。

その後は、アラブ諸国の雄であったエジプトが反イスラエル方針を転換したことや、王政であったイランにおける1979年のイラン革命もあり、大きな戦争こそは起きていない。しかし、紛争は今も絶えず続いており、アラブ諸国各国のお家の事情はより一層複雑化している。

特に、イランはイスラエルとの敵対がずっと続くなかで、同じアラブ諸国の王政を敷くサウジアラビア、スーダン、UAE、バーレーン、モロッコ、ヨルダンやエジプトとも対立している状況にある。

一方で、イスラエルと戦争した国々が、1979年のエジプトを皮切りに1994年にはヨルダンが、つい最近の2020年にはあのトランプ前大統領の肝煎によりUAE、バーレーン、モロッコがイスラエルとの国交を正常化したのである。

イランはイスラム教シーア派の盟主であるが、同じイスラム教の中で対立するムスリム人口の9割を占める多数派、スンニ派の盟主を自認するサウジアラビアは、表立ってはイスラエルと距離をおいてはいるが水面下では既に交渉を行っている。
そんな孤立状態のイランは、影響力の拡大を目論みイスラエルと闘うパレスチナの「ハマス」やレバノンの「ヒズボラ」などへの軍事支援を行い、さらにはウクライナに侵攻したロシアにも軍事用ドローンを提供し支援している状況にある。

中東情勢は今やダイナミックに変化している最中にあるのだ!
我々日本人は、あらためて日本が誇るイスラム学者・井筒俊彦先生の教えに大いに学び、これからのイランとの関係を再構築して行くべき時である。
さすれば世界的な外交問題において、リーダーシップを取れる国の一つとなれるのかも知れない!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中東戦争

1630夜 『エルサレム』 アモス・エロン − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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日銀と海外ヘッジファンド勝負の行方は!

昨日1月18日の決定会合において、日銀は引き続き現状維持の長期金利上限0.50%を決めた!
日本の国債をドンとカラ売りしている海外ヘッジファンド勢が、今回日銀はさらに金利引上げへと動くと大いに期待していたにもかかわらずである。
自分たちの考えこそが合理的なのだとの思いの強い、海外ヘッジファンド勢は今後もまだまだ日本国債のカラ売りを継続させることではあろう。
「イングランド銀行を打ち負かした男!」(The Man Who Broke the Bank of England) ジョージ・ソロスを連想する連中も多いかとも想像する。

英国通貨ポンドを売り続けたソロス対自国通貨ポンドを買い続けた中央銀行イングランド銀行の戦いの結末である。

しかし、あの1992年9月16日当時のイングランド銀行には明確に「ユーロ」という誠にキツイ「縛り」が存在していた。ジョージ・ソロスはその「縛り」をまさに突き、一撃を加えて勝利したのである。

その一晩だけで、ソロスは10億ドル儲けたそうだ!

その出来事が生じる以前の1992年2月7日には、単一通貨「ユーロ」を目指す欧州連合の創設を定めた条約、マーストリヒト条約が欧州諸国加盟国において既に調印されていたのだ。

一方、今の日銀を取り巻く環境をつらつら眺めてみると、巷では政策に対する様々な批判もあるが、1992年当時のイングランド銀行のような「縛り」はどこにも存在しない。

現在、国債の発行残高は約1000兆円であるが、その内半分以上の557兆円(2023年1月10日時点)は日銀が保有しているのである。

営業毎旬報告(1月10日現在) : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

こんな中央銀行は、他の先進諸国には存在しない。

これは喜んでいいのか嘆くべきなのか、普通の日本人の多くにとっては実に分かりにくいのが現状でもある。

黒田総裁の任期も残り三カ月もない、今年4月8日迄である。

新しく総裁になられる方が、黒田総裁の如く腹の座った方であれば、日銀はイングランド銀行の二の舞となる可能性は低いように思える。

既に500兆円以上買っているのだから、1000兆円くらいはきっと気合で買えるはずだ!

次の日銀総裁にもフレー フレー!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジョージ・ソロス

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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや!

知る人ぞしる戦後歌壇の異才・寺山修司の昭和の代表作である!

令和の今「マッチ」という言葉に対する人々の感覚が、昭和の時代からはほど遠くなっていることが少し残念である。

しかし、今も実際に戦っているウクライナやロシアには、きっとこの歌のような切実な思いに悩む人々が数多いることは間違いないであろう!

プーチン大統領に是非プレゼントしたくなる歌である!

たった三十一文字の中に、人それぞれに浮かび上がってくるドラマがある。この歌はとりわけ、人それぞれに各人各様の具体的なイメージを見事に膨らませてくれる。

まるで自分がこの歌の主人公になった気にさせてくれる!

昨年二月にロシアがウクライナに侵攻し、取り繕いながらも何とか77年間続いて来た「おおよそ世界は平和な時代」は終わりを告げた。

そして、我国周辺では中国の台湾問題が日々緊張を増している。

日本の防衛費も、戦後78年間ずっと縛り続けて来たGDPの1%から2%へと倍増させる方向にある、今こそ平和な日本においてもあらためて読み直し味合うべき歌であろう!

寺山修司が「身捨つるほどの祖国」と詠んだ背景には、大日本帝国のためと信じて戦い死んでいった父の姿があるという。

終戦直後、寺山は満10歳という少年であった。
しかし、早熟であった少年・寺山は「祖国とはなんなのか」「父の死の意味とは」「自分のあり方とは」と様々な自問自答が脳裏に満ち溢れていたことであろう。
ただ、もう一方で、寺山自身がこの歌の創作過程について触れている内容を読むとまた違った見解もできるという。
寺山の自伝抄『消しゴム』によると、横浜のチャイナタウンで知り合った42歳の中国人・李と並んで眺めた光景がこの歌のきっかけだというのだ。
寺山は当時23歳、三年間の入院生活を追え、生活のため電話番やポーカーディーラーの仕事についていた。二人は仕事の合間に横浜の海を見に行くのだが、その晩は霧が深くお互い黙って「べつべつの海」を眺めていたと述べ、その時に作った歌だと述べている。
「わたし」だけでなく、国籍が異なるもう一人の登場人物によって、「身を捨つるほどの祖国」にはこれからの日本の舵取りへの憂いだけでなく、中国に残してきた42歳の中国人・李の家族への心配も含まれるようになる。
ただし、寺山は自身の過去でさえも虚構化することから、この話も創作である可能性は否めない。

参照1:短歌の教科書|短歌の作り方・有名短歌の解説サイト (tanka-textbook.com)

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

ヒトラーやスターリンが互いを嘲笑し合う映画「独裁者たちのとき」!

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岸田政権支持率UPの秘策とは!

昨日はワシントンで米国のバイデン大統領とも会談を行った岸田首相の支持率が低迷している。

1月10日のNHKの世論調査によると、支持率は先月の調査よりさらに3ポイント下がって33%という厳しい数字である。

ある直近の新聞報道では、米国のある政府高官から来年の日本の首相は誰だと思うかと尋ねられたとあった。

そこで、岸田政権支持率UPの秘策を提案したい!

それは、ズバリ時代に適した国民栄誉賞の贈呈である!

今こそ、アフガン復興に生涯を捧げ3年前にテロにて暗殺された医師の中村哲さん、そして昨年の10月に逝かれたアントニオ猪木さん、さらに昨年「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞を受賞された眼科医の服部匡志さん、この御三方に国民栄誉賞をお送りするのである!

米国にハシゴを外されアフガンは、あっという間に元の木阿弥、またタリバン国家に戻ってしまい、特に女性方が今大変厳しい状況にある。

なお、その際の米国の杜撰なアフガン撤退がプーチン大統領のウクライナ侵攻をもたらした可能性は極めて高い!

そんなアフガンの人々に対して、中村哲さんへの国民栄誉賞は「日本はアフガンの人々のことを決して忘れてはいないのだ!」という強いメッセージとなるはずである!

皆さんよく御存知の「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは、史上初めてプロレスラー出身として参議院議員に当選、イラク人質事件や北朝鮮を訪問しての異色の独自外交も展開された!

「燃える闘魂」への国民栄誉賞は、老若男女の多くのファンが強く支持すること間違いなしである!

マグサイサイ賞を受賞された服部匡志さんは、ベトナムで貧しく白内障などの治療が受けられずに、失明してしまう人々を救う為、20年間にわたり私財まで投じて手術や治療を無償で行い、さらに高度な手術を行える眼科医の育成にも力を尽くされてきた。

服部匡志さんへの国民栄誉賞は、今後日本の医学会がさらに本格的にグローバルな医学貢献を行うことへの指針となり、アジアにおける日本の医療貢献への期待をアジア各国に大いにもたらすものである!

WHOによると日本の人口1千人あたりの医師数は2.297人で、世界ランキングの順位は55位とある。医師数を倍増すればロシアを抜いて世界7位となる。

御三方への国民栄誉賞の贈呈奨励に際し、岸田政権のみなさんへ「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが愛した詩である「道」をお送りしたい!

この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、

危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、

その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。

<オマケの一節>

迷わず出せよ 国民栄誉賞を 出せばわかるさ!

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シャルギー(東洋人)!

2018年には日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルが、この『シャルギー(東洋人)』である。

1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあり、西側諸国から見ると多くの問題を抱えている。しかし、こんな映画を製作する外交的センスを目の当たりにすると、やはり歴史ある大国であることを実感せざるを得ない。

是非とも日本の外交筋には、爪の垢を煎じてガブ飲みして貰いたくなる!

この映画の主人公である井筒俊彦は、30以上もの言語を流暢に操った天才言語学者であり、東洋人で初めてイラン王立研究所教授として現地で講義を行ったイスラーム学者。さらに東洋思想研究者であり、神秘主義哲学者でもあった大先生である!

1993年(平成5年)に79歳で亡くなられたが、イラン及びイスラームの世界を中心に今も尊敬され続けている。

東西の知を操る異才 井筒俊彦:[慶應義塾] (keio.ac.jp)

個人的に井筒俊彦を知ったのは、30年ばかり前に司馬遼太郎との対談を読み何度も驚いてからである。

あの辛口の司馬遼太郎が対談冒頭に、「二十人ぐらいの天才が一人になっているような方」と語り、挨拶して平身低頭しているのがまず最初の驚きであった!

対談の中で今でも記憶に鮮烈に残っている話は、よくテレビに映像が出てくる東京裁判の1シーンで、あの東条英機の頭を後ろからポカリと殴る大川周明とも関わる話である。

勿論戦前の話で、1939年(昭和14年)に当時二十代半ばのヤングであった井筒俊彦が法政大学教授でもあった大川周明から亡命イラン人を東京で匿う手助けを頼まれ、イスラームの大学者と接した折の逸話である。

井筒が驚いたのは、その大先生が「おまえはなかなかよく勉強しているが、読んだ本はどうしているのか?どこか他の地へ行かねばならない時に本はどうするのか?」と尋ねられたのだ。

井筒は「取り合えず必要な本だけは持って参ります。」と答えると、大先生はさらに「火事で燃えたらどうするのか?」とまたお尋ねになったのである。

たまりかねた井筒は、大先生に「それでは先生御自身は読まれた本はどのようになされているのですか?」とお尋ねした!

先生の御答えは極めてシンプルかつ明快であった!

「読んだ本はすべて頭の中に記憶してある!」

「イスラーム学者として至極当然のことである!」

これにはさすがの後の大天才、井筒俊彦も驚愕したそうである。

シャルギー(東洋人)』は、イスラム学者井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれた。制作・脚本・監督はマスウード・ターヘリー。

本作の目的は、井筒俊彦の研究をより客観的な立場から紹介し、制作を通じて文化交流を行うことにあった。

映画の企画は2015年2月に開始された。撮影は2015年9月から2017年5月までかかり、移動距離14万2千キロにも及んだ。挿入曲は今回のドキュメンタリーのためにオリジナル曲が用意され、2016年5月から制作が開始、公開直前まで調整が続いた。

映像資料が効果的なくだりは、イラン時代の井筒俊彦の資料やイラン革命を実体験しながら井筒が現実世界と政治に関心を持ち遍歴を重ねる姿だ。

この姿は日本社会一般ではこれまであまり知られなかった。場面の中にはイスラームの神輿と日本の祭のそれがどこか似ているといった描写まで登場する。このドキュメンタリーはグローバル化が進む日本のイスラームとの対話にとって大きな存在となるだろう。

日本ではイスラーム研究そのものが社会一般においてまだまだ知られていないことから、井筒俊彦の構想した世界とそのテクストの重要性・意義が認識されないところがある。

井筒の業績や学才の恩恵に早い段階からあやかったのはイランをはじめイスラーム圏であり、その重要性を彼の地では早くから指摘されてきた。
イスラームからみた東洋はインドや中国・韓国・日本なども含まれている。優れた西欧の東洋研究者たちとも全くひけをとらないイスラーム研究者が日本から出て来たこと、そしてその人物が西洋・イスラーム・東洋を橋渡しするようなモデルを構築したことの意義はしっかりと評価されるべきだろう。

現代日本はAI時代になっている。井筒哲学を人工知能的にモデル化・形式化する試みもすでにこの国からはじまっている。現代文明を読み解く上で1つの大きなベースとして井筒俊彦を捉え、そこから得たものをマルチメディアな現代の中で描くのがこれからの我々に求められていることだろう。

井筒俊彦や大川周明がシュタイナーに興味を持っていたこと、子ども時代に禅を親から学んだ井筒と大家の鈴木大拙、鈴木の妻で神智学徒だったビアトリスらによる近代日本の精神史の深層といった興味深いテーマも日本から掘り起こしがはじまっている。この映画の発表によってさらに新たな展開が世界的に予想される。
参照:neoneo編集室【Review】ドキュメンタリーが示す新たな井筒俊彦とその可能性 text 吉田悠樹彦

余談ではあるが、井筒俊彦が恩師である西脇順三郎はあくまでも「学問」の師であると強調しているのは興味深い。分厚い英語辞書を丸暗記し、覚えたところは破いて捨てろという師、「私も語学が好きですから、やれといわれればやるけれども」という弟子。西脇順三郎の指導は、経験的かつ「厳格そのもの」だったと井筒俊彦は書いている。

井筒俊彦は英文学研究の道には進まず、西脇順三郎の専門領域を引き継ぐことはなかった。「学者にはなりたい、だがいわゆる『専門家』にだけはなるまい、とひそかに思い決めたのは学生時代」(「道程」)だったいうからここに、学問への態度は当時すでに決せられていたといっていい。言語哲学、ギリシャ神秘思想史、ロシア文学と、一見無秩序な講義の開講を許されたのも、西脇門下ゆえだった。

後年、西脇順三郎は「言語学概論」の講座を井筒俊彦に委譲する。しかし、従来の言語学も井筒俊彦の専門にはならなかった。井筒俊彦がいう「コトバ」とは、言語学のいう言葉ではない。形而上学でいう存在、すなわち万物の実在を規定するもの。西脇順三郎から伝授されたのは、学説ではなく、「コトバ」の系譜、すなわち存在の根源への追究である。「思えばずいぶん出発点から離れ、西脇先生の世界から遠ざかってしまったものだ。だが、コトバに対する関心だけは、始終守り続けてきた。コトバにたいする、やむにやまれぬこの主体的関心の烈しさを通じて、結局、私は今でも西脇先生の門下生の一人なのだ、と思う。他人(はた)が私をどう見るかは知らない。自分では、そうだと思っている」。(「西脇先生と言語学と私」)と井筒俊彦は書いている。

西脇順三郎は、ある詩集の序文で、内なる自己を「幻影の人」と呼んだ。
生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決できない割り切れない人間がいる。 これを自分は、「幻影の人」と呼びまた、永劫の旅人とも考える。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去っていく。この人間は「原始人」以前の人間の奇蹟的に残っている追憶であろう。永劫の世界により近い人間の思い出だろう。(『旅人かへらず』はしがき)

「幻影の人」に思いを馳せるとき、この詩人の実相とともに、井筒俊彦が、西脇順三郎だけを「師」と呼ぶ理由を垣間見ることができるのかもしれない。ヘラクレイトスを論じ、「彼は存在の動的実相を説く哲学者であると同時に、万象転変を歎く憂愁の詩人でもあった」(『神秘哲学』)と、井筒俊彦はいった。詩と哲学が不可分な実在。真実の詩人は永遠の「哲学」を歌う。西脇順三郎はそうした詩人だった。
参照:西脇順三郎 | 特設サイト「井筒俊彦入門」 – 慶應義塾大学

参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シャルギー(東洋人)、井筒俊彦、大川周明

1773夜 『神秘哲学』 井筒俊彦 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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こども家庭庁に望むこと!

今年2023年4月1日からこども家庭庁がスタートする。
そこであらためて内閣官房の資料を眺めてみた!
2021年(令和3年) 11月 29日付のこども政策の推進に係る有識者会議の報告書の中に以下こんな一文があった。

『待ちの支援から、予防的な関わりを強化するとともに、必要なこども・家庭に支援が確実に届くようプッシュ型支援、アウトリーチ型支援に転換 !

これまでの支援の多くは、専門家の配置や相談窓口の開設といった、施設型、来訪型の支援となっている。多くは、こどもや家族の自発的な相談行動や申請を支援の前提としているが、支援が必要なこどもや家族ほどSOSを発すること自体が困難であったり、相談支援の情報を知らなかったり、知っていたとしても申請が複雑で難しいといった課題がある。

来ることを待っていては、本来支援が必要なこどもや家族にアプローチすることは難しい。また、困難が生じてから対処するだけではなく、そもそも困難が生じることを未然に防ぐための予防的関わりを行うことで、将来生じ得る社会コストを減少させることなどの効果にもかんがみ、全てのこどもと家庭を対象とした予防的な支援を重視し、充実させていくことが重要である。』

まさに従来のお役所仕事の欠点を総括した一文である!

ただ、さらに踏み込むべきことを望みたい!

それは、「予防的な関わりを強化する」に留めるのではなく、そもそも「予防的な関わりをメインの仕事とする」ことである!

このように断言するのは、7年前のNHKの特集番組「ママたちが非常事態!?」の中で「人間の子育ての進化」を見て、ナルホドそうだったのかーと目からウロコとなったからである!

その理由は、なぜ人間は毎年こどもを生むことができるように進化したのかについて明快なコメントがあったからである。

進化した人間の子育ては、元々周りの多くの人から支援を受けることを前提に進化したというのである!

余談ではあるが、人類に極めて近いチンパンジーの子育ては、主に母親のみが約5年間子育てに専念するとのこと。また、母親はその間はオスとの関係は持たないとのことである。

NHKスペシャル ママたちが非常事態!? ~最新科学で迫るニッポンの子育て~

今の日本で周りの社会から孤立状態になった子育て中のお母さんが、色々な問題を抱えてしまうのはムシロ当然の結果なのである!

こども家庭庁は、母親が母子手帳を受け取る際に、各自治体等のスタッフも含めて最低3名程度の身近な支援者を母子手帳にキチンと登録し「こども家庭庁自らが直接管理する」ことを義務化すべきである!

ITがこれだけ進化した今の時代、本当にこどもたちを、国の宝と考えるならば当たり前のことである!

大いにAIも駆使すべし!

マイナンバーカードなどよりもさらに優先してやるべし!

こども家庭庁とは?目的や組織概要、最新情報、メリット・デメリットも – SDGsメディア『Spaceship Earth(スペースシップ・アース)』

天下の新居関所の前にOHANA PARK(オハナパーク)!

こどもホスピスを全国津々浦々に!

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江戸のお寺の内部事情!

大河ドラマ「どうする家康」も昨日から始まりましたが、御存知のように「江戸」はその徳川家康が、地方の粗末な城下町をあらためてデザインし直し、大改造して生まれた都市です!

江戸時代中期、江戸の人口は、武士が約70万人、町人が約50万人、僧侶など宗教者も含めると軽く100万人を超しており、世界的にも最大規模の都市でありました。

その頃のロンドンの人口が約85万人、パリが約55万人、そして中国当時は清朝の北京と広州が共に100万人程度と言われています。

同じ頃の国内の大都市である大坂や京都の人口が、概ね30万から40万人(元禄期)ですから、江戸を語る上でこの人口の巨大さは重要なポイントです。

巨大な人口の維持には、誠に膨大な物資を必要とします!

江戸は、「人」と「物」がドンドンと集まることで次第に巨大な「消費都市」になったのです。さらにその消費を支えるために「生産都市」としての性格も強めていきます。こうしたことが江戸の独特な気質や特色を生み、「化政文化」などの江戸文化を発展させました。

一方、多くの人々が集まって住めば、その「精神面を支える装置」もまた必要になります。それが宗教や文化です。特に宗教には「死にまつわる不安を和らげ、来世の保証をしてほしい(来世安穏)」「生きている間の願いを叶えてほしい(現世利益)」という期待が寄せられます。江戸幕府の宗教政策から、それらは主に仏教に求められました。

そうしたさまざまな願いに応じるため、江戸には新たに多数の寺院が建立されました。幕府は、江戸を含め全国の寺院統制を寺社奉行や各宗の触頭(ふれがしら)を中心に行っていきました。

ですから、江戸には先のような庶民の信仰を引き受ける寺院だけでなく、「寺院行政の為のみに関わるような寺院」も設けられました。このことは、多くの寺院が存在する京都とは異なる江戸の寺院の特色といえます!

触頭(ふれがしら)とは、江戸時代に幕府や藩の寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のこと。本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行いました。

室町幕府の時代に僧録が設置され、諸国においても大名が類似の組織をおいて支配下の寺院の統制を行ったのが由来であります。1635年(寛永13年)に江戸幕府が寺社奉行を設置すると、各宗派は江戸もしくはその周辺に触頭(ふれがしら)寺院を設置した。「浄土宗」では増上寺、「浄土真宗」では浅草本願寺・築地本願寺、「曹洞宗」では関三刹(栃木県の大中寺、千葉県の総寧寺、埼玉県の龍穏寺)が触頭寺院に相当し、幕藩体制における寺院・僧侶統制の一端を担った。触頭には、全国の寺院や僧侶から出される各種の請願にともなう、いわば「寺務取扱手数料」としての礼録・冥加料等(一件ごとの額は差程ではないでしょうが)の収入がもたらされた。

余談ですが、このような江戸幕府と仏教界とのWINーWIN関係も踏まえ、明治維新の際に明治新政府は神道の国教化政策に舵を切り、1868年(明治元年3月)神社から仏教的な要素を排除しようと神仏分離政策である「神仏分離令」を出します。

「江戸の寺院の様子とは?」

仏教の信仰は、大きく二つに分けられると思います。葬儀・法事という死に関わる「滅罪」と、現世の願いを叶える「祈祷」です。

江戸では(江戸に限りませんが)、僧侶は人々の願いに応じてさまざまな宗教行為をしています。しかし当時の人々は「滅罪」と「祈祷」とは一つの寺院ではなく、別々の寺院に依頼することがごく普通でした。

例えば将軍家の菩提寺は増上寺(浄土宗)や寛永寺(天台宗)ですが、増上寺では「滅罪」の行為は行っても決して「祈祷」はしません!

将軍家の諸願を叶える祈祷行為は、「護持院(知足院を改称)」が中心になっていました!

庶民も宗門改め制度により特定の菩提寺をもっていましたが、同時に祈祷檀那として祈祷だけを依頼する寺院をもつことが一般的でした。

「江戸町人の宗教意識の特色とは?」

江戸町人が抱いていた宗教意識の特色をまとめると次のようなことがいえます。
①幕府は、禁止しているキリスト教や不受布施派(日蓮宗の中の一派)に属さないように、宗門改め制度によって日本人全てが何れかの宗派寺院の檀徒になることを強制した。宗門改めは家単位で行うため、一個人が特定の宗派・寺院を選択する余地はほとんどなかった。このため宗教行為は滅罪行為を中心に慣習化し、菩提寺との関係は形骸化していった。

②近世、江戸時代の人々は、中世に比べて、現世を謳歌する傾向が強まった。信仰面では、菩提寺を介する「滅罪」行為は習俗的な慣行として一層定着はしたが、菩提寺を介さない「現世利益」を追求する信仰が非常に高揚した。特に江戸などの大都市の町人にその傾向が強い。

③特定の寺院や霊場を参詣する信仰の旅が大いに盛行した(成田詣・大山詣、西国や坂東などの観音札所巡りなど)。

また、一方では全国の著名な寺院が、霊験あらたかな本尊や宝物類を江戸に運び、回向院や護国寺などの境内で参拝させる出開帳が頻繁に行われた。今で言えば大フェスティバルの開催である。出開帳には出店が立ち、催し物や興行があるなど、信仰と娯楽がセットになっており、江戸町人の大人気を博した。

例えば、成田山新勝寺は1703年(元禄16年)の夏に初めて江戸深川の永代寺(えいたいじ)で出開帳を開催し人気を高めた。さらに時を同じくして、歌舞伎の市川團十郎と九蔵の親子が、祈願により子を授かった実体験を元にした演目「成田山分身不動」を上演して大当たり。こうして、「成田詣」は江戸庶民から不動の人気を得ることとなった。

「江戸寺院の経済基盤とは?」

江戸寺院の経済基盤は、大きく二つに分かれる。一つは「土地経済」、もう一つは「布施経済」。これは土地収入・布施収入ともいえる。

「土地経済」とは、いわゆる田畑や借地など土地から得る収入です。将軍や大名から寺院に寄進された「朱印地」や「黒印地」、あるいは「除地」とされ田畑は、年貢・公租類は免除され、それは全てが寺院の収入になった。また、年貢のかかる田畑を農民に貸して得る小作料や、門前町地を貸して得られる借地代も重要であった。
一方、「布施経済」とは、檀家さんの葬儀・法事などの布施、そして祈祷料のことである。江戸の寺院は、布施に頼る寺院が多かったと思われるが、土地・布施のどちらか一方からというのではなく、複合的になっている寺院も少なくなかったはずである。

参照1:総本山智積院 愛宕薬師フォーラム 愛宕 真福寺 江戸の寺院を知る 講師:大正大学文学部教授 坂本 正仁 先生

参照2:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)触頭

参照3:まっぷるトラベルガイド編集部 成田山新勝寺の人気の秘密

1185夜 『廃仏毀釈百年』 佐伯恵達 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)


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