1:ちはやぶる 神代もきかす 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは
(ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは)
<在原業平(ありはら の なりひら)朝臣・古今集・百人一首17番>
【現代語訳】遠い昔の神様の時代にも聞いたことがなかったでしょうよ、このように竜田川(たつたがわ)の水をもみじの葉が唐紅(からくれない)の色にしぼり染にする光景なんて。
在原業平は、昔から美男の代名詞とされている。有名な平安時代のプレイボーイであり、『伊勢物語』の主人公のモデルとされている。おつきあいした恋人は、なんと3733人もいた!とまで言われている。
なお、この歌は、実際に紅葉の名所の竜田川で詠まれたのではなく、紅葉を描いた屏風絵を前にして詠んだ「屏風歌」だそうだ。この時代には、平安貴族たちが競って「屏風歌」を詠む遊びが、風流なものとしてトレンドになっていたそうである。
今もガザやウクライナで敵対し合う兵士たちに、国連の負担で屏風を配りこんな風流な遊びを、毎日やらせたらみんな殺し合う気が無くなるのかも知れない!
2:奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の こゑきくときぞ 秋はかなしき
(おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき)
<猿丸大夫(さるまるのたいふ / さるまるだゆう)・古今集・百人一首5番>
現代語訳など無くとも分かる歌である。シンプルに易しい言葉だ。だからこそ「恋しさ」と「秋」の季節の哀しさがなおさら相まってストレートに心情に響く歌である。さらに、人ではなく牡鹿というところが、こころにくい。ただ、この猿丸大夫の伝承が全く不明で、生没年も不明なのは残念である。
3:このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
(このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみにまにまに)
<菅原道真(すがわら の みちざね)・古今集・百人一首24番>
【現代語訳】このたびの旅は、出発の慌ただしさにて、御幣の用意もできかねました。代りにこの手向山の錦を織ったような素晴らしい紅葉を、御幣として捧げます。どうぞ神の御心のままにお受けとりください。
手向山は、京都から奈良に抜ける奈良山の峠である。当時は旅の途中、峠を通るときに、そこにいる神様(道祖神)に「色とりどりの木綿や錦、紙を細かく切ったもの」=「幣(ぬさ)」をお供えをしたのだ。
予定外の行程で「幣(ぬさ)」を用意していなかったところ、「代わりにこの美しい紅葉の錦を捧げましょう」と機転を利かせて詠んだ歌なのである。
菅原道真とは、みんなよく知る「天神さん、てんじんさん」であられる。現在も、日本全国各地のたくさんの天満宮や天満神社に祀られておいでになる。
4:小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば いまひとたびの みゆきまたなむ
(おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん)
<藤原忠平(ふじわら の ただひら)・拾遺集・百人一首26番>
【現代語訳】小倉山の紅葉よ、もしおまえに心があるならば、もう一度行幸があるまで、散るのは待っていてほしいものだなあ。
藤原忠平は菅原道真と親交があり、道真の左遷にも反対したという言い伝えもあるそうだ。
5:白露(しらつゆ)は ことにおかぬを いかなれば うすく濃く染む 山のもみぢば
(しらつゆは ことにおかぬを いうなれば うすくこくそむ やまのもみじば)
<良寛(りょうかん)>
【現代語訳】しらつゆは、こっち葉っぱの上には置きませんよ、なんていう分け隔ては全くしない。それなのに、どうして山の紅葉は薄く染まったり濃く染まったりとするものなでしょうか?ホンマに不思議ですよね。
日本人ならみんなよく知る「りょうかんさん」は、江戸時代後期の歌人・僧侶。良寛さんには、こんな俳句もある。
「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」
6:金色の ちひさき鳥の かたちして銀杏(イチョウ)ちるなり 夕日の岡に
(こんじきの ちいさきとりの かたちして いちょうちるなり ゆうひのおかに)
<与謝野晶子(よさの あきこ)>
【現代語訳】まるで金色の小さな鳥が舞うように、黄色く色づいた銀杏の葉が、夕日の茜色に染まる岡へと散っていく。
我が亡き母も大いに好んだ歌である。代表作には、日露戦争に従軍していた弟を嘆いて詠んだ有名な歌「君死にたまふことなかれ」がある。
「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、末に生れし君なれば、親のなさけはまさりしも、親は刃(やいば)をにぎらせて、人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて、二十四までをそだてしや。」5番まである中の最初の歌である。