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日本人は「闇遊び」の達人だった!

「闇学」入門の著者である中野 純(なかの じゅん)さんのお話である。

その集英社新書の案内書きには以下のように書かれていた。

日本人は「闇遊び」の達人だった!
風俗、健康法から、文学世界、信仰まで。
豊かな「闇の恩恵」を全解説!
古来、日本人は月光を愛で、蛍狩り、虫聴きといった闇のレジャーを多彩に楽しんだ。江戸庶民は夜を徹して富士山に登り、『陰翳礼讃』で谷崎潤一郎が「洞穴のような闇」と評した日本家屋の暗がりは西洋の建築家たちを魅了した。つまり日本人は闇の達人だった。
だが今、オフィスでは一日中電灯がともり、深夜でもコンビニの光が溢れる都市から闇は駆逐されている。本書は風俗・文学・信仰・健康……などさまざまな視点から闇を見つめる。衰えた五感を再生し、地球の未来を明るく照らす、豊穣な闇世界への招待状である。
という解説である。

また、別バージョンにおける集英社新書の案内書きにはこのようにある。

日本の闇はやわらかい。それゆえ日本人は闇に親しみ、闇で培われた五感で独自の文化を創り出してきた。
闇を駆逐し、光をあふれさせることこそが文明だという前世紀的価値観は、もうだいぶ怪しいものになってきている。
今、失われた闇を復興し、もう一度闇に親しんで暮らすことは、
古き良き時代に帰ることではなく、まったく新しい時代へ行くことだ。

何とこんなことを研究しているオモシロイ人がいると知ったのは「片桐はいり×中野純 」の対談番組、EテレのSWITCHインタヴュー達人達を見たからである。
日本を代表する個性派俳優の一人、NHKの朝ドラ「ちむドンドン」にも出演の片桐はいりさん。その彼女が10年以上会いたいと願っていた人、自称「体験作家・暗闇ガイド」と名乗る文筆家中野純さんとの対談番組であった。

なお、SWITCHインタヴュー達人達はEテレで2013年から放送されており、初回からファンとなって以来ずっと見続けている番組である。ちなみに初回の対談は忘れもしない「燃える闘魂アントニオ猪木さんと天皇陛下の執刀医の天野篤さん」の対談であった。

さらに同じ2013年には、今では国外逃亡劇で名を馳せた当時は日産ルノーのCEOであったカルロス・ゴーンさんが宇宙飛行士の山崎直子さんと対談。また、亡くなられた瀬戸内寂聴さんがEXILEのATSUSHIさんと対談されている。

閑話休題、「闇学」入門の目次には五章があり、すべて興味をそそられる見出しであるが、特に個人的に興味を惹かれたのは各章で下記の如くである。

第一章 闇の現代史 光に鈍感になった日本人 では、 
 ● 暮れない暮らし、闇不足の時代
 ● 失われた妖怪との共生
 ● 闇が足りないと光も足りない

第二章 闇を遊ぶ 闇を使った賢い生きかた では、 
 ● 花虫風月、夜の虫を愛でる文化
 ● 蛍狩りや虫聴きは闇を楽しむもの
 ● 賢治もナイトハイカーだった
 ● いっぺん死んで生まれ変わる
 ● 日本は暗闇アトラクションだらけ

第三章 夜目と夜覚の世界 五感は闇の中で磨かれる では、 
 ● ただ暗いだけで五感が敏感に
 ● 夜の視力は全体視力
 ● 通夜、徹夜は最高のレジャー
 ● 闇とセックス、もうひとつの無我の境地
 ● 鈍感にする知恵

第四章 日本の闇はやわらかい 日本文化は闇の文化 では、 
 ● 豊かな反射光文化
 ● 西洋の闇はキツく、日本の闇はやわらかい
 ● 和紙が光と闇をやわらかくする
 ● 暗いと遅い、明るいと速い
 ● 暗いトイレがセンスを育む

第五章 明るい未来から、美しく暗い未来へ では、 
 ● 祭りの光は闇を意識させるためにある
 ● 広重が描いた両国花火の暗さ
 ● 引き算の照明でなく
 ● 太平洋は世界一豊かな闇をたたえている
 ● センサー式ライトで光と闇の共存を

あの「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治もナイトハイカーだったという指摘には、成程そうだろうなと深く共感できました!

同時に思い浮かんできたのは、確か「バカの壁」で有名な養老孟子さんが仰っていた、「一日に一回たった五分でもいいから、毎日人の手をまったく介さない自然のもの(石ころでも葉っぱでも何でもよし)を見つめる習慣を持ちなさい。」ということでした。これも闇と光の関係と同じく、人間の五感の使い方をリフレッシュさせ人間の感覚を本来あるべき状態にリセットすることなのではと思った次第です。

全体視力をしっかりと意識しながら五感を総動員し、今夜は闇遊びがしたくなって来ました(笑い)

宇宙から見る夜景もお楽しみ下さい! なお、雷とオーロラは圧巻です是非に!

感覚遊び・感触遊びを楽しもう!赤ちゃんも楽しめるアイデアを大特集 (gokkoland.com)https://gokkoland.com/articles/468

大人も赤ちゃんたちの真似をしてどうぞ五感遊びを!

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やるじゃないか「春画」とはEテレ!

つい先日にEテレを見ていて驚いた!
御存知のようにEテレとは、NHKの教育番組である。
その教育番組でなんと「春画」を話題にしていたのである。
「はなしちゃおう!」という番組であった。
素直に、やるじゃないかEテレ!と思った次第である。
番組のなかの解説にもあったが、還暦をとうに超えた我身でも「春画」と言う言葉の響きは、何やら嬉し恥ずかしい思いが生じるものである。

そして思い出したのは、2013年にロンドンの大英博物館で開催された春画展『春画―日本美術における性とたのしみ』「Shunga: sex and pleasure in Japanese art 」である。

これがロンドンで大人気を博し、3ヶ月間の開催中に9万人近い来場者を集めました。

さらに、この大英博物館での「春画」の人気振りに力を得たことから、お国元の日本では開催が難しいと思われていた「春画」をずばりテーマとした展覧会が、東京の「永青文庫」にて2015年についに初めて実現したのです。

こちらはなんと3ヶ月間で21万人の来場者を集めました。勿論18歳未満はお断りの条件でした。実際にその展覧会に足を運んだものの一人として、若い男女のカップルに加え母親と娘さんのカップルや若い二人連れの女性たちがたくさんいらしたなあとの記憶がある。

閑話休題、Eテレの当該番組の話に戻ると、解説の方が江戸時代における「春画」は深く庶民の普通の生活の中に溶け込んだ存在であったとのこと。当時の娯楽の一つである貸本屋において、若い女性たちも気軽に借りて楽しんでいたようである。「春画」は「笑い絵」とも呼ばれ、隠されるようなものではなかったことから、子どもたちも自然に目にしていたようである。それを思うと、江戸時代の「春画」文化は時代を軽く100年以上先取りしていたようにも思えてくる。

なお、そんな江戸の「春画」文化を忘れ去り、現代の我々の多くが「春画」に対し少なからずの羞恥心を覚えてしまうようになったのは、明治初期の政府の方針にあった。

前述のごとく、2013年のロンドンでは大喝采を受けた「春画」であるが、明治初期19世紀末に日本に来た往時の欧米人の目には、「春画」を下品で猥雑としか受け止めることが出来ず大いに日本を非難したとのこと。それに慌てた当時の日本政府が「春画」を禁じる方針を決めたのである。

そんな「春画」が凄いのは、なによりも隠れてコソコソと描くのではなく、堂々と実に楽しそうに思えるごとく菱川師宣をはじめ鈴木晴信や喜多川歌麿や葛飾北斎など、現代においても日本が世界に誇る当時の人気絵師たちがこぞって「春画」を描いたことである。

なかでも有名な作品として菱川師宣の「床の置物」、鈴木晴信の「風流艶色真似ゑもん」、喜多川歌麿の「歌満くら」、葛飾北斎の「蛸と海女」などがよく知られている。

1138夜 『江戸の枕絵師』 林美一 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/1138.html

さらに蘊蓄を深めたい方は御一読を!

WHY!日本はシッカリ報道しない「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」!

日本人の美意識とは!

当世おとなの下ネタ事情!

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ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば!

ここ十数年来毎年この八月十五日が近づく頃になるとこの短歌が頭に浮かんでくる。


「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづおれて伏す」

 
戦後を代表する歌人の一人、宮柊二(みやしゅうじ)さんの歌集「山西省」にある短歌である。
敵の兵を引き寄せて背後より心臓あたりに短剣を差すと、静かにその相手は倒れて伏した、ということであろう。まるでスローモーションのように衝撃的で残酷な一場面が目の前に浮かび上がってくる。宮柊二さんの代表的短歌の一つである。

宮柊二さんは1939年(昭和14年)から1943年(昭和18年)にかけて五年近く徴兵され、華北・山西省(現・河北省)において帝国陸軍軍人として各地を転戦された。山西省は満州に隣接する地域であり、山海関(満州と華北の境界)のすぐ外側にあたる。いわば「日中戦争」当時における最激戦地である、その戦いは凄絶を極めたとのことである。

誠に勝手な解釈ながら、ごく普通の常識で考えた際には、即ちもし互いに殺し合う状態が普通である「戦争」という名の特殊環境でなければ、まさに現行犯の殺人者の短歌である!

ということは、明らかに戦争というものは普通の人を異常な人に変換する装置と言えよう。

今現在ロシアのウクライナ侵攻による戦争においても、このようなことが現在進行形でリアルに再現されているのが現実である。

同じ「山西省」にある短歌に、「自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず」がある。

自爆をした若い敵の兵を哀れむ気持ちはあれど、振り返ることはなく前進を続けたのである。敵も味方も必死である。戦争という環境では、勝つこと、殺すこと、生き抜くことだけを考えて闘うのであり、理性や哀れみといったものは消え去るのである。

また同じく「山西省」の短歌に、「耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず」がある。

厳しい戦場における自問自答の中で、耳を引きちぎったヴァン・ゴッホのことを思い、孤独とはなんであろうかと考え、戦争と個人との関係をいろいろと考えるとなかなか眠ることができない、ということなのであろう。これほど悲惨な戦争の中にあっても真面目で真摯ないつもの普通の宮柊二さんもまた実際にいらしたのである。

なお、1912年(大正元年)生まれの宮柊二さんは1986年(昭和61年)までご存命であった。最晩年の歌集「純黄」の中の短歌に、「中国に兵なりし日の五ヶ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」がある。今更説明の必要はどこにもなにもないであろう。

一連の短歌を読んで、戦争とはきっとそうに違いないと思えて来るのは、きっと私一人だけではないであろう!

(注)「宮柊二の名歌・秀歌 – 良寛様と文学の部屋」より「宮柊二の名歌・秀歌観賞百一歌」を参照させて頂きました。


宮柊二『山西省』論

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https://youtu.be/TPY8JJIjxkA
徐州とは、元来は山東省南東部と江蘇省の長江以北の地域を指した漢代の地方区分の名称

  

1941年(昭和16年)の唄
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ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!

77年前の1945年8月6日午前8時15分「ヒロシマ」には濃縮ウランを用いた原爆リトルボーイが、三日後の8月9日午前11時2分「ナガサキ」にはプルトニウムを用いた原爆ファットマンが世界で初めて投下されました。

世界の中で唯一の被爆国である我日本だけが有する、二つのThe Principal Ground Zero が「ヒロシマ」&「ナガサキ」です!

一瞬の間に「ヒロシマ」で14万人以上、「ナガサキ」では7万人以上、合計で21万人以上の方々が亡くなられました!

ヒロシマ
ナガサキ

そんな日を迎えようとしている2022年8月の今、ロシアがウクライナに侵攻し悲惨な戦争が始まってもうすぐ半年にもなります。

また、先日米国のペロシ下院議長が台湾を訪問したことに対する報復と称し、中国共産党の人民軍は空母も動員して艦船で台湾を包囲して脅しています。

戦争とは即ち、人災であります。いかなる表現を用いようとも、これは変わらぬ事実です。戦争が自然に生じることはあり得ないことです。必ず我々人間が、人為的に起こすのが戦争です。

ただでさえ、地球温暖化による気候変動により自然災害が世界中で著しく増加し、疫病は只今もコロナの真っただ中にあります。

そんな自然災害と疫病に悩まされながら、「ヒロシマ」と「ナガサキ」の原爆投下から77年を迎える今でも、我々人類が人災である戦争を回避する知恵を持つに至らないことが情けなくてなりません。

半世紀以上昔の子供の頃、テレビの鉄腕アトムを見ながら信じて憧れた平和で安全な21世紀は何処へ行ってしまったんだろか?歴史は繰り返されるでは、冗談でも済まされないことです。

取り急ぎ準備すべきことは、欧州の国々が第一次世界大戦と第二次世界大戦における被害に懲りて安全保障の面でNATOを創り、以後は戦争をしていないことを参考とし、アジアにおいてもアジア版NATOのようなものを創るべきだと思います。

その際に注意すべきは、米国がソ連が崩壊した後もずっとロシアをNATOから排除してきた現在の失敗を鑑み、中国を排除することなくカタチはどうであれ実質的には中国も取り込むことに大いに知恵を絞るべきです。

なお、その際プーチン大統領から頼むからロシアも仲間に入れてくれとの依頼があれば、素っ気なく断らずに検討してあげることもあってよしかと。(笑)

最後に標題をThe Principal Ground Zeroとしたことにつきまして一言申し上げます。1945年の原爆投下以来Ground Zeroは長らく原爆の爆心地との意味でしたが、2001年の9.11テロ事件の後には米国において、標的にされたワールドトレードセンターの跡地も同じくGround Zeroと呼ばれるようになりました。米国の皆さんの深い悲しみを思うとそのように呼ぶようになったことも理解できますので、それはそれでよしです。

但し、「ヒロシマ」と「ナガサキ」は9.11とは明らかにレベルが異なります。ハッキリと区別は必要と常々考えていましたので、今回初めてThe Principal Ground Zeroという言葉を造りました。

0832夜 『国破レテ』 村上兵衛 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)https://1000ya.isis.ne.jp/0832.html

『国破レテ』は、2003年の8月6日に書かれていました!

記憶に残るG7ヒロシマ!

「レクイエム」「詩篇」「響紋」三善晃の反戦三部作!

「寛容さの共有」を忘れた社会の危うさ!

日本社会と外交への願い!

非核三原則に関する国会決議の実状!

「倜儻不羈(てきとうふき)」という言葉!


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