「あー今日のタコも美味かった!」と一杯やりながら悦にいることが、これまでの人生何べんあったことか!
そんなタコ好きの自分がある日突然、タコの凄まじい生涯の真実を知りオノノクことになろうとは!
3年ばかり前にネットで、静岡大学教授である稲垣栄洋さんの「タコの最期は涙なくしては語れないほどに尊い」に出会ってしまったのだ。
我々人間を含め哺乳類であれば一生涯の中で、チャンスがあればその度に何度も生殖行為は可能である。
それがタコの場合、生殖行為は生涯にたった一度だけなのだ!
たった一度きりですよー!
大人の男性諸氏には、是非一度そのような立場となった自分自身の気持ちを想像して貰いたい。
多分フーテンの寅さんでさえも、「男はつらいよ!」だけではすまない気分になるのではなかろうか!
これでもかという、命あるもののダイバーシティを皆さん味わうのではなかろうか!
タコのオスは、体力が大きく奪われる激しいメス争奪戦を戦い抜き、勝ち残ったオスだけがメスとの生殖行為に進める。
まさに、疲れ果てた青息吐息の中でようやく、タコの一生に一度の生殖行為が始まるのだ。
これはもう、我々の知る生殖行為というよりは、なにか荘厳な儀式のごときものに思える。
生涯一度のその儀式は、数時間もかけて実に荘厳にねんごろに濃密に行われるのだ。
そして、儀式が終わる時、体中すべてのエネルギーを使い果たし、オスはそのまま静かに死んで行くのである。
なんでやと聞かれても知らないが、とにかくタコのオスの「命のプラグラム」がそのように設計されているのだそうだ。
そして、残され身ごもったメスは卵を産む。産んでからは1ヶ月から数か月、場合によっては半年以上もの間も、メスは卵から片時も離れることなく子育てに専念する。
その間エサを食べるこもなく、卵をケアーしながら、ただひたすらに子育て生活をするのだ!
そして、いよいよ卵から赤ちゃんたちが生れる、母となったメスは体力の限界の中でこの誕生を見届けるのだ。
やっとのことで待望の誕生を見届け終えた時、母ダコにはもうまったく動く力は残っていない。後はただ、力尽きひっそりと死んでいくだけなのである。
タコの最期は涙なくしては語れないほどに尊い | 雑学 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
この話を知ってしまってからは、タコは相変わらず美味しく頂くものの、頂く度にこの光景が頭を過ぎり、心のなかで「タコさん、ありがとう!」と呟いている。