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人生は旅!

親ガチャ・子ガチャでジャンケンホイ!

2021年、「親ガチャ!」が流行語大賞にノミネートされた。「親ガチャ」とは、子どもがどんな親のもとに生まれるのかは、まさに運任せというか、運次第であって、家庭環境により人生を左右されることを、スマホゲームの「ガチャ」にたとえた言葉だそうだ。

生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子どもは親を選べない」ということを、スマホゲームの「ガチャ」 に例えているそうである。

この言葉には若者の共感が集まる一方、否定的な意見も多数見られるそうである。この感覚の違いは、一体どこから来るのだろうかとあらためて考えてみた。

そうすると、自明のことではあるが、「親だって生まれてくる子どもを選べない」のである。これは「子ガチャ!」である!

「親ガチャ!」と「子ガチャ!」はお互い様なのである!

その時々の時間の諸々の環境において、親ガチャ・子ガチャでジャンケンホイ!なのである!

そして、そのような話題は、表現のなされ方に違いはあれど、いつの時代にも必ずあった話なのである。

だからこそ、近年なぜこのような「親ガチャ」という表現により、この話題が今再注目されているのか?をマジメに考えることが非常に大事なのだと思う!

さすれば、丁度参考にしてみたい資料があった。今年4月からは「子ども家庭庁」に引き継がれている、「世界青年意識調査」である!

これは、旧総務庁青少年対策本部(現内閣府政策統括官(総合企画調整担当))が、1972年(昭和47年)より5年ごとに,世界各国の18歳から24歳までの青少年を対象にして,「世界青年意識調査」を実施してきたものである。半世紀以上の歴史がある、調査なのだそうである。

そこにある心構えとは、「青少年の生活と意識は,時代を映す鏡であり,来るべき時代の予兆である。そこには,現代社会の諸特徴と未来の諸課題が映し出されている。」という思いである。

この調査は、我が国の若者の意識と諸外国の若者の意識を比較することにより、我が国の若者の意識の特徴及び問題等を的確に把握し、子供・若者育成支援施策の検討の参考とすることを目的としている。

そこでほんの少し覗いてみたところ、こんな具合であった!

2018年(平成30年)に【自国の社会に対する満足度】を日本の若者に聞いたところ、『満足』(「満足」と「どちらかといえば満足」の合計)と答えた割合は 38.8%である。
日本について2013年(平成 25年)の調査と比較すると、『満足』は 7.3ポイント高くなっている。
7か国比較で見ると、『満足』と答えた割合は、ドイツ(68.8%)で最も高い。次いで、スウェーデン(58.2%)、アメリカ(57.8%)、イギリス(56.9%)、フランス(44.3%)、韓国(39.0%)、日本(38.8%)となっている。日本はドンべで、一番はドイツである!

同じく、【政治に対する関心度】を日本の若者に聞いたところ、『関心がある』(「非常に関心がある」と「どちらかといえば関心がある」の合計)と答えた割合は、43.5%である。
日本について2013年(平成 25年)の調査と比較すると、『関心がある』と答えた割合は 6.6ポイントも低くなっているのだ。
7か国比較で見ると、『関心がある』と答えた割合は、ドイツ(70.6%)で最も高い。次いで、アメリカ(64.9%)、イギリス(58.9%)、フランス(57.5%)、スウェーデン(57.1%)、韓国(53.9%)、日本(43.5%)となっている。これも日本はドンべで、一番はドイツである!!

【自国の社会に対する満足度】も【政治に対する関心度】も、いづれもドンべである日本の若者に対し、日本の大人はあらためて真剣に対応する必要がある。大人として、最低限の責任は果たさなければならないはずである!

特に、50代、そして自分も含む60代、さらに70代の大人は、今ニュースで話題のビッグモーターの経営陣や仲間の大手損保会社の如き、いつものよく似た責任逃れで済ますことは許されない責任があるはずだ!

そこで、今後の日本が大いに参考にすべきものが、日本とは真逆のドイツに「何らかのヒントが!」あるのかも?知れないことは、皆さまお気付きの通りであろう!

日本全国の大人の皆さん、共に責任を果たしましょうぞ!

親ガチャ – Wikipedia

我が国と諸外国の若者の意識に関する調査 (平成30年度) – 内閣府 (cao.go.jp)

21世紀に生きる君たちへ(司馬遼太郎)!

こども家庭庁に望むこと!

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海の日に日本漁業の人手不足を憂う!

日本の漁業就業者は、1961年から2018年まで約60年間で減少の一途を辿っている!
1961年には約70万人(699,200人)を記録していた漁業就業者が、2019年には15万人割れ(144,740人)となり、約5分の1なのだ!

2020年の日本の医師の数は、約34万人なので、漁業就業者の数は日本全国のお医者さんの半分にも満たないのが現状なのである。
2020年の歯科医師の数は、約11万人なので、なんとか日本全国の歯医者さんよりはまだ多い状況ではある。

漁業就業者の人手不足の原因としては、漁業は自然を相手にするため、潮の流れや天気など、さまざまな要素が仕事に影響すること。また、ほかの業界と比べて、労働時間が不規則である点。さらには、漁業は専門的な技術を要する職人業であり、1人の漁業従事者として認められるためには、見習いの立場で経験を積まなければならないことなどが考えられる。

なお、より大局的観点からすると、少子高齢化や都市部への人口流入を背景に、日本の小さな自治体では過疎化が急速に進んでいること。この過疎化が、漁業の人手不足に大きく関わっている側面がある。

そんな状況の中、タレントで魚類学者の【さかなクン】が、テレビなどでも大いに頑張ってくれている!

2012年には海洋立国推進功労者内閣総理大臣賞、2014年には第1回食育文化功労賞なども受賞しているのだ!

なお、魚類学者でもあられる今の上皇さまが天皇の時代、天皇誕生日を控えて行われた2010年12月22日の記者会見で、「この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授【さかなクン】始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います!」と述べられ、クニマス発見に功績があった人物として中坊徹次さんとともに【さかなクン】の名を挙げておられたことは誠に印象深い。

【さかなクン】には、日本の漁業就業者を増やすためにも益々期待したい!

なお、余談ではあるが、【さかなクン】のお父さまとは、囲碁棋士の宮沢吾朗九段である。宮沢九段は、石の形や筋がよく、鋭い着眼で猛攻を仕かける剛腕家で、アマチュアから高い人気を得ておられ、心酔するファンも多い方である。
その師匠である木谷實九段が宮沢九段を初めて見た際、「久しぶりに尾のハネ上がった鯛をつかまえた!」と言われたそうである。

漁業の人手不足の現状と原因|日本の漁業を救うための解決策は? – 採用係長の採用アカデミー (saiyo-kakaricho.

さかなクン – Wikipedia

宮沢吾朗-ウィキペディア (wikipedia.org)

日本の農業ビジネス!

タコに学んだダイバーシティ!

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「送料無料」はフェイクニュースの代表例だ!

「送料無料」との表示をよく目にすることがあるが、これは代表的なフェイクニュースである。
荷物を運送し配達するサービスには、必ず間違いなく諸々のコストが発生するからである。

「送料無料」は、みごとに購入サイドの買いたいニーズを、大いに刺激する誠に巧妙なフェイクニュースなのである!

なぜなら、どんなお客さんでも運送・配達のコストがゼロであるとは思っていない。販売サイドが送料を負担するのだろうとつい連想してしまうのである。

そうなんである「送料無料」は、お客さんの購入意欲をくすぐり、お客さんに「お得だ」という連想を呼び込ませるための巧妙なフェイクニュースなのである!

本来もしお客さんに送料の負担を求めないのなら、「送料は当社が負担します」と表示するのが筋であろう。
もっとも、販売サイドが最初から価格の中に送料分も含めているケースも多く、さすがに「送料は当社が負担」と言うことにはやはり気が引けるケースも多いのかもしれない (笑)

もっとも、自社で便配送で行い、無料を謳っている誠実な販売サイドも中にはあるそうだが、これとて考えれば「送料分」は価格の中に含まれていることに変わりはないであろう。

やっぱり「送料無料」とは、誠に代表的なフェイクニュースなのである!

「送料無料」表示の見直しを求める政府の方針とは? 過去には経産省幹部が「送料は当社負担という表現に」と業界に要請 | ネットショップ担当者フォーラム (impress.co.jp)

「送料無料」はなぜできる?送料無料のからくりとその負担を被る人 | 北商物流株式会社 (hokushow.com)

日本を今一度、洗濯せねばならぬ時かも!

ベジタリアンやヴィーガンも同じく命を頂いている!

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ryuchell(りゅうちぇる)さんや三浦春馬さんを想う時に思い出す人!

昨日7月12日、タレントのryuchell(りゅうちぇる)さん27歳が、突然自死により亡くなったとのニュースがあった。さらには、何と5歳になる息子さんの誕生日の翌日のことであったという悲しい事実まで知ったのである。誠に切ない!

そして直ぐに頭に浮かんで来たのが、3年前の2020年7月18日に30歳で亡くなった、三浦春馬さんのことである。

そう言えば、あの当時も今年と同じく「令和2年7月の豪雨」と呼ばれ、九州などで水害による被害が大きく犠牲者も多くあった年でもあった。

個人的には、このお二人には相共通するイメージを抱いていた。それは一言で言うと、「純粋性」ということである。

それも、子ども心にも通じる一途なホンマに曇りのない美しいキラキラした「純粋性」であった!

故に、何の面識もある訳ではないのだが、ただ人生の先輩の一視聴者として愛おしい思いを持って、このお二人を画面越しに拝見していたのである。

さらには、このキラキラした「純粋性」が年月を経て、どのような花を咲かせてくれるのかということは、想像するだけでもワクワクする楽しい思いを抱いていたのである。

訃報に接しての我が心の切ない思いは、何とモッタイナイことを!という気持ちがまずは一番に強いのである。

そんなこともあって、本当にご本人たちに何が起きたのかは知る由もないことではあるが、切なき思いの我が胸にふと同じく浮かんで来るのは、今は昔の新入社員の時代に出会った、昭和の時代に「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門さんの言葉であった。

昭和の時代に「電力の鬼」と呼ばれた、松永安左エ門とは!

1875年(明治8年)に生まれ、96歳で亡くなられる1971年(昭和46年)まで、明治の後半から戦後の大混乱期の昭和を含めて、長く日本の電力業界において活躍した大実業家である。

その松永安左エ門さんが仰った言葉に、『実業人が実業人として完成する為には、三つの段階を通らぬとダメだ。第一は「長い闘病生活」、第二は「長い浪人生活」、第三は「長い投獄生活」である。このうちの一つくらいは通らないと、実業人のはしくれにもならない!』という新入社員の時代に出会い、以後忘れることが出来なくなった言葉である。

実に強烈な言葉である、そして「実業人」の箇所は「政治家」でも「芸能人」でも何であれすべてが当てはまるようだと、当時我が胆に銘じたのである。

この「長い闘病生活」「長い浪人生活」「長い投獄生活」の3つの共通点は、「自分という人間と、自らが徹底的に向き合う時間を長く持つこと」ということに尽きる!

人の人生とは、その時々の自分の心と向き合うその深さにより、大いに変化して行くものなのである!

今や世界のスーパースターである大谷翔平選手も尊敬している、あの中村天風先生が仰る、まさに「こころ一つの置き所」である!

ちょっとしたことで叱られたり失敗をして考えるのは、「反省」である。重度の失敗をして、ひどく落ち込むような結果の末に辿り着くのが「猛省」である。

さらに、そういう事後的な発想の態度ではなく、自らの意志をもって自分の心と対話し、事前にあっても常日頃に自分の心を整えておく態度が、「内省」やさらにもっと深い「内観」と言われるものである。

松永安左エ門の言葉は、この「内省」やさらに深い「内観」に少しでも辿り着くように日々修行せよという「大いなる激励」であるように思えるのである!

松永安左エ門さんと言えば、その先見性は留まることを知らずで、1956年(昭和31年)には日本の政・財・学・官界のトップで構成する「産業計画会議」を自らが主催し、16のレコメンデーション(勧告)を発表して、議員や大臣、関係者に大いに働きかけたのである。

何と1956年(昭和31年)にすでに、「専売公社の廃止」、「国鉄の民営化」、「高速道路の整備」などを掲げていた、日本の近代化を推し進めるプロジェクトであって、その大部分が後世には実現するのである。

あわせて、「電力設備の近代化」と「電源開発」も推し進めた。水力に頼っていた電源が「火力へシフト」すると予測し、燃料も「石炭から石油」へと設備を拡充していった。さらに、「原子力」へも目を向け、1966年(昭和41年)には研究所内に事務局を置く「フェルミ炉委員会」を発足。技術者などを次々とアメリカへ派遣した。日本の原子力基盤を築いた多くは、このときの研修生である。

その後も、1969年(昭和44年)には、電気事業研究の国際的協力と情報交換を目的とするIERE(電気事業研究国際協力機構)を発足させた。日本の将来にわたる電気事業の基盤づくりすべてが安左エ門の手によって築かれていったのである。

松永安左エ門 – Wikipedia

九州電力 「電力の鬼」と呼ばれた不屈の事業家 (kyuden.co.jp)

松永安左エ門『実業人が実業人として完成する為には、三つの段階を通らぬとダメだ。第一は長い闘病生活、第二は長い浪人生活、第三は長い投獄生活である。このうちの一つくらいは通らないと、実業人のはしくれにもならない。』 | IQ. (a-inquiry.com)

バリバラ万歳これぞ世の為人の為!

20世紀アートを生んだLGBTQガートルード・スタイン!

タコに学んだダイバーシティ!

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佳子さまの「ひとり暮らし」問題の記事に思う!

皇室の佳子さまの、矛盾だらけの「ひとり暮らし」問題、という記事をネットで目にした。
税金の使われ方を、大いに気にしているらしい?ようなことが書かれていた。

正しい税金の使われ方を広く考えるという意味では、それもまんざら間違いではないとは思う。

しかし、有り得ないことではあるが、もし佳子さまが街の安いマンションでお暮しになるとどうなるか?
それこそ大勢の人々が、警備の問題やら色々なことに巻き込まれ、現状よりもずっとずっと大変なお金がかかるし手間もかかることは目に見える話ではなかろうか!

「ひとり暮らし」的なことをチョットしただけで、これほど目くじら立ててとやかく言われる佳子さまを思うと、皇室以外の日本人はつくづく皇室に生まれなくて「ノブレス・オブリージュ」を背負わなくてよかったという安堵感をイメージすれば、それでよい話なのではなかろうか?

余談ながら、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)とは、貴族や上流階級などの財産・権力・地位を持つ者は、それ相応の社会的責任や義務を負うという欧米社会に浸透した道徳観のこと。フランス語のnoblesse(貴族)とobliger(義務を負わせる)を合わせ「高貴たるものの義務」を意味する言葉である。英語では「noble obligation(ノーブル・オブリゲーション)」という、とのことである。

なお、ホンマにまったくの個人的な感想であるが、英国初の女性宰相であったサッチャー首相の誕生の陰には、同世代の英国男性貴族たちが「ノブレス・オブリージュ」の為に、第二次世界大戦の最前線においてかなり戦死したことも大いに影響しているように思うのである。

それに比べると、一部の人たちを除くと、当時の大日本帝国の多くの高級軍人たちは、このノブレス・オブリージュが欠如していた。いや、もともとノブレス・オブリージュという言葉自体も知らず、日本古来の武士道も忘れ去っていただけなのかも知れない。

閑話休題、税金の話に戻る。ホンマに税金の使われ方をとやかく言うのであれば、何よりも今自分自身が住んでいる街の税金が、ホンマにまともに使われているのかどうか?と気にする方がもっと適切なように思えてならない。まずは、自分の足元のことを確認しておくことがもっと大事ではないだろうか?

そんな風に思う我が身ではあるが、恥ずかしながら今まで住んでいる街の税金の使われ方をチェックしたことは一度もない!
おまけに、多くの日本国民もそんなもんやろなあと勝手に想像している始末である。
つまり今の時代、それほど無茶苦茶な税金の使い方はしないであろうと、性善説に基づいた安易な見方をずっと継続している訳である。

さらにもっと正直に言えば、少なくとも税金の90%前後はまともに使われており、残りの10%前後には問題はあるかも知れない?とは言え、世の中いろいろと個別の事情もあるやろう、という多くの【大人の日本人】が抱くような気持ちが強いのである。

今までズットそのように割り切っては来たが、税金の使われかたについてのモヤモヤ感が全く無いワケでもない!
政府が大いに旗を振るITを利用した【DX】を早急に各市町村に導入し、はやりの一般市民による【第三者委員会】が、各自治体の税金の使われ方を【リアルタイム】での24時間体制で【監視】できるのであれば、このモヤモヤ感も少しは晴れるようにも思えるのである!

佳子さま 矛盾だらけの「ひとり暮らし」問題 宮内庁幹部勇退間近で「うやむや」の可能性(1/3)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

予算 – 宮内庁 (kunaicho.go.jp)

発信強化目指し「広報室」=皇室の「正しい情報を」―SNS導入も検討・宮内庁 | 時事通信ニュース (jiji.com)

ノブレス・オブリージュとは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

日本の憲法を単語の数で比べてみると!

令和の奈良弁に超訳した「万葉集」!

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ケインズとヒトラー!

英国の大経済学者ケインズは1883年に生まれ、1946年に62歳で逝去。

ケインズはケンブリッジ大学で数学を専攻し、1906年英国のインド省の官僚として社会人デビューするが、2年で官僚を辞めケンブリッジ大学に戻り研究者への道を選んだ。しかし、1915年には英国大蔵省に移り、それから1919年にドイツへの巨額賠償金に反対して大蔵省の職を辞すまでの4年間ばかりは再び役人生活を送った。

一方、ドイツの政治家ヒトラーはケインズより6歳若く1889年に生まれ、1945年に56歳で連合国側のソ連に首都ベルリンを陥落され観念し自害した。
余談ながら、「Hitlerヒトラー」の姓名の語源は、「Hiedlerヒードラー」で「日雇い農夫」「小農」を語源とする姓名であり、それほど珍しい姓名でもなかったとされている。「ヒトラー」「ヒードラー」「ヒュードラ」「ヒドラルチェク」などの姓は東方植民したボヘミアドイツ人、およびチェコ人・スロバキア人などに見られるそうである。

話は時代を遡り1919年の話となるが、ドイツが第1次世界大戦で敗れ、すったもんだの末にバカなほど高額な賠償金を負担させられた結果ドイツ経済は行き詰まる。それが世界経済に波及して、1929年には世界大恐慌が起きる。そこで待ってましたとばかりに、ヒトラーが登場して来るのである!

そして1933年以降ヒトラーは、1936年に発表の【ケインズ理論】をまるで先取りした経済政策により、600万人のドイツ失業者をたった3年で100万人までに減らしたのである。また大企業と高額所得者には増税を、その他には減税を実施。それ故に、多くの国民から絶大な支持を得たのである。その当時には、後にヒトラーと激しく敵対する英国のあのチャーチルでさへ賛辞を送っているほどだ。

思えばむしろケインズの方がヒトラーを参考に、【ケインズ理論】を書いていたのかも知れない!

第1次世界大戦後のドイツの賠償金に関しては、当時英国の大蔵省A課がドイツに課す賠償額策定の任に当たっていた。1918年には責任者として、ケインズ自身が就任した。A課は11月に「ドイツの支払い能力は高めに見積もれば40億ポンド、楽観的に見れば30億ポンド、慎重に見れば20億ポンド」になるという見通しの報告書を作成し、閣議に提出した。しかし、政府は大戦前のドイツ貯蓄を基準として賠償請求額は何と240億ポンドにすべきであると主張したのである。

1914年には【1ドル=4.2マルク】の公定レートであったが、戦争中を通じて次第にマルクが下落。1918年11月時点には【1ドル=約7.5マルク】。当時【1ポンド=約5ドル】からすると、【1ポンド=約38マルク】。【40億ポンド=約1520億マルク】、【20億ポンド=約760億マルク】となる。
しかし、最終的にドイツの賠償金額は、総額は【1320億マルク(純金47,256トン相当)】という、【現在の日本の円に換算すると200兆円】を優に上回るイメージであり、1913年当時のドイツ国民総所得の2.5倍という莫大なものとなり、ドイツはこの金額を向こう30年間にわたって分割払い、しかも外貨で支払うことになった。

当然ドイツ国民としては、「あまりにもヒドイではないか!」とみんな頭に来たはずである!

ドイツへの巨額賠償金に対しケインズは反対したが、1919年10月の【ベルサイユ条約】で決定された。その結果、一方的に貿易における勝ち逃げをした米国による【金の不胎化】や賠償金の【マルク払いを禁じた】ヤング案により、ドイツでは歴史に残る【ハイパーインフレ】が発生するのである。この歴史的なインフレが、米国に巨額の戦債の不良債権化をもたらし、1929年の米国株式市場の暴落、そして【世界恐慌】へと繋がって行く。さらには、ヒトラーによる【ナチスドイツ】が台頭する引き金となったのである!

1936年、ケインズは彼の代表作となる『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表し、激しい経済学論争を呼び起こしたが、この書に端を発する【ケインズ理論】はまもなくして【ケインズ経済学】として世界の経済学の主流となった。

『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年 )では、【不完全雇用】のもとでも均衡は成立し得るとし、また【完全雇用】を与えるための理論として、【反セイの法則】を打ち立てて、「産出高は消費と投資とからなる」とする【有効需要の原理】を基礎として、有効需要の不足に基づく非自発的な失業の原因を明らかにした。
【有効需要】は、市場メカニズムに任せた場合には不足することがある。しかし、ケインズは、投資の増加が所得の増加量を決定するという【乗数理論】に基づいて、【減税・公共投資】などの政策により投資を増大させるように仕向けることで、【有効需要】は回復することができるとした。生産者が価格を変えずに、供給量を総需要に応じて調整する。ケインズは【総需要】を増大させる方法として、財政政策、特に【財政支出政策】を重視した!

思えば2008年のリーマンショックによる世界金融危機以降、マスマス日本企業が保有する現預金は増大傾向にあり、2016年度でも現預金額は約 211兆円にも上った。

この金額はまさに第一次大戦後のあの巨額なドイツの賠償金額に、匹敵する金額の現預金額ではないか!

ケインズ理論を踏まえると、「失われた20年や30年」と言われる日本経済の低迷は、この預金を200兆円を抱えたまま何らホンキで投資してこなかった、「ヒトやモノやコト」への供給不足という至極シンプルな理由と思えて来るのである!

しかし、まぁまたサラリーマンCEOが要らぬことをして失敗しゼニを失くすよりは、何もしないでカネを抱いてじっとしている方がまだマシか、という日本の多くの真面目なCEOたちの思いも分かる気はするのだ(笑)

第一次世界大戦の賠償 – Wikipedia

ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション – Wikipedia

ジョン・メイナード・ケインズ – Wikipedia

アドルフ・ヒトラー – Wikipedia

第1次世界大戦も「マネーの戦い」だった 巨額の戦費をどのようにして賄ったのか? | 新潮社「Foresight」 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

ヒトラーやスターリンが互いを嘲笑し合う映画「独裁者たちのとき」!

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社会のためにある「QRコード」開発者に万歳!

2023年3月、日本学士院が授与する第113回日本学士院賞および【恩賜賞】をデンソーウェーブ主席技師の原昌宏さんが受賞された!
受賞の理由は、「QRコードの原理的発明とその後の発展のためのさまざまな技術的発明と開発を長年にわたり行い、世界的普及のための標準化にも貢献」したことである。

【恩賜賞】は学術研究が対象で、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんなど、日本を代表する研究者がこれまで受賞してきた。企業の実用的研究で受賞するのは極めて珍しいことである!
原昌宏さんが仰るには、「はじめは冗談か?と思ったが、特許が学術論文と同じように評価されたと聞き、ホントに嬉しかった!」とのことである。

なお、第113回授賞式は先月6月12日天皇皇后両陛下ご臨席のもと挙行された。

QRコードの開発は、1994年「バーコードの読み取りが面倒だ!」という製造現場の声をきっかけにスタートした。
英数文字などが【20文字】程度しか記録できないバーコードでは、扱える情報量が極めて少なく、汚れにも弱いことなどに製造現場では困っていたのだ!

それが、QRコードならば、英数文字などが【7000文字】ほどの大量の情報が扱えるようになったのである!
現在QRコードは、ビジネス、暮らし、医療など、ホントに幅広いシーンで利用されている。

世界各地で広がっているキャッシュレス決済のキーテクノロジーでもあるのだ!

スマホをかざすだけで知りたい情報やクーポンを受け取ることができて、航空券を買うために並ばなくてもよく、現金がなくてもキャッシュレス決済で買い物ができる。
QRコードの普及によりさまざまなことが“あたり前”にできる時代になった!
QRコードは、役立つことを楽しく楽にしてくれるたのである!

なお、『多くの情報を読み取ることができ、読み取りやすく、世界中の人に自由に使ってもらいたい。』という願いから、開発したQRコードは、最初から特許を無償で解放したのだ!

そうなのである、これだけ世界に普及してもQRコードの特許料収入はゼロなのだ!

QRコード開発|テクノロジー|デンソーウェーブ (denso-wave.com)

QRコード開発25周年!開発エピソードや25年間の軌跡を紹介した特設サイトをオープン|お知らせ|DENSOWAVE (denso-wave.com)

第113回日本学士院賞・恩賜賞をデンソーウェーブ主席技師 原昌宏が受賞 | ニュースルーム | ニュース | DENSO – 株式会社デンソー / Crafting the Core /

日本人の美意識とは!

ウォシュレットの世界制覇はあるか?

21世紀に生きる君たちへ(司馬遼太郎)!

獣害研究家・雅(まさ)ねえ 万歳!

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拉致問題解決に向けても「キューポラのある街」を見ましょう!

「キューポラのある街」、主人公のジュン役を演じた吉永小百合さんが、当時史上最年少の17歳で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、大きく飛躍するきっかけになった作品である!

1962年(昭和37年)に公開され、監督は浦山桐郎さんであった。

なお、原作者の早船ちよさんは、この作品で同じ年昭和37年の日本児童文学者協会賞を受賞された。

<参考1>:『キューポラとは、屋根に取り付けられている、小さな屋根の構造体のこと。形状は半球や円すい、四角すいなど様々で、屋根裏の換気をするためや、飾りとして付けられている。イタリア語の“クーポラ (cupola) ”が語源とされており、元々は大きさ、設置場所にかかわらず、単純に「半球形の屋根」の意味であった。イタリアにある大きな教会の多くは、ドーム頂上部に突出したクーポラを持っていて、教会自体をクーポラと呼ぶ。日本では、鋳物工場などの屋根から突出していた、溶銑炉の排煙筒をキューポラと呼んだものである。』

鋳物工場のキューポラが立ち並ぶ埼玉・川口。町工場に勤務する鋳物職人・石黒辰五郎の長女で中学3年生の石黒ジュンは、高校進学を目指していた。

そんな中、仕事中の大怪我の後遺症で満足に働けなくなった父・辰五郎は、勤務先が同業他社に買収されたことに伴い、人員整理の対象になる。石黒家では小学校6年生の長男・タカユキ、未就学の次男・テツハルがいるのに加え、赤ん坊が生まれたばかりであり、家計は火の車となる。

隣人で父・辰五郎の元同僚の若者・克巳が石黒家を見かね、新会社の労働組合を通じて社長にかけ合い、数か月分の【傷病手当金】相当の金額を支払わせることに成功するが、「アカの世話になった」ことを恥じる父・辰五郎は、その金をすべて酒と【オートレース】につぎ込んでしまう。

<参考2>:『アカとは、社会主義や共産主義のことを指す隠語もしくは蔑称である。』

ジュンは生活費や志望する【全日制高校入学】に必要な学費を稼ぐため、級友・ヨシエが働く【パチンコ店】でアルバイトを始める。動けるようになった辰五郎の妻できょうだいの母・トミも、これまで従事していた【内職】をやめ、【居酒屋】で働き始める。弟・タカユキは小遣い稼ぎのために野鳩の卵を集め、【伝書鳩】として訓練して売りさばくことを思いつくが、かえった雛を猫に食べられるなどしてうまくいかない。

修学旅行を控えていた中学のクラスでは、【物価高騰】にともない、生徒たちが持ち出せる現金の額を上げるよう教師たちに要求しており、学級会で採決をとることになった。居合わせた担任教師の野田は、積極的に賛意を示さなかったジュンを気にかける。野田は下校中のジュンを追い、パチンコ店に入ったところを認める。そこに野田の元教え子である克巳が現れてジュンの事情を説明する。翌日、野田は市の教育委員会が貧困生徒のために修学旅行費用を助成していることを教え、ジュンに小遣いを渡す。

父・辰五郎はジュンの級友であるノブコの父・東吾の紹介で新たな鋳物工場の職を得るが、【オートメーション化】された工場の中に【勘と経験】を頼りとする古い職人の居場所はなく、家族に告げずに辞職してしまう。

父・辰五郎はジュンが修学旅行に出発する日の朝にそれを伝え、家族は恐慌をきたす。級友・ノブコに会わせる顔がなくなったジュンは集合場所の川口駅へ行かず、河川敷で時間をつぶし、普通列車に乗って志望校のある浦和へ行く。フェンス越しに志望する高校をのぞいたジュンは、お遊戯会のような体育の授業を目の当たりにして幻滅する。一方同じ頃、同じように学校をサボって浦和に来ていた弟・タカユキは、育てた鳩をそこで放し、自宅の鳥かごに帰って来させることに成功する。

川口に戻ったジュンは、思わず母・トミの働く居酒屋をのぞいたところ、トミが男相手に愛想を振りまく様子を見てショックを受ける。そこでジュンは【不登校生】の通称「リスちゃん」に再会し、バーに誘われ、初めて酒を飲む。そこで不良少年たちに乱暴されかけるが、危うく逃れる。この日以来ジュンは中学校に行かなくなる。

ジュンを心配した野田が石黒家を訪問する。「勉強したって意味がない」と吐き捨てるジュンに、野田は「受験勉強だけが勉強ではない。高校に行かずに働くとしても、目の前で起きることへの理解を積み重ねて、いつでも自分の意見を持つために、人は勉強をしていかなければいけないのだ」とさとす。

登校を再開したジュンは、社会科見学で電機メーカーの工場を訪れる。働きながら【定時制高校】で学び、部活動にもいそしむ女性工員たちの姿を見て、ジュンは自立した現代の労働者の姿を見いだし、あこがれを抱き始める。

ある日、級友・ヨシエの一家が【在日朝鮮人の帰還事業】に応じて、日本人の母親を残して北朝鮮へ帰ることになる。ヨシエの弟でタカユキの親友・サンキチも日本を離れることになり、彼を送り出すために川口駅に来たタカユキは、自分が育てた伝書鳩を手渡し、「手紙をつけて西川口で窓から鳩を放してくれ」と頼む。ヨシエは同じく駅に来たジュンに、愛用の自転車を贈る。

<参考3>:『在日朝鮮人の帰還事業とは、1950年代から1984年(昭和59年)にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義共和国(以下、北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住である。

主として1959年から1967年にかけて、「朝鮮」籍50万人弱のうち、北朝鮮に永住帰国したのはおよそ9万3000人(うち、北朝鮮に渡った日本人の妻は約1831人)であった。』

<参考4>:『1977年(昭和52年)11月15日は、当時中学1年生であった横田めぐみさんが新潟にて北朝鮮に拉致された日である。この映画の公開された1962年からは15年経っていた。』

【帰還船】の出る新潟港へ向かう列車は西川口駅に差し掛かり、サンキチは鳩を放す。川口へ飛んでいく鳩を見て日本に残る母恋しさに駆られ、サンキチだけが大宮駅で列車を降りる。しかしサンキチが川口に戻ると母は経営していた食堂を閉め、別の人物と結婚するために姿を消していた。タカユキは次の帰還船が出る年明けまで、近所に住む崔の一家にサンキチを預け、「もう人の世話になるのはやめよう」と誓い、ともに新聞配達のアルバイトを始める。

父・辰五郎は突然、元の職場での復職が決まる。克巳がやって来て祝い酒をふるまうが、その場でジュンは電機メーカーに就職する意向を明かす。サンキチが新潟に向かう朝、ジュンと弟・タカユキは跨線橋から列車を見送る。その日はジュンの就職試験の日でもあった。きょうだいは街を駆けて行った。

キューポラのある街 – Wikipedia

在日朝鮮人の帰還事業 – Wikipedia

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