2019年に96歳で亡くなられた米国出身の日本文学者・日本学者、文芸評論家でコロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんは、東日本大震災を契機に、決意をされて日本国籍を取得された。
そんなキーンさんが、たびたびこのように仰っていた!
「不思議なことに、和歌や物語には古来、地震や津波がほとんど出てこない。自然の無慈悲を嘆いて廃墟のまま放っておかないで、何度でもそれまで以上のものを立て直してきた。それが日本人です!」
さらに、「美意識さえ心にあれば、形あるものをなくしても必ず再建できる!」と日本に寄せる思いを語り、「地元の人々を少しでも勇気づけたい!」と大震災後の東北地方で精力的に講演活動を続けられたのだ!
そんなキーンさんは、「日本人の美意識」について、自らの思いをまたこんな風に話されていた。
「日本人の美意識」とは、「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」である。こうした互いに関係する美的概念は、日本人の美的表現の、最も代表的なものを指し示している。とはいえ、これらの反対概念、すなわち「誇張」、「規則性」、「豊饒」、そして「持続性」なども、決してなくはないこと、これは繰り返すまでもない。
引用元:ドナルド・キーン著「日本人の美意識」
このコロナに悩む令和の世に、あらためて「日本人の美意識」を振り返ってみると、まず初めに、「日本人の美意識」の根本にある概念として「自然」がある。
例えば日本庭園は「自然をあるがままに作り出すこと」に重きを置いている。西洋の庭園に見られる調和の取れた景観とは異なり、自然的で混沌としていることが大きな特徴である。これは日本人が「自然のままに変化する景観を楽しむ」性質があった事が挙げられる。
「日本人の美意識」は、「変化」や「空間」という四次元の「間(ま)」に大きな価値を見つけ出し、自然の持つ計り知れない大きなエネルギーをベースとして、その価値観や思想が構築されているのである。
山岳地帯からは流れる河川の量も多く、水に恵まれている。その結果、日本は水害に悩まされることが多く、太古より日本人は自然の持つコントロール不能な強大な力に畏怖の念を抱きながらずっと暮らしてきた。
「無常」のもつ「死生観」や「儚(はかな)さ」「移りゆくもの」が日本人の自然観と一致したことで、日本人は無常に「美」を感じるようになったのではないかとよく言われる。
「もののあはれ」は「哀愁さ」を指し、五感を通じて「見たもの・触れたもの・聞こえたもの・香るもの・感じるもの」によって生ずる「しみじみ」とした深く心に感じる「しんみり」とする感情を意味する。そして、その切なさや儚さは「無常」にも通じる写実的な哀愁に近い感情である。
ヨーロッパに「フランダースの犬」という少年小説があるが、この物語、米国では単に「負け犬の死」としか受け取られなかったようで、実は5回も映画化されたにもかかわらず、いずれもハッピーエンドに書き換えられたそうだ。
しかし、日本では悲しい結末の原作のままで大ヒット。なぜ日本では多くの共感を集めたのか?これは欧州で長らく謎?とされて来たことであった。
最近になって、この物語を検証するドキュメンタリー映画が作られ、その結論として、日本人の心に潜む「滅びの美学」が注目されたとか。「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけられたそうだ。
これら世界的に見て非常に特徴的な「日本人の美」。「滅びの美学」をも評価し得る能力を日本では「粋(いき)」と呼ぶ。また逆に、その能力に欠けることを「野暮(やぼ)」と言うのだ!
平安時代における王朝文学の中で「をかし」は重要な文学的・美的思想の1つであり、「もののあはれ」が『しみじみとした情緒美』であるのに対して、「をかし」は『明るい知性的な美』と位置付けられている。
「雅(みやび)」は文化的なものだけに収まらず、立ち振舞いや姿勢を表す哲学的思想としても発展をした。優雅で博識な姿勢は貴族の教養であり、貴族社会において重要な行動指針であった。
幽玄は雅であることではなく、その奥にある「心の艶(つや)」であり、寒くやせたる「冷えさび」を表していると論じている。
「冷えさび」の分かり易い例としては、応仁の乱の渦中にあった心敬により詠まれた「遠山を 墨絵に庭の 枯木かな」また「梅おくる 風は匂ひの あるじかな」などがある。
心敬の『ささめごと』の一説においては、「昔の歌仙のある人の、歌をばいかやうに詠むべきものぞと尋ね侍れば、枯野のすすき、有明の月と答へ侍り。これは云はぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。さかひに入りはてたる人の句は、此の風情のみなるべし。」とある。
この「冷えさび」をさらに、もっと具体的な芸術の中で表現したのが世阿弥によって大成された「能(幽玄能)」である!
世阿弥は、能を「老体・女体・軍体」の三体と考え、老体を「神さび」いわば「気品の表現」とし、女体を幽玄に当てはめて「花鳥風月」「雅(みやび)」と考えて「美そのものの結晶」とした。そして、軍体を「身動き」すなわち「動きのおもしろさ」であると定義づけたのだ。
世阿弥は、「幽玄」を「優美」すなわち「美しく柔和な姿」と解釈し、女性の優美な姿に「幽玄」を見ていた。静寂で神秘的な深い趣があり、優美で奥行きのある目に見えない「何か」を能の世界で表現しているのだ。
長い時を経て「侘び」は、禅思想と重なっていくことで大きく進化をし、余計なものを削ぎ落とした美の概念として完成され、質素で研ぎ澄まされた最小の美を指すようになった。
「侘び」が粗粗(あらあら)しい粗末なイメージに対して、「寂び」は枯淡の中の美をイメージする。色彩も「侘び」は黒に近い風味に対して「寂び」は上品さのある渋い色合いを持つのである。
日本の「美意識」や「美の概念」説明できますか?「あはれ」「侘び寂び」「かわいい」などを紹介 │ 太鼓日和 (wadaiko-kohasu.com)
日本人の美意識について | ヤマヒロ (yamahiro.org)