今日は春節の日であるが、中国政府の日本政府への批判により、中国からの訪日客が半減している!
そんな中国には昔から、「上に政策あれば、下に対策あり(上有政策、下有対策)」という有名な言葉がある。
これは単に「法の網を潜り抜ける」という意味だけではない。
「体制の締め付け(上の政策)に対し、生存戦略としてどう振る舞うか(下の対策)」という、中国伝統の凄まじいリアリズムを指しているのだ!
最近の話題では、中国の若者がコスプレしてデスノートに高市総理の名前を書いたり、高校生が学園祭で安倍元総理の暗殺場面の寸劇をしたりする動画が拡散されている。
しかし、恐らく彼らのパフォーマンスの底にあるのは、単純な日本への憎しみではなく、極めて冷徹な「自らの生存のためのポピュリズム」である可能性が頗る高い。
つまり、反日を演じることは、彼らが愛してやまない「サブカル維持」のための「手数料」だとも思えるのである。
中国において、日本の二次元文化(アニメ・コスプレ)は常に「親日」「精神的日本人」というレッテルを貼られ、当局やネット右翼から攻撃を受けるリスクを常に孕んでいる。
そんな彼らの「下の対策」として、彼らは日本文化を愛でるという「危うい行為」を続けるために、あえて過激な反日パフォーマンスをセットで行うことにより、「自分たちは思想的に正しい!(愛国的である)」という免罪符を得ようとしているのだ。
つまり、デスノートに名前を書く行為は、アニメという趣味を守るための「踏み絵」であり、一種の「手数料」なのである。
また一方では、反日行為は彼らにとって、安全が確保されたストレス発散の大切なツールなのだ!
今の中国社会は、学歴競争や格差、言論統制など、若者にとって極めてストレスフルな環境にある。しかし、政府に向かって自国の不満をぶつけることは、中国共産党が絶対に許さない!
そんな彼らが「下の対策」として出来ることは、怒りの矛先を中国政府が推奨する「敵(日本の政治家)」にスライドさせることである。安倍元総理の暗殺を模した寸劇などは、彼らにとって「何をしても怒られない、むしろ褒められる暴力的パフォーマンス」なのである。
「上」が反日を推奨する(政策)なら、「下」はそれを利用して日頃の鬱憤を最大限に晴らす(対策)、という構図である!
彼らは本心から反日行為そのものをしたいのではなく、「反日の演技を全力で演じることで、自らの身の安全を確保する」という、極めてドライで演劇的な心理状態にあるのではないだろうか。
そのように観ると、彼らの行為は日本から見ての「狂気の沙汰」ではなく、「悲しき適応」なのである!
彼らの行動を「異常な中国の愛国教育の成果」と片付けるのは誠に単純すぎよう、その本質はもっと泥臭く闇が深いのである!
反日パフォーマンスとは、不自由な言論空間において、自分の好きなこと(コスプレや演劇)を死守するために、権力に最も喜ばれるポーズを過剰に演じて見せる、中国的な「処世術」の極致とも言えよう!
この「生存戦略としての反日」という視点から、今の中国の若者のリアルな閉塞感について、さらに考えてみる。
中国の若者が今直面している不況は、単なる不況ではない。彼らは今、「寝そべり(タンピン)」や「内巻(ネイジュアン)過当競争)」という言葉に象徴される、希望の見えない構造的な厳しい社会の渦の中にいるのである。
そんな彼らにとって「愛国」は、唯一の安全なエンタメなのだ!
現在の中国では、映画、ゲーム、アニメ、さらには塾などの教育産業にいたるまで、当局の厳しい規制(上の政策)が入っている。
若者が熱中できる対象が次々と「不健全」として潰されていく中で、「唯一、無制限に、かつ推奨されて楽しめるコンテンツが愛国(反日)」なのである。
娯楽に飢えた若者たちは対策として、自分たちの好きなサブカル(コスプレや動画制作)を維持するために、その「コンテンツ」を愛国という色で塗りつぶしてしまうのだ。
彼らにとって、安倍氏の寸劇やデスノートのパフォーマンスは、「当局に没収されないためのラッピング」である。中身が空っぽであっても、外装さえラッピングして「反日」であれば、その場だけは自由な表現が許されるという皮肉な解放区なのである。
さらには、社会に出れば上司や当局、熾烈な競争に虐げられる「被害者」となる確率の高い彼らが、ネットや学園祭で日本の政治家を叩くときだけは、100%正義の側に立つ「罪を問われない加害者」になれるのだ!
なお、聡明な若者の一部には、あえて過激な行動をして国際的な摩擦を煽り、体制の矛盾を限界まで突き動かそうとする「加速主義(ジャーサ・ジューイー)」的な心理も潜んでいそうだ。
つまり、上が反日を煽るなら、自分たちはそれを「上が困るほど過激に」やってのけてやろうという考え方である。
国際社会から白眼視されるような行動をあえて取ることで、中国を孤立させ、結果として現状を打破しようとする、ある種自暴自棄な「対策」である。
彼らは、中国共産党体制が求める「正しい若者像」を過剰に、かつグロテスクに演じて見せることで、その歪んだ社会に適応しようともがいているのだ。
あのパフォーマンスは、中国社会の閉塞感が生み出した「叫び」が、反日というフィルターを通して出力されたものに過ぎないのではなかろうか。
彼らにとって、あの悪趣味なパフォーマンスや寸劇は、自由を奪われた世界で「自分はまだここにいるぞ」ということを証明出来る、最も安上がりで安全な、しかし最も悲しい「対策」なのかもしれない。
結びに、当たり前のことをあらためて言うと、反日のパフォーマンスを行う中国の若者は少数派である。多くの中国の若者は、健全なバランスを維持する人たちである。恵まれた自由な社会環境に暮らす日本の若者たちは、精神衛生上極めて厳しい社会で頑張る中国の健全な若者たちを、さらにシッカリとリスペクトすべきではなかろうか!
中国古代の郵便事情 ―上有政策,下有对策― – なぶんけんブログ
デスノートに高市首相の動画拡散 中国アニメイベントで撮影(共同通信) – Yahoo!ニュース