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短歌に萌える中学生や高校生ゾクゾクと!

本日1月29日付の日経の春秋が、こんな嬉しくなるニュースを紹介していた。
若い世代の間で短歌ブームが起きている話だ!
1987年から続く東洋大学の「現代学生百人一首」に、今年度は国内外から約6万6千首の応募があり、詠み人の多くが中学生や高校生であったのだという!

そんな中から、こんな二首が取り上げられていた。
「文化祭 初の対面 ミュージカル 拍手はこんなに 嬉しかったか」
「お父さん 口きかなくて ごめんなさい 思春期とやらが きてしまったの」
実に嬉しい歌だ! ツイツイいいネをしたい衝動に駆られてしまう!

感激してこんなささやきも出て来た!

「短歌詠む 中高生や ゾクゾクと 真っ直ぐ出せば 気持ちスカッと」
「この国の 伝統文化 根は深し 中高生に 短歌流行ると」 
「あな嬉し さらに進化で この次は 皆で連歌も 流行るやも」

なお、「現代学生百人一首」選考者の御一人のコメントには、「古典的な和歌の世界では目立とうとせず、誰からも非難されない表現が望まれる。そのためにも推敲を重ねる。古来の作法を心得ているのか、送られてきた作品の中に他者を傷つけるような歌は見当たらない。」とあった。

このコメントを踏まえると、いにしえの和歌の世界からずっと一貫して続いていることは、他者を傷つけることなく自らの思いを歌うということである。
推敲とは、上手いか下手かを考える以上に、自分の歌が他者にどのように伝わるのか?自分はどのように他者に伝えたいのか?を自問自答することだと言えよう。
この6万6千首それぞれの詠み人たちは、きっとそれぞれが自問自答を繰り返したうえ、「よしこの歌で行こう!」と応募したと思えるのだ。

短歌はなぜ現代の人々に愛されているのか?|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)

しかし、若い人たちのこんな短歌ブームは、単に短歌の世界のみならず、日本の社会全体、いやこのグローバルなSNSの世であれば世界全体にもキット「よき光」をもたらすと確信する。これは、なにも短歌に限らず俳句もまったく同じである。

HAIKU~世界一短い詩に込められた日本人の心~|日本語教育基金 NF-JLEP Association

どない考えてもロシアのウクライナ侵攻というアホな戦争を結果的にわざと許している我々一人一人の21世紀の時代に、日本の「歌」である短歌や俳句には、様々なストレスに傷ついた世界中の人々のココロをケアーする天命があると思えるのである!

もっと言うならば、この戦争に関わるすべての人に対しても、「ゲームチェンジ」や「ノーサイド」の光を与えると思うのだ!

あのプーチン大統領でさえ考えを変えるやも知れない!

世界で萌えよ、日本の歌!

短歌よ俳句よ萌えよ萌えよもっと萌えよ!

響きあう短歌が昨年100万首!

令和の奈良弁に超訳した「万葉集」!

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金正恩ウソかホンマかポンぺオの回顧録!

つい先日の1月24日、米国のポンぺオ前国務長官の回顧録が発売されたという。
よくある著名な政治家たちが引退後、老後の年金資産作りの一環として出版する例の回顧録である。

そこにはこんな風な話も披露されているそうだ。
2018年3月もうすぐ国務長官となる直前のポンペオCIA長官が、あのトランプ大統領の密命を帯び極秘で北朝鮮の首都平壌を訪れ金正恩と会談した時のことである。
金正恩は、「アンタがまさかここへ来るとは思はなんだー。CIAのアンタはずっとワテを殺そうとしてたやろ。よー知ってんのやでー!」とまずは挨拶がわりに語りかけた。
ポンペオは、「今もそうでんがな!」と冗談を踏まえて応じたそうだ。

さらに中国を巡る話でオモロイのが次のような逸話である。
ポンペオが、「中国共産党によると、アンタはワテら米軍が韓国から出て行くことをズット願い続けてるという話やが、ホンマにそうでっかー?」と尋ねた時だ。
金正恩はテーブルを叩いて大笑いし叫んだという、「中国共産党はホンマに大ウソつきでんなー!」と。
そして、金正恩はさらに言い添えたという、「中国共産党はこの朝鮮半島もチベットや新疆ウイグル自治区のようにしたいだけのことでんがな!」「アンタら米軍に韓国から出て行くことをずっと願っているのはホンマは中国共産党やでー、アンタらもそれぐらいはよー分かってるやろー!」というようなあんばいだ。

この回顧録がどこまでウソかホンマか知らないが、まぁさもありそうな話ではある。
しかし、ポンぺオ前国務長官が、フェイクニュースを有名にした御本尊のトランプ大統領の国務長官であったことを踏まえると、そのまま回顧録を鵜吞みにするのもアブナイ話である。
ここは参照情報の一つとして、今後の現実をしっかりとウオッチするしかなさそうだ!

中国と北朝鮮 「血で結ばれた同盟」は続いているのか(Wedge) – Yahoo!ニュース

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警察庁「サイバー特別捜査隊」もっと増員を!

昨年2022年4月1日、政府機関や企業をねらった重大なサイバー攻撃などを捜査する「サイバー特別捜査隊」が警察庁に設置された。
警察庁は組織を改正し、新たにサイバー警察局を設けると共に、関東管区警察局に「サイバー特別捜査隊」をやっとこさのことながら発足さたのだ!

国の機関である警察庁が直接捜査に当たることは初めてで、今後は国際的な連携も強化して取締りに当たるそうなので、これからは米国のCIAやFBIとの連携効果も大いに期待したい。
「サイバー特別捜査隊」には、全国の警察から専門知識を持った捜査員や技術職員およそ200人が集められ、政府機関や重要インフラ、企業などをねらう重大なサイバー攻撃や、被害が大きいサイバー犯罪などについて捜査を行うとのこと。
国の機関である警察庁はこれまで警察に関わる政策や行政を担当し、捜査は都道府県の警察が行ってきたが、警察法が改正され、現場で直接捜査する部隊を持つことが可能になったのだ!

サイバー特別捜査隊 | 関東管区警察局 (npa.go.jp)

これはまさしく時代の要請でもある!

しかし、時代は重大なサイバー攻撃や被害の大きいサイバー犯罪に留まらず、我々個々人に対するサイバー攻撃においては、「サイバー特別捜査隊」のネット犯罪への予防捜査における活躍が今や強く広く期待される状況にある!

ここ最近も関東一円にわたり、SNSを利用した「闇バイト」と思われる悪質で悲惨な事件が現在進行形で頻繁に生じている。

同根のよくある犯罪「オレオレ詐欺」では演技をして裕福な高齢者からお金を「ダマシ取るスタイル」であるが、今起きている犯罪は演技不要で暴力を用いてただただ「奪い取るスタイル」要するに強盗犯罪ともコメントされていた。

このような個々人を狙ったネット犯罪を予防し未然に摘発するには、とても今の200人体制では物理的にも無理がある。

その為には、「サイバー特別捜査隊」を最低でも1000人体制くらいには早急に増員すべきである!

もともと現在の200人体制は、相次ぐロシアや中国、北朝鮮など国家の関与が疑われるケースへの対応を想定してスタートしたものであるが、昨年9月に中国とロシアが合同演習を行った際、日本はロシアからのサイバー攻撃を受けていたにも関わらず、日本自らはまったく気が付かなかったそうである。

これは悲しいかな、自衛隊のサイバー防衛隊と警視庁の「サイバー特別捜査隊」共々に同じである!

サイバー攻撃を受けていたことは、同盟国である米国から教えて貰った次第なのだ!

ちなみに、自衛隊のサイバー防衛隊は2014年にスタートして今年で既に9年を迎える。

しかし、そもそもサイバー攻撃そのものに気が付きもしないのであれば、防衛も捜査もまるでヤリようがないではないか!

その面からも、「サイバー特別捜査隊」は必ず増員の必要がある!

既に自衛隊のサイバー防衛隊は、現状の1000人体制から、4年後の2027年度には最大5000人体制に拡充する方針を決めている。

ウクライナにおける戦争からの教訓 サイバーなどでの各国の動き(下):小泉悠,山口 亮,松原実穂子 | 記事 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト (fsight.jp)

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プレゼンテーションよりもリプレゼンテーションの時代に!

Representation=リプレゼンテーションは、造形芸術の文脈ではある事物の「再現」、演劇の文脈では作品の「上演」、政治の文脈では「代表」などと訳されるが、もっとも広い意味においては、人間が世界の経験を通じて生み出すイメージ全般(表象)のことである。

誠に多義性のある言葉なのだ!

この言葉そのものは、ギリシャ語の「phantasia」およびラテン語の「repraesentatio」に由来する古い言葉である。
この言葉は、プラトン以来の哲学においてもっとも多くの議論が重ねられてきた概念の一つである。
その定義は様々にあるが、アリストテレスが人間の本質を「表象能力」に定めて以来、「表象」が主体としての人間にとって不可欠な能力であるという点はおおむね共有されている。

この種の議論における「表象」とは、いわば人間が日常的に抱く心理的なイメージのことであり、そこでは人間が世界を経験するときの認識のあり方が問われていると言える。

もう一方では、「表象」とは人間の心理的なイメージばかりでなく、我々の身の周りに存在する具体的なイメージを意味する言葉でもある。

さらに20世紀後半からは、「知と権力の関係」を追求した哲学者ミシェル・フーコーや「オリエンタリズム理論」と「ポストコロニアル理論」を確立した文学研究者エドワード・サイードらの活発な議論を契機として、「表象」は実際の政治や文化の背後にある権力関係を分析するための概念として広く用いられるようになるのである。

21世紀の現代これがもっと進化し、政府や会社や団体などの組織が自己の内部に抱えているダイバーシティ&インクルージョンの在り様を示す「表象」として、リプレゼンテーションという言葉が使われるようになったのである!

今やRepresentation=リプレゼンテーションは、世界の映画の都であるハリウッドにおいても、顕著に大きな位置を占める存在となっているのだ。

是非2020年を思い出して欲しい。韓国のポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が、第92回アカデミー賞で作品賞を含む6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞した。非英語作品(Foreign-Language Film)の作品賞受賞はハリウッド映画史上初めてのことであった。

この歴史的な快挙も、ハリウッドが重視し始めて来たリプレゼンテーションの流れの中で生じたのである。

そして、振り返るとその流れが明確にハッキリと示されたのが、恐らく2014年の第86回アカデミー賞だ。

2014年の第86回アカデミー賞の作品賞は、奴隷制度が廃止される前のアメリカで、南部の農園に売られた実在の北部の自由黒人を描いた、スティーブ・マックイーン監督の『それでも夜は明ける』が受賞。黒人監督として初の受賞であった。

また2017年には、第89回アカデミー賞の作品賞を『ムーンライト』でバリー・ジェンキンス監督が、黒人監督としては二人目の受賞となった。

加えて2017年10月には頻繁にニュースになった、多くのハリウッドの著名人が「#MeToo運動」に賛同を示し、「セクハラや性的虐待を見て見ぬ振りをするのは終わり」にする「タイムズ・アップ」運動が起き、「#MeToo運動」は世界中に拡がりを見せた。

これもまさに、リプレゼンテーションの流れの中で起きたことの一つである。

最近日本においても、「ダイバーシティ&インクルージョン」の看板を掲げる会社や組織も増えて来ているが、その内容の中味を具体的に示すリプレゼンテーションの方は一体どうなっているのであろうか?

寡聞にして知らないが、単なる看板倒れに終わらないことを祈るばかりである!

参照1:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アカデミー作品賞、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、#MeToo運動

参照2:artscapeアートスケープ アートワード リプレゼンテーション

参照3:『PRIDE JAPAN』コラム リプレゼンテーションとは

ほんほん16 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)       

万葉の日本人のリプレゼンテーションの方法とは?上記を御参照願います。

1271夜 『神と翁の民俗学』 山折哲雄 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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モヤシの唄!

真っ暗闇の中にボクはいる。
お水はあるけど光は見えない、漆黒の世界なんだ。
多くの植物の種は、光無しでは芽を出せないよね。
しかし、ボクたちダイズの種はこんな暗黒の世界でも芽を出せるんだ。
でも、ボクたちもホントは光が欲しいんだ!とっても光が恋しいんだよ!
上の方に行けばキット太陽の光に会えると、ボクたちはいつも信じているよ!
早く光に会いたいよー、だから上へ上へと背丈を伸ばすんだ!
精一杯の力を出して、もっともっと上に伸ばしていくんだ!
そう、それがボクたちモヤシなんだ!
これからもずっとずっと、光に会えるその日までボクたちは伸ばし続けるよ!                        モヤシっ子なんてよく言われるけれども、ボクたちはホントは強いんだ! だって光を信じて愛しているんだもん!

ひょろりモヤシに 唇寄せて 黙っ見ている青い空

モヤシは何も言わないけれど モヤシの気持ちは

よく分かる モヤシ可愛いや 可愛いやモヤシ!

<モヤシの歴史や栄養など>

ボクたちモヤシの語源は、発させるを意味する「萌やす」に由来し、その連用形の「萌やし」を名詞化したものなんだ!

ボクたちは平安時代の日本で最も古い薬草の本「本草和名」(ホンゾウワミョウ)に「毛也之」(モヤシ)として 紹介されていて、薬用として栽培されていたという話もあるんだ。

南北朝の時代(1336年-1392年)、あの楠正成が千早城に籠城した際、 兵にボクたち豆の芽を食べさせて敵の重囲に堪えたとも言われているんだよ。

江戸時代の『和漢三才図会』(ワカンサンサイズエ)には、黒豆をモヤシにして、芽が五寸ほどの長さに なったところで乾燥させ、よく煎って服用すると、痺れや膝の痛み、筋のひきつりなどに効くとあるんだ。

現在、日本では緑豆(約9割を占める)やブラックマッペ、大豆を種子とするモヤシが主に生産されているんだ。

緑豆はやや太めで、くせのない味。ブラックマッペはやや細めで、ほのかな甘味。しっかりした食感が好まれている。大豆は豆が付いたままで食される。独特の味と食感が根強い人気。

ボクたちモヤシは、低カロリーの割に、ビタミン類やミネラル類、植物繊維をバランスよく含み、わりあい栄養価が高いことで健康的な野菜として世界的にも注目されているんだよ!

緑豆はデンプン、大豆はタンパク質といった、それぞれの豆特有の栄養素を保持しながら、発芽時にビタミンCやアスパラギン酸が生成されることによって、栄養価が向上するよ。また、発芽時に消化酵素のアミラーゼも生成されるため、糖質の消化も助ける効果も期待できるんだよ!

だから、もう少しボクたちを大事にしてよねー!

モヤシ「物価の優等生」も限界 コスト上昇に理解を (msn.com)

参照1:中公新書「ふしぎの植物学」田中 修著 

参照2:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』モヤシ

参照3:工業組合もやし生産者協会 もやしについて もやしの歴史

響きあう短歌が昨年100万首!

短歌に萌える中学生や高校生ゾクゾクと!

洋の東西を問わず古代社会は「鳥占い」!

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『シャルギー(東洋人)』のいた国は今!

『シャルギー(東洋人)』とは、2018年に日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルである。
日本が誇るべきイスラム学者・井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれている。

今回はこの映画を製作したイランの今をあらためて眺めて見た。
1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあるが、2019年4月米国はさらに態度を強め、2018年の11月に再発動した「イラン産原油禁輸の制裁に関する日本を含めた8カ国・地域への適用除外(ウェイバー)」を延長しないとした。
この為、今は日本のイランからの石油輸入はほぼ停止状態にある。

2018年までは、毎年イランからの石油輸入は日本の石油輸入の5%前後を占めた重要な産油国にも係わらずである。
そんな米国によるイランへの制裁強化により、2020年の日本の石油輸入先国の状況は、サウジアラビア39.5%、UAE32.2%、クウェート9.2%、カタール8.6%、バーレーン1.4%とこれら5か国で90%以上となった。

令和4年11月分|石油統計速報(速報のみ)|経済産業省 (meti.go.jp)

中東では1948年のイスラエル建国以来1973年まで、イスラエルとアラブ諸国の間で大きな戦争が四度も繰り返されてきた。
1948年の第一次中東戦争は、イスラエル対エジプト、サウジアラビア、イラク、ヨルダン、シリア、レバノン。
1956年の第二次中東戦争は、イスラエル対エジプトの二国間であった。
1967年の「六日戦争」と呼ばれる第三次中東戦争は、イスラエル対エジプト、シリア、イラク、ヨルダン。
1973年の第四次中東戦争は、イスラエル対エジプト、シリヤであった。

その後は、アラブ諸国の雄であったエジプトが反イスラエル方針を転換したことや、王政であったイランにおける1979年のイラン革命もあり、大きな戦争こそは起きていない。しかし、紛争は今も絶えず続いており、アラブ諸国各国のお家の事情はより一層複雑化している。

特に、イランはイスラエルとの敵対がずっと続くなかで、同じアラブ諸国の王政を敷くサウジアラビア、スーダン、UAE、バーレーン、モロッコ、ヨルダンやエジプトとも対立している状況にある。

一方で、イスラエルと戦争した国々が、1979年のエジプトを皮切りに1994年にはヨルダンが、つい最近の2020年にはあのトランプ前大統領の肝煎によりUAE、バーレーン、モロッコがイスラエルとの国交を正常化したのである。

イランはイスラム教シーア派の盟主であるが、同じイスラム教の中で対立するムスリム人口の9割を占める多数派、スンニ派の盟主を自認するサウジアラビアは、表立ってはイスラエルと距離をおいてはいるが水面下では既に交渉を行っている。
そんな孤立状態のイランは、影響力の拡大を目論みイスラエルと闘うパレスチナの「ハマス」やレバノンの「ヒズボラ」などへの軍事支援を行い、さらにはウクライナに侵攻したロシアにも軍事用ドローンを提供し支援している状況にある。

中東情勢は今やダイナミックに変化している最中にあるのだ!
我々日本人は、あらためて日本が誇るイスラム学者・井筒俊彦先生の教えに大いに学び、これからのイランとの関係を再構築して行くべき時である。
さすれば世界的な外交問題において、リーダーシップを取れる国の一つとなれるのかも知れない!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中東戦争

1630夜 『エルサレム』 アモス・エロン − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

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日銀と海外ヘッジファンド勝負の行方は!

昨日1月18日の決定会合において、日銀は引き続き現状維持の長期金利上限0.50%を決めた!
日本の国債をドンとカラ売りしている海外ヘッジファンド勢が、今回日銀はさらに金利引上げへと動くと大いに期待していたにもかかわらずである。
自分たちの考えこそが合理的なのだとの思いの強い、海外ヘッジファンド勢は今後もまだまだ日本国債のカラ売りを継続させることではあろう。
「イングランド銀行を打ち負かした男!」(The Man Who Broke the Bank of England) ジョージ・ソロスを連想する連中も多いかとも想像する。

英国通貨ポンドを売り続けたソロス対自国通貨ポンドを買い続けた中央銀行イングランド銀行の戦いの結末である。

しかし、あの1992年9月16日当時のイングランド銀行には明確に「ユーロ」という誠にキツイ「縛り」が存在していた。ジョージ・ソロスはその「縛り」をまさに突き、一撃を加えて勝利したのである。

その一晩だけで、ソロスは10億ドル儲けたそうだ!

その出来事が生じる以前の1992年2月7日には、単一通貨「ユーロ」を目指す欧州連合の創設を定めた条約、マーストリヒト条約が欧州諸国加盟国において既に調印されていたのだ。

一方、今の日銀を取り巻く環境をつらつら眺めてみると、巷では政策に対する様々な批判もあるが、1992年当時のイングランド銀行のような「縛り」はどこにも存在しない。

現在、国債の発行残高は約1000兆円であるが、その内半分以上の557兆円(2023年1月10日時点)は日銀が保有しているのである。

営業毎旬報告(1月10日現在) : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

こんな中央銀行は、他の先進諸国には存在しない。

これは喜んでいいのか嘆くべきなのか、普通の日本人の多くにとっては実に分かりにくいのが現状でもある。

黒田総裁の任期も残り三カ月もない、今年4月8日迄である。

新しく総裁になられる方が、黒田総裁の如く腹の座った方であれば、日銀はイングランド銀行の二の舞となる可能性は低いように思える。

既に500兆円以上買っているのだから、1000兆円くらいはきっと気合で買えるはずだ!

次の日銀総裁にもフレー フレー!

参照:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ジョージ・ソロス

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マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや!

知る人ぞしる戦後歌壇の異才・寺山修司の昭和の代表作である!

令和の今「マッチ」という言葉に対する人々の感覚が、昭和の時代からはほど遠くなっていることが少し残念である。

しかし、今も実際に戦っているウクライナやロシアには、きっとこの歌のような切実な思いに悩む人々が数多いることは間違いないであろう!

プーチン大統領に是非プレゼントしたくなる歌である!

たった三十一文字の中に、人それぞれに浮かび上がってくるドラマがある。この歌はとりわけ、人それぞれに各人各様の具体的なイメージを見事に膨らませてくれる。

まるで自分がこの歌の主人公になった気にさせてくれる!

昨年二月にロシアがウクライナに侵攻し、取り繕いながらも何とか77年間続いて来た「おおよそ世界は平和な時代」は終わりを告げた。

そして、我国周辺では中国の台湾問題が日々緊張を増している。

日本の防衛費も、戦後78年間ずっと縛り続けて来たGDPの1%から2%へと倍増させる方向にある、今こそ平和な日本においてもあらためて読み直し味合うべき歌であろう!

寺山修司が「身捨つるほどの祖国」と詠んだ背景には、大日本帝国のためと信じて戦い死んでいった父の姿があるという。

終戦直後、寺山は満10歳という少年であった。
しかし、早熟であった少年・寺山は「祖国とはなんなのか」「父の死の意味とは」「自分のあり方とは」と様々な自問自答が脳裏に満ち溢れていたことであろう。
ただ、もう一方で、寺山自身がこの歌の創作過程について触れている内容を読むとまた違った見解もできるという。
寺山の自伝抄『消しゴム』によると、横浜のチャイナタウンで知り合った42歳の中国人・李と並んで眺めた光景がこの歌のきっかけだというのだ。
寺山は当時23歳、三年間の入院生活を追え、生活のため電話番やポーカーディーラーの仕事についていた。二人は仕事の合間に横浜の海を見に行くのだが、その晩は霧が深くお互い黙って「べつべつの海」を眺めていたと述べ、その時に作った歌だと述べている。
「わたし」だけでなく、国籍が異なるもう一人の登場人物によって、「身を捨つるほどの祖国」にはこれからの日本の舵取りへの憂いだけでなく、中国に残してきた42歳の中国人・李の家族への心配も含まれるようになる。
ただし、寺山は自身の過去でさえも虚構化することから、この話も創作である可能性は否めない。

参照1:短歌の教科書|短歌の作り方・有名短歌の解説サイト (tanka-textbook.com)

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

ヒトラーやスターリンが互いを嘲笑し合う映画「独裁者たちのとき」!

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岸田政権支持率UPの秘策とは!

昨日はワシントンで米国のバイデン大統領とも会談を行った岸田首相の支持率が低迷している。

1月10日のNHKの世論調査によると、支持率は先月の調査よりさらに3ポイント下がって33%という厳しい数字である。

ある直近の新聞報道では、米国のある政府高官から来年の日本の首相は誰だと思うかと尋ねられたとあった。

そこで、岸田政権支持率UPの秘策を提案したい!

それは、ズバリ時代に適した国民栄誉賞の贈呈である!

今こそ、アフガン復興に生涯を捧げ3年前にテロにて暗殺された医師の中村哲さん、そして昨年の10月に逝かれたアントニオ猪木さん、さらに昨年「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞を受賞された眼科医の服部匡志さん、この御三方に国民栄誉賞をお送りするのである!

米国にハシゴを外されアフガンは、あっという間に元の木阿弥、またタリバン国家に戻ってしまい、特に女性方が今大変厳しい状況にある。

なお、その際の米国の杜撰なアフガン撤退がプーチン大統領のウクライナ侵攻をもたらした可能性は極めて高い!

そんなアフガンの人々に対して、中村哲さんへの国民栄誉賞は「日本はアフガンの人々のことを決して忘れてはいないのだ!」という強いメッセージとなるはずである!

皆さんよく御存知の「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは、史上初めてプロレスラー出身として参議院議員に当選、イラク人質事件や北朝鮮を訪問しての異色の独自外交も展開された!

「燃える闘魂」への国民栄誉賞は、老若男女の多くのファンが強く支持すること間違いなしである!

マグサイサイ賞を受賞された服部匡志さんは、ベトナムで貧しく白内障などの治療が受けられずに、失明してしまう人々を救う為、20年間にわたり私財まで投じて手術や治療を無償で行い、さらに高度な手術を行える眼科医の育成にも力を尽くされてきた。

服部匡志さんへの国民栄誉賞は、今後日本の医学会がさらに本格的にグローバルな医学貢献を行うことへの指針となり、アジアにおける日本の医療貢献への期待をアジア各国に大いにもたらすものである!

WHOによると日本の人口1千人あたりの医師数は2.297人で、世界ランキングの順位は55位とある。医師数を倍増すればロシアを抜いて世界7位となる。

御三方への国民栄誉賞の贈呈奨励に際し、岸田政権のみなさんへ「燃える闘魂」アントニオ猪木さんが愛した詩である「道」をお送りしたい!

この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、

危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、

その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。

<オマケの一節>

迷わず出せよ 国民栄誉賞を 出せばわかるさ!

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シャルギー(東洋人)!

2018年には日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルが、この『シャルギー(東洋人)』である。

1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあり、西側諸国から見ると多くの問題を抱えている。しかし、こんな映画を製作する外交的センスを目の当たりにすると、やはり歴史ある大国であることを実感せざるを得ない。

是非とも日本の外交筋には、爪の垢を煎じてガブ飲みして貰いたくなる!

この映画の主人公である井筒俊彦は、30以上もの言語を流暢に操った天才言語学者であり、東洋人で初めてイラン王立研究所教授として現地で講義を行ったイスラーム学者。さらに東洋思想研究者であり、神秘主義哲学者でもあった大先生である!

1993年(平成5年)に79歳で亡くなられたが、イラン及びイスラームの世界を中心に今も尊敬され続けている。

東西の知を操る異才 井筒俊彦:[慶應義塾] (keio.ac.jp)

個人的に井筒俊彦を知ったのは、30年ばかり前に司馬遼太郎との対談を読み何度も驚いてからである。

あの辛口の司馬遼太郎が対談冒頭に、「二十人ぐらいの天才が一人になっているような方」と語り、挨拶して平身低頭しているのがまず最初の驚きであった!

対談の中で今でも記憶に鮮烈に残っている話は、よくテレビに映像が出てくる東京裁判の1シーンで、あの東条英機の頭を後ろからポカリと殴る大川周明とも関わる話である。

勿論戦前の話で、1939年(昭和14年)に当時二十代半ばのヤングであった井筒俊彦が法政大学教授でもあった大川周明から亡命イラン人を東京で匿う手助けを頼まれ、イスラームの大学者と接した折の逸話である。

井筒が驚いたのは、その大先生が「おまえはなかなかよく勉強しているが、読んだ本はどうしているのか?どこか他の地へ行かねばならない時に本はどうするのか?」と尋ねられたのだ。

井筒は「取り合えず必要な本だけは持って参ります。」と答えると、大先生はさらに「火事で燃えたらどうするのか?」とまたお尋ねになったのである。

たまりかねた井筒は、大先生に「それでは先生御自身は読まれた本はどのようになされているのですか?」とお尋ねした!

先生の御答えは極めてシンプルかつ明快であった!

「読んだ本はすべて頭の中に記憶してある!」

「イスラーム学者として至極当然のことである!」

これにはさすがの後の大天才、井筒俊彦も驚愕したそうである。

シャルギー(東洋人)』は、イスラム学者井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれた。制作・脚本・監督はマスウード・ターヘリー。

本作の目的は、井筒俊彦の研究をより客観的な立場から紹介し、制作を通じて文化交流を行うことにあった。

映画の企画は2015年2月に開始された。撮影は2015年9月から2017年5月までかかり、移動距離14万2千キロにも及んだ。挿入曲は今回のドキュメンタリーのためにオリジナル曲が用意され、2016年5月から制作が開始、公開直前まで調整が続いた。

映像資料が効果的なくだりは、イラン時代の井筒俊彦の資料やイラン革命を実体験しながら井筒が現実世界と政治に関心を持ち遍歴を重ねる姿だ。

この姿は日本社会一般ではこれまであまり知られなかった。場面の中にはイスラームの神輿と日本の祭のそれがどこか似ているといった描写まで登場する。このドキュメンタリーはグローバル化が進む日本のイスラームとの対話にとって大きな存在となるだろう。

日本ではイスラーム研究そのものが社会一般においてまだまだ知られていないことから、井筒俊彦の構想した世界とそのテクストの重要性・意義が認識されないところがある。

井筒の業績や学才の恩恵に早い段階からあやかったのはイランをはじめイスラーム圏であり、その重要性を彼の地では早くから指摘されてきた。
イスラームからみた東洋はインドや中国・韓国・日本なども含まれている。優れた西欧の東洋研究者たちとも全くひけをとらないイスラーム研究者が日本から出て来たこと、そしてその人物が西洋・イスラーム・東洋を橋渡しするようなモデルを構築したことの意義はしっかりと評価されるべきだろう。

現代日本はAI時代になっている。井筒哲学を人工知能的にモデル化・形式化する試みもすでにこの国からはじまっている。現代文明を読み解く上で1つの大きなベースとして井筒俊彦を捉え、そこから得たものをマルチメディアな現代の中で描くのがこれからの我々に求められていることだろう。

井筒俊彦や大川周明がシュタイナーに興味を持っていたこと、子ども時代に禅を親から学んだ井筒と大家の鈴木大拙、鈴木の妻で神智学徒だったビアトリスらによる近代日本の精神史の深層といった興味深いテーマも日本から掘り起こしがはじまっている。この映画の発表によってさらに新たな展開が世界的に予想される。
参照:neoneo編集室【Review】ドキュメンタリーが示す新たな井筒俊彦とその可能性 text 吉田悠樹彦

余談ではあるが、井筒俊彦が恩師である西脇順三郎はあくまでも「学問」の師であると強調しているのは興味深い。分厚い英語辞書を丸暗記し、覚えたところは破いて捨てろという師、「私も語学が好きですから、やれといわれればやるけれども」という弟子。西脇順三郎の指導は、経験的かつ「厳格そのもの」だったと井筒俊彦は書いている。

井筒俊彦は英文学研究の道には進まず、西脇順三郎の専門領域を引き継ぐことはなかった。「学者にはなりたい、だがいわゆる『専門家』にだけはなるまい、とひそかに思い決めたのは学生時代」(「道程」)だったいうからここに、学問への態度は当時すでに決せられていたといっていい。言語哲学、ギリシャ神秘思想史、ロシア文学と、一見無秩序な講義の開講を許されたのも、西脇門下ゆえだった。

後年、西脇順三郎は「言語学概論」の講座を井筒俊彦に委譲する。しかし、従来の言語学も井筒俊彦の専門にはならなかった。井筒俊彦がいう「コトバ」とは、言語学のいう言葉ではない。形而上学でいう存在、すなわち万物の実在を規定するもの。西脇順三郎から伝授されたのは、学説ではなく、「コトバ」の系譜、すなわち存在の根源への追究である。「思えばずいぶん出発点から離れ、西脇先生の世界から遠ざかってしまったものだ。だが、コトバに対する関心だけは、始終守り続けてきた。コトバにたいする、やむにやまれぬこの主体的関心の烈しさを通じて、結局、私は今でも西脇先生の門下生の一人なのだ、と思う。他人(はた)が私をどう見るかは知らない。自分では、そうだと思っている」。(「西脇先生と言語学と私」)と井筒俊彦は書いている。

西脇順三郎は、ある詩集の序文で、内なる自己を「幻影の人」と呼んだ。
生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決できない割り切れない人間がいる。 これを自分は、「幻影の人」と呼びまた、永劫の旅人とも考える。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去っていく。この人間は「原始人」以前の人間の奇蹟的に残っている追憶であろう。永劫の世界により近い人間の思い出だろう。(『旅人かへらず』はしがき)

「幻影の人」に思いを馳せるとき、この詩人の実相とともに、井筒俊彦が、西脇順三郎だけを「師」と呼ぶ理由を垣間見ることができるのかもしれない。ヘラクレイトスを論じ、「彼は存在の動的実相を説く哲学者であると同時に、万象転変を歎く憂愁の詩人でもあった」(『神秘哲学』)と、井筒俊彦はいった。詩と哲学が不可分な実在。真実の詩人は永遠の「哲学」を歌う。西脇順三郎はそうした詩人だった。
参照:西脇順三郎 | 特設サイト「井筒俊彦入門」 – 慶應義塾大学

参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シャルギー(東洋人)、井筒俊彦、大川周明

1773夜 『神秘哲学』 井筒俊彦 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)


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