東北大震災の発生時には、東京の秋葉原駅前の高層ビル五階の待ち合わせフロアにいました。
15時のアポのお客様訪問のために待機していたとのです。まだ15分ばかり時間があるなと確認したところ、突然大きな揺れに襲われたのです。
そのビルには1階から5階の待ち合わせフロアへのメインルートとして、通常の倍以上幅のがある大きなエスカレータが50メートル以上の長さで4本が利用されていました。それらがみなドカンドカンと揺れて音を出し、その音が女性方の恐怖心をさらに一層増幅させて悲鳴が起こる状況でした。
これが、2011年3月11日の東北大震災でした!
被害が12都道府県の広域に及んだことから東日本大震災とも呼ばれます。その犠牲者1万5900人、行方不明者2523人の大惨事でありました。
大きな揺れの波が数回あり10分くらいで揺れは納まりました。停止状態のエスカレーターを歩いて下り、地上の状況を確認したところ、歩行者の皆さんの多くは立ち止まり、携帯がまったく繋がらないとの声があちこちから聞こえました。そして、ふと公衆電話ボックスを見ると長い長い行列が出来ていました。
そしてビルに戻ると、しばらくしてエレベーターが復旧、お客様のところへ行き「大丈夫でしたか!」と互いに声をかけあった次第です。すぐにお客様がテレビのニュースを見せて下さり、そこで見たのが衝撃の津波映像でした!
目に飛び込む映像を見て、あー映画であって欲しいと念じましたが、残酷にも現実のものでありました!
今日の新聞広告に大震災後に生まれた日本の子ども達は1023万人!とありました。これから月日が経てば経つ程、大震災を経験したことのない人が増える訳ですが、知らない子ども達にしっかりと、当時の日本では何が出来ていて何が出来ていなかったのか、またなぜ必要なことをしようとしなかったのか等を一つ一つ丁寧に伝えて行く努力が永遠に必要だと思います。
2011年文藝春秋8月増刊号に、被災地のこども80人の作文集である「つなみ」がありました!