「キューポラのある街」、主人公のジュン役を演じた吉永小百合さんが、当時史上最年少の17歳で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である!
1962年(昭和37年)に公開され、監督は浦山桐郎さんであった。
なお、原作者の早船ちよさんは、この作品で同じ年昭和37年の日本児童文学者協会賞を受賞された。
<参考1>:『キューポラとは、屋根に取り付けられている、小さな屋根の構造体のこと。形状は半球や円すい、四角すいなど様々で、屋根裏の換気をするためや、飾りとして付けられている。イタリア語の“クーポラ (cupola) ”が語源とされており、元々は大きさ、設置場所にかかわらず、単純に「半球形の屋根」の意味であった。イタリアにある大きな教会の多くは、ドーム頂上部に突出したクーポラを持っていて、教会自体をクーポラと呼ぶ。日本では、鋳物工場などの屋根から突出していた、溶銑炉の排煙筒をキューポラと呼んだものである。』
鋳物工場のキューポラが立ち並ぶ埼玉・川口。町工場に勤務する鋳物職人・石黒辰五郎の長女で中学3年生の石黒ジュンは、高校進学を目指していた。
そんな中、仕事中の大怪我の後遺症で満足に働けなくなった父・辰五郎は、勤務先が同業他社に買収されたことに伴い、人員整理の対象になる。石黒家では小学校6年生の長男・タカユキ、未就学の次男・テツハルがいるのに加え、赤ん坊が生まれたばかりであり、家計は火の車となる。
隣人で父・辰五郎の元同僚の若者・克巳が石黒家を見かね、新会社の労働組合を通じて社長にかけ合い、数か月分の【傷病手当金】相当の金額を支払わせることに成功するが、「アカの世話になった」ことを恥じる父・辰五郎は、その金をすべて酒と【オートレース】につぎ込んでしまう。
<参考2>:『アカとは、社会主義や共産主義のことを指す隠語もしくは蔑称である。』
ジュンは生活費や志望する【全日制高校入学】に必要な学費を稼ぐため、級友・ヨシエが働く【パチンコ店】でアルバイトを始める。動けるようになった辰五郎の妻できょうだいの母・トミも、これまで従事していた【内職】をやめ、【居酒屋】で働き始める。弟・タカユキは小遣い稼ぎのために野鳩の卵を集め、【伝書鳩】として訓練して売りさばくことを思いつくが、かえった雛を猫に食べられるなどしてうまくいかない。
修学旅行を控えていた中学のクラスでは、【物価高騰】にともない、生徒たちが持ち出せる現金の額を上げるよう教師たちに要求しており、学級会で採決をとることになった。居合わせた担任教師の野田は、積極的に賛意を示さなかったジュンを気にかける。野田は下校中のジュンを追い、パチンコ店に入ったところを認める。そこに野田の元教え子である克巳が現れてジュンの事情を説明する。翌日、野田は市の教育委員会が貧困生徒のために修学旅行費用を助成していることを教え、ジュンに小遣いを渡す。
父・辰五郎はジュンの級友であるノブコの父・東吾の紹介で新たな鋳物工場の職を得るが、【オートメーション化】された工場の中に【勘と経験】を頼りとする古い職人の居場所はなく、家族に告げずに辞職してしまう。
父・辰五郎はジュンが修学旅行に出発する日の朝にそれを伝え、家族は恐慌をきたす。級友・ノブコに会わせる顔がなくなったジュンは集合場所の川口駅へ行かず、河川敷で時間をつぶし、普通列車に乗って志望校のある浦和へ行く。フェンス越しに志望する高校をのぞいたジュンは、お遊戯会のような体育の授業を目の当たりにして幻滅する。一方同じ頃、同じように学校をサボって浦和に来ていた弟・タカユキは、育てた鳩をそこで放し、自宅の鳥かごに帰って来させることに成功する。
川口に戻ったジュンは、思わず母・トミの働く居酒屋をのぞいたところ、トミが男相手に愛想を振りまく様子を見てショックを受ける。そこでジュンは【不登校生】の通称「リスちゃん」に再会し、バーに誘われ、初めて酒を飲む。そこで不良少年たちに乱暴されかけるが、危うく逃れる。この日以来ジュンは中学校に行かなくなる。
ジュンを心配した野田が石黒家を訪問する。「勉強したって意味がない」と吐き捨てるジュンに、野田は「受験勉強だけが勉強ではない。高校に行かずに働くとしても、目の前で起きることへの理解を積み重ねて、いつでも自分の意見を持つために、人は勉強をしていかなければいけないのだ」とさとす。
登校を再開したジュンは、社会科見学で電機メーカーの工場を訪れる。働きながら【定時制高校】で学び、部活動にもいそしむ女性工員たちの姿を見て、ジュンは自立した現代の労働者の姿を見いだし、あこがれを抱き始める。
ある日、級友・ヨシエの一家が【在日朝鮮人の帰還事業】に応じて、日本人の母親を残して北朝鮮へ帰ることになる。ヨシエの弟でタカユキの親友・サンキチも日本を離れることになり、彼を送り出すために川口駅に来たタカユキは、自分が育てた伝書鳩を手渡し、「手紙をつけて西川口で窓から鳩を放してくれ」と頼む。ヨシエは同じく駅に来たジュンに、愛用の自転車を贈る。
<参考3>:『在日朝鮮人の帰還事業とは、1950年代から1984年(昭和59年)にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義共和国(以下、北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住である。
主として1959年から1967年にかけて、「朝鮮」籍50万人弱のうち、北朝鮮に永住帰国したのはおよそ9万3000人(うち、北朝鮮に渡った日本人の妻は約1831人)であった。』
<参考4>:『1977年(昭和52年)11月15日は、当時中学1年生であった横田めぐみさんが新潟にて北朝鮮に拉致された日である。この映画の公開された1962年からは15年経っていた。』
【帰還船】の出る新潟港へ向かう列車は西川口駅に差し掛かり、サンキチは鳩を放す。川口へ飛んでいく鳩を見て日本に残る母恋しさに駆られ、サンキチだけが大宮駅で列車を降りる。しかしサンキチが川口に戻ると母は経営していた食堂を閉め、別の人物と結婚するために姿を消していた。タカユキは次の帰還船が出る年明けまで、近所に住む崔の一家にサンキチを預け、「もう人の世話になるのはやめよう」と誓い、ともに新聞配達のアルバイトを始める。
父・辰五郎は突然、元の職場での復職が決まる。克巳がやって来て祝い酒をふるまうが、その場でジュンは電機メーカーに就職する意向を明かす。サンキチが新潟に向かう朝、ジュンと弟・タカユキは跨線橋から列車を見送る。その日はジュンの就職試験の日でもあった。きょうだいは街を駆けて行った。