ガザの歴史はとても古く、紀元前6000年頃から定住者がいた都市であることが判明している。イスラエルは宗教上の理由を強く主張するが、そんな宗教がまだこの世に存在しない時代から、ガザではずっと人々が暮らして来たのである。ガザは、地理的にはエジプトとシリアの間に位置しており、古くから交通の要衝としての地位を占めていた都市である。
中東に位置し、地中海東岸に沿った長さ約50キロ、幅5~8キロの細長い地域で面積は365 平方キロ。
ガザの面積を日本の都市で例えると、四国の香川県の高松市(人口約41万人)や千葉県の市原市(人口約27万人)とほぼ同じくらいである。もっと言うと京都市(人口約145万人)や仙台市(人口約109万人)の半分に少し足りない面積である。しかし、そんな面積のガザには、230万人以上の人々が暮らしているのだ。高松市の約6倍、市原市の約9倍もの人口なのである。面積が2倍以上の京都市や仙台市よりも遥かに多い人口なのである。
参考までに、空爆を行っている方のイスラエルの面積は、2.2万平方キロと日本の四国と同じくらいであり、人口は約950万人である。その民族的構成は、ユダヤ人(約74%)、アラブ人(約21%)その他(約5%)。宗教的には、ユダヤ教(約74%)、イスラム教(約18%)、キリスト教(約2%)、ドルーズ(約1.6%)である。
話をガザに戻すとガザの中心地は、海抜14mの低い平らな丘の上にある。
南西はエジプト領シナイ半島、北東はイスラエル領に接しているが、2007年からはテロ行為防止のためという理由でガザ地区と領国の間に、それぞれ分離壁や検問所が設けられている。特にイスラエルが設けた分離壁が「封鎖」の象徴とみなされていることから、「天井のない監獄(牢獄)( open-air prison)」とも呼ばれている。日本でイメージするならば、瀬戸内海に面する四国の高松市が周りを高い壁で遮断され、かつ瀬戸内海が海上封鎖されているようなものである。
現在ガザ地区に住む人々の3分の2は1948年の第一次中東戦争によって発生したパレスチナ難民およびその子孫である。そして、この難民問題の解決策は同地を実効支配するハマスに委ねられている。今回の空爆の原因となったテロ攻撃を仕掛けた、そのハマスにである!
イスラエル・パレスチナ 歴史的和平合意から30年 NHK解説委員室