一昨日の安倍元首相の国葬において、菅前首相の弔辞がトレンド入りとのニュースがあった。
早速ネットで検索すると、菅さんが弔辞の締めに読んだ一首のことがあった。
生前の安倍さんが議員会館事務所で、亡くなる直前に読んでいらした本、「山県有朋」からの引用であった。
その一首がこれである。
「かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ」
これは山県有朋が、安倍さんと同じく突然のテロによって盟友である伊藤博文が暗殺された際に、偲んで詠んだ一首であった。
山県有朋は、同じ長州出身の伊藤博文より3歳の年長で、伊藤の2代後の首相も務めた。二人は若き日に共に吉田松陰の松下村塾で学んだ間柄でもあった。
余談ではあるが、松下村塾で一番有名な塾生でもあった高杉晋作は2歳年下の伊藤を弟分第一として遇した。奇兵隊を創った高杉の奇跡的な功山寺の挙兵の際、一番先に駆け付けたのが伊藤であり、最後に加わったのが山県であった。
当時の歴史上の人物の年齢を山県有朋を基準に見てみると、同い年に大隈重信、1歳年長が徳川慶喜と板垣退助、3歳年長に坂本龍馬、4歳年長に福沢諭吉、5歳の年長に木戸孝允がいた。
さらに、師である吉田松陰は8歳年長のまるで兄のような年齢であった。大久保利通は松陰と同い年、そして西郷隆盛が9歳の年長者であった。
あらためて現在と比較すると、幕末の10年の中にこれだけの存在感のある政治家たちが生まれ出たことに驚くばかりである。
今現在で10年前からのことを顧みると、存在感のあった政治家はホンマに安倍晋三元首相のみかもしれない。これは我国日本にとって誠に侘しく情けない限りの話でもある。
なお、伊藤は亡くなった1909年に、山県はその13年後の1922年に亡くなり、二人には同じく国葬が行われている。
1722夜 『山県有朋』 半藤一利 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/1722.html