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大衆が消費した「三種の神器」の移り変わりとは!

1945年8月には原爆まで落とされ、主要都市は軒並み焼夷弾による爆撃で焼け野原となり、太平洋戦争・第二次世界大戦で米国に敗れた日本であった。しかし、日本は驚くべきスピードで復興を果たした。そんな日本の大衆が、その後に爆買いした製品の移り変わりをあらためて眺めてみた。

1950年代の後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれた。大衆は、その「三種の神器」を爆買いしたのである!

次いで高度成長期となった1960年代半ばには、「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)が「三種の神器」に代り、「3C」が爆買いの対象となった。

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2000年代の平成の時代には、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビのデジタル家電が「新・三種の神器」と呼ばれ、爆買いされたのである。

1950年代の「三種の神器」から1960年代の「3C」へ、さらには2000年代の「新・三種の神器」へとの移り変わりには、日本人の家事労働の軽減から余暇の充実へと、大衆のあこがれの質の変化が、製品を通して垣間見えてくるのである!

一方、戦勝国となった米国の大衆の爆買いについて覗いて見ると、あらためて当時の米国の豊かさを感じざるを得ない。
狂騒の20年代(きょうそうのにじゅうねんだい 英: Roaring Twenties)、または狂乱の20年代(きょうらんのにじゅうねんだい)とは、米国の1920年代を表現する言葉である。
狂騒の20年代、米国では多岐にわたる新しい大衆向け消費財の導入で大衆は駆り立てられ、大きな経済的繁栄の時代となったていたのである。

さらに米国の株式市場においては、「黄金の20年代」と呼ばれたのが、1920年代当時の米国であった。そして、この1920年代に米国経済と米国株式市場の成長をリードしたのが、まさにイノベーション(技術革新)であったのだ!

1920年に開始された商業放送のスタートでラジオが普及。また、大衆の通信手段としての電話が普及した。文化面ではジャズ音楽が広まり、工業分野ではフォードが1921年に量産型乗用車(T型フォード)の「年間生産100万台」を達成したのである。

米国では当時、一般国民に自動車が普及したことで高速道路の建設が進み、都市部では地下鉄や上下水道などのインフラ(社会的基盤)が整備された。これらのインフラは、産業の発展と個人消費の拡大に多大な貢献をしたのである。

「ラジオ」と「電話」と「自動車」に加え「電気冷蔵庫」、「電気洗濯機」、「真空掃除機」も急速に普及した。日本で言うならば「六種の神器」が、米国で爆買いされたのが1920年代であった!

それは、日本の神武景気における「三種の神器」よりも、40年近くも前の話なのである!

日本の「三種の神器」は、米国に遅れること約40年の出来事であったのだ。

1941年から、日本はそんな豊かな国である米国と、4年間近くも戦争をして敗けたのである。当時の有名な連合艦隊司令長官の山本五十六元帥が日米決戦を前に、「1年かそこらならば大いに暴れて見せましょう!」と言ったという話をあらためて思い出す。山本元帥は1920年代ではないが、1909年から1911年までの3年間、駐在武官として米国に滞在していた。

余談ではあるが、米国では1920年8月に女性参政権(選挙権)が認められた。これを契機として、女性の社会参加も益々進んだのである。一方、日本の女性参政権が認められたのは、遅れること25年、敗戦後の1945年のことである。これも戦勝国である米国からの命令によるところ大であった!

三種の神器 (電化製品) – Wikipedia

狂騒の20年代 – Wikipedia

女性参政権 – Wikipedia

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作成者: 鈍偶斎

還暦は過ぎたるも、心は少年の如くありたいと願っています!


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