我が日本においても、ダイバーシティという言葉はさかんに耳にはする。しかし、この国におけるダイバーシティという言葉の響きには、なにやら社会福祉の一環の一つであるか、もしくはまるで慈善事業の一つのようなイメージが付きまとうのである。
では、米国ではどのようであるのかとあらためて眺めてみる。
結論を言うと、米国のGAFAなどの大企業はダイバーシティを決して綺麗ごとではなく、成長の為の有力な武器として実にクールに駆使しているのが現実であると見えて来る。
一目瞭然なのは、ここ20年ばかりの間に生じた日米の大企業におけるあまりの落差である。
では何が一番違っていたのかと言えば、明らかにダイバーシティの使い方の差に尽きると思える!
何故ならば、仮に日米の大企業が漫才のネタ作り競争をしたとする、日本企業では昔ながらにおじさんたちがメインとなり、日本のおじさんたちには受けるネタが出来るのであろうが、米国企業ならばもっと多くの層のグローバルな老若男女に受けるネタを作るはずだ!
これを世界のグローバル市場の規模を対象に少し考えてみれば、その結果は言うまでもなく明らかなことである。
音楽の世界においてもしかり、日本のJポップが落ち目となる中、韓国のKポップは世界に大躍進中である。これも根っこはまったく同じようなことが原因と思える。
次に、あらためてダイバーシティの歴史を確認してみる。
米国のEEOCというのはEqual Employment Opportunity Commissionのことであるが、ダイバーシティという言葉はここで使われて世の中に広がり始めた。
即ち1965年、公民権法に基づき米国雇用機会均等委員会(EEOC)が設置され、「ダイバーシティ」(人種・肌の色・性別・出身地・宗教・ジェンダー・人種・民族・年齢等の違い)による雇用差別を受けたと感じた人は誰でも訴えを起こせるようになったのである。
さらに1980年代以降、米国では大企業を中心に、競争力を高める人事戦略のツールとして、多様な人材を組織内で融合する「ダイバーシティ&インクルージョン」の考え方が浸透し始めて今に至る。
なお余談ではあるが、日本における女性への参政権は太平洋戦争敗戦後の1946年4月10日、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われ、約1,380万人の女性が初めて投票し、39名の女性国会議員が誕生した時である。
一方、米国では1920年に批准された合衆国憲法修正第 19条(19th Amendament to the Consitution) において、女性に対しての参政権が与えられている。
これは考えようによっては、日米でたった26年の違いかとも言えなくはない。
閑話休題、今日本がなすべきことは、遅ればせながらではあるが、躊躇なく速やかに武器としてのダイバーシティの活用を開始することであろう。
それこそ、今まで日本の中心なのだと自画自賛して来たおじさんたちが、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、皆でダイバーシティを武器にへと本気で腹を括る必要があるのだ。
小人閑居をして不善をなすと言うが、今の日本のおじさんたち、特に経営サイドのおじさんたちには、不善をなしている暇などないというのが、取り巻く厳しいグローバル競争のホンマの現実である。
「ダイバーシティを受け入れれない国」からの変化。日本の科学の未来に必要なこととは?日本科学未来館・新館長に聞く(BUSINESS INSIDER JAPAN) – Yahoo!ニュースhttps://news.yahoo.co.jp/articles/922e8161c173ccabb86288b684457193dc29f831?page=2
少子化をなくすには? 元内閣官房参与の吉村泰典さんと「子育てしやすい社会」について考えました – Yahoo! JAPANhttps://article.yahoo.co.jp/detail/ed0ea79edabd782aa4ac8b044228ecee9154f64f