日本の古代国家誕生の歩みを示す宮殿跡や寺院跡、墳墓で構成される遺跡群「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県橿原市、桜井市、明日香村)が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録される見通しとなった!
しかし、めでたさも中くらいなのだ!
来月7月19日から韓国・釜山で開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式に決定する見込みと、文化庁が昨日6月6日の発表した。
要するに、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)が「登録」を勧告したのである。
登録されれば、国内の世界文化遺産は、2024年登録の「 佐渡島さど の金山」(新潟県佐渡市)に続き22件目となる。
では、なぜめでたさも中くらいなのか?
その理由は、国内では「飛鳥・藤原の宮都」の重要性は当たり前の周知の事実なのに、なぜこれほど何年も待たされたのか?というもどかしさや、理不尽にさえ思える足踏みに対する怒りは消えないからである!
地元や関係者が積み上げてきた熱意や学術的成果から見れば、「何を今さら」と言いたくなるのだ!
では、一体「誰が」そこにブレーキをかけ、実質的な「イチャモン」とも言える厳しい要求を突きつけていたのか。
結論からハッキリ言うと、主犯は今回登録を認める方針のユネスコの諮問機関であるICOMOS(イコモス:国際記念物遺跡会議)である。
そしてその背後には、彼らが信奉する「西欧中心主義的な評価基準」がある!何が起きていたのか、その構図をストレートに分析してみた!
1. 主犯はICOMOS(イコモス)の専門家たちである。
世界遺産に登録するかどうかを事前に審査し、事実上の決定権を持つのが国際的な専門家組織「イコモス」である。彼らが何年も首を縦に振らなかった理由は、一言で言えば「机の上のジャンル分け(カテゴリー)の壁」であった。
「遺跡(考古学)か、建築か、景観か」の押し付けなのだ!
イコモスの審査員(特にヨーロッパ系の学者)は、目に見える石造りの神殿や、今も残る古い街並みを好む。一方で、飛鳥・藤原は「建物は残っておらず、地面の下の遺構(考古学遺跡)と、それを取り巻く万葉の景観」が一体となった遺産である。
イコモスの審査員は「考古学的な遺跡としては平城宮跡があるし、景観なら京都がある。この遺産のコア(核心)はどっちなんだ? どっちつかずだ」という、極めて硬直化した二者択一を迫り続けた。国内の専門家からすれば、それらが「一体となっているからこそ価値がある」のに、彼らの硬い頭のフレームワークに収まらないというだけで、門前払いに近い状態が続いたのである。
2. 「古都奈良(平城京)」の影、過去の日本の登録実績があった。
もう一つのハードルは、皮肉にも日本が過去に登録した「古都奈良の文化財(1998年登録)」であった。
イコモス側は、「奈良(平城京)の登録のときに、日本の国家形成のストーリーはすでに語られている。なぜ車で1時間も離れていない場所に、また同じような『日本の始まり』を名乗る遺産が必要なのか?」という、官僚的な「重複チェック」をかけてきたのだ。
彼らにとって、飛鳥・藤原・平城京のグラデーション(過渡期と完成期の違い)は「日本国内の身内のこだわり」に見え、「世界的な価値(Ouv(顕著な普遍的価値))」として認めるには、もっと決定的な証拠を出せと、いわばハードルを意図的に高く設定されていたのが実態である。
つまり、誰がイチャモンをつけていたかと言えば、「ヨーロッパの石造り文化の基準でしかモノを見られない、頭の固いイコモスの審査員たち」なのである!
彼らは、木と土の文化であり、地中に埋まった遺構から「目に見えない国家誕生のシステム」を読み解くという、東アジア特有の考古学の高度なロジックをなかなか理解しようとしなかったのである。
国内で「周知の事実」であっても、彼らのガラパゴス的な審査基準に「翻訳」して、相手の土俵で論破するまでに、これだけの無駄な歳月を費やさざるを得なかったというのが、今回の長期化の正体である。
そして、悲しい話であるが、もう一つの正体は残念なことに外務省なのである!
このような苦労を地元や関係者に負わせてきたわが国の外務省の罪、つまり国連改革への熱い思いとその戦略性の無さは、もはや見逃せないレベルに達しているのだ!
今まさに渦中にある米国とイランの停戦問題に関する、わが国の外務省の対応がすべてを象徴している!
あえて説明はしない、シッカリと外務省の今後の米国とイランの停戦問題への対応をウオッチするだけでハッキリと分かるはずだ!
奈良 飛鳥・藤原の宮都が世界文化遺産登録の見通し…ユネスコ諮問機関が勧告 : 読売新聞