あの米国が唯一敗北を味わった戦争があった。それが、ベトナム戦争である。 本格化した1965年から敗戦の1975年まで10年以上続いた戦争だ。米軍の戦死者は5万8000人、ベトナム軍の戦死者は南北を合せると米軍戦死者の25倍を上回る約150万人、さらに民間人の南北ベトナム人犠牲者は何と460万人に迫る、軍人の犠牲者の3倍を超える悲惨極まりない戦争であった。
この民間人犠牲者が軍人の戦死者の3倍を超えるという事実からも、ベトナム戦争の実態が伝わって来る!
今のロシアのウクライナ侵攻よりも、間違いなくさらに酷いことが行われていたのだ。恐らくプーチン大統領は今も米国に向け、こんな指摘を強く繰り返しているであろうことは想像に難くない。
ちなみに、日本が人類史上初めての核兵器「原爆」をヒロシマ&ナガサキに落とされ、一瞬にして21万人以上もの方が亡くなった、米国に敗れた太平洋戦争における日本人の犠牲者は約310万人(軍人230万人、民間人80万人)であった。
そのベトナム戦争で米国が費やした戦費は、約1500億ドルといわれる。当時の米国の年間国家予算は約2000億ドルから3000億ドル程度だったので、最近の2020年の米国国家予算約6兆4000億ドルの規模からすると、今ならば3兆ドルから4兆ドルになるイメージかも知れない。
そうならば例えば、あのGAFAの株をまとめて買占めることが出来きそうな巨額の金額なのだ!
このベトナム戦争による莫大な軍事費の拡大により、さすがに世界のキーカレンシーであるドルにも危機が訪れる。
それがニクソンショックである。ニクソンショックとは、1971年8月15日にニクソン大統領が金とドルの交換停止を含む一連の経済政策を発表した出来事である。
それまで米国は金とドルとの交換を常に保証していたのだが、ベトナム戦争による莫大な軍事費の拡大などが原因で財政が悪化。米国の保有する金がドンドンと国外へ流出し、ドルとの交換が出来なくなったのである。
要するに世界の人々がドルに対して大きな不信感を抱き、ドルの価値が下がる前に、我先にとドルを捨てて金を選ぶ行動に出た結果であった。
まさしく、ドルの危機であったのだ!
このニクソンショックをきっかけに、ソ連との東西冷戦の中で米国が、日本を自由主義陣営に引き留めるために優遇した1ドル=360円という1949年にスタートした固定相場制は22年目の1971年に破綻を来たし終了するのだ。
1971年12月にはスミソニアン協定により1ドル=308円とするが、ドルはその後もドル安の圧力に耐えられずにとうとう1973年2月14日に変動相場制に移行する。
変動相場制になると、円はさらにジリジリと円高となりついには1ドル=200円を突き抜けて1978年には180円を割った。
この急激なドル安の危機に際し、追い詰められた当時のカーター大統領はドル防衛を決断する。即ち総合的ドル防衛策と共に米国の政策金利を、今日FRBが政策金利を0.75%引上げて騒いでいるのだが、一気に1%も引上げたのだ。
このドル防衛策により円は180円から1ドル=200円程度と一気に円安ドル高となった。
その流れは継続して1980年代の前半は1ドル=250円から260円程度で推移した。
ところが財政赤字と貿易赤字を合わせた「双子の赤字」に苦しむ米国は、インフレ退治の為に行った厳しい金融引き締めによってドル金利は何と20%にまで到達、世界中の投機マネーが米国に集中した。高金利によって民間投資は抑制され、インフレ退治には成功したものの、財政赤字がドンドン増えると同時に貿易赤字も増加。もはや、米国はこれ以上ドル高政策を維持することが出来なくなったのである。
そこで当時のレーガン大統領は、1985年9月ドル安路線への大転換を決断する。
その結果、プラザ合意に至るのだ!
当時の米国の貿易赤字のうち約半分が、日本によるものであったことから、仕方なく日本もドル安円高政策を受容れざるを得なかった。
そして、プラザ合意から1年後には、1ドル=150円台の円高時代を迎える。
この円高の流れはさらに10年以上続くことになり、1995年4月にはメキシコの通貨危機をきっかけに、さらに強烈な円高となりついには1ドル=79.75円と80円を割り切んだのである。
この状況が変化するのは、1995年1月に就任したルービン財務長官が彼の信念でもあった「ドル高は国益だ!」の政策に舵を切ったことであった。その為、円の動きは落ち着きを取り戻し1995年9月には1ドル=100円台となった。
そして日本政府による円安を目指した海外投資促進策が後押しする中、外債投資ブームなどもあり円安方向への流れが継続し、1998年8月には1ドル=147.66円の円安をつけた。
しかし、1998年9月に米ヘッジファンドLTCM(このファンドにはノーベル経済学賞を受賞した学者やFRBの元副議長までが参画していた)が経営破綻した後は再び円高に向かい、1999年末には1ドル=100円近辺まで円は上昇する。
そして2000年代に入ると、今年2022年になっての米国FRBの連続的利上げが開始されるまで、円は概ね1ドル=90円前後から1ドル=130円前後のおよそ40円幅のゾーンの中で上下を繰り返して来たといえよう。
ただし例外なのは、2008年9月15日のリーマンショック後と2011年3月11日の東日本大震災後である。リーマンショック後は円が3カ月間で18円上昇し1ドル=80.21円をつけた。またさらに東日本大震災においては直後から円買いが止まらず、10月31日には1ドル=75.32円の史上最高値を記録したのである。
そんな円の動向がこの2022年9月には1ドル=147円台を超え、昨日10月21日には1ドル=151円を突破した。
つまり、2000年から22年間続いてきた円の約40円幅のゾーンが打ち破られたのである。
これが今の円の危機である!
くしくも1971年に同じく22年目に1ドル=360円の固定相場制が終わりを迎えたごとく、円は新たな動きの時期に入るのかもしれないという危機なのだ。
しかし、往時のルービン財務長官の信念には賛同したい。
「円高は国益なのだ!」と!
明治時代の1円=1ドルとまでは言わないが(笑い)
米ドル投資をするなら知っておきたい「ドル円相場の8年サイクル」とは ? | マネー | おすすめコラム | 大和ネクスト銀行 (bank-daiwa.co.jp)
一方では、こんな見方もある!