太平洋戦争の末期も近い1945年3月10日に東京大空襲があり、11万人以上といわれる民間人が犠牲になりました!
2011年3月11日の12都道府県に及んだ東日本大震災は、犠牲者1万5900人、行方不明者2523人でありました。
かたや東京大空襲は、狭い東京という一地域でのことです。
その大きな要因は「焼夷弾」です!
米国の悪智慧で有名な参謀が、木造建築の多い日本の家屋に対しより効果的な被害を与えるにはコレだと考えたそうです。
結果は悲しいかな、まさにその通りとなりました!
東京だけではありません、全国津々浦々の主要都市が軒並み空襲を受けたのです。
「焼夷弾」の空襲による火災は、普通の火災とは違います!
火災により猛烈な旋風が引き起こされ、吹き付けて来る火が高熱の竜巻となって、ホントにモノが飛び、人が飛ぶのです!
立ち上がりその場を逃れようといくらもがいても、そんなことは不可能な状態になのです!
助けを求める声が、焼夷弾の爆音や強風の音に混じり誠に凄惨であったのは、どこの空襲も同じでした。
私の母も地方都市にて空襲に会い、幸い家族全員無事ではありましたが、家はシッカリと焼かれてしまいました。
市の象徴として市民が見慣れたお城の天守閣までもが、一夜にしてその姿をかき消しました!
「焼夷弾」を落とすのは爆撃機のB29ですが、そのB29を護衛する戦闘機も多数襲来しました。戦闘機は日本の戦闘機がもうほとんど無い状況を知らされていたので、空襲をサポートし終えて帰る際には燃料の節約から銃弾を消費、つまり民間人を目がけてバリバリと打ちました。母も狙われ、すぐ間近で機銃掃射の銃弾が「ヒュンヒュンヒュン」と音をたてたそうです。そのときパイロットの顔をハッキリと見たとのことでした。
これはもう80年近く前のことですが、情けないことに同じことをこの21世紀の今ロシアがウクライナに対して行っているのが現実であることに、人間の愚かさは今も昔も変わらないというだけに終わらせてはならないと思います!