先月の末近く、昨年悲しくも急逝したいとこの姉さんの一周忌法要があり、一年振りに紀州は熊野の新宮を訪れた!
六十年ばかり前の小学生の頃には、まだ紀勢線では汽車ポッポが走っており、トンネルに入る際には急いで窓を閉めた記憶が鮮明に残っている。そんな懐かしい新宮である!
また、中学一年生の国語の教科書には、佐藤春夫さんの丹鶴姫の伝説の話が掲載されていた。読んだ当時の感想は、たびたび訪れている新宮にはそんな伝説の城跡があるんだという程度でしかなかった。
しかし、年齢を重ねるごとに丹鶴城への思いは強くなり、今回はついに新宮城跡である丹鶴城に登って来たのである!
天気もよく素晴らしい景色であった。まさしく中学一年生の時に読んだ感覚が蘇るような気分になった。
そんな我が思いを、ちょっとずるいが佐藤春夫さんの詩「丹鶴城」に代弁し頂く!
「丹鶴城」
これ水野氏の丹鶴城
昔は三万六千石
今はわが父の裏山となる
少年のわがよき遊び場
竹を切り木の枝に攀(よ)ぢ
蝶を追ひ小鳥を捕りき
本丸は茅化(つばな)ほうけて
笹原に鶯鳴きぬ
蔦(つた)もみぢ石垣ゆるみ
わが友のいま二の丸に
營めるホテルあり
風光を天下に誇る
多謝すわがお城山
美をわれにむかし敎へき
柏亭は「滯船」を描き
われらが師よさのひろしは
なつかしくここに歌へり
聞けや淸きしらべを
碑(いしぶみ)に彫(ゑ)らまはしきは
「高く立ち秋の熊野の
海を見て誰ぞ涙すや
城の夕べに」
参考1:よさのひろし(与謝野寛・与謝野鉄幹)は、佐藤春夫にとって若き日の文学的な憧れであり、精神的な導き手でもあったのだ!
参考2:高く立ち 秋の熊野の 海を見て 誰ぞ涙すや 城の夕べに
与謝野寛(よさのひろし/鉄幹)が明治39年に熊野・新宮城跡を訪れた際に詠んだ一首である。この歌は、熊野灘を望む高台からの風景と、そこに重なる歴史や感情を詠み込んだもの。夕暮れの城跡に立ち、秋の海を見て、誰が涙を流すのか——という、静かで深い情景が浮かび上がる。
参考3:「滯船(たいせん)」は、洋画家・版画家の石井柏亭(いしい はくてい)が1913年(大正2年)に描いた風景画で、熊野の池田港(現在の和歌山県新宮市)を題材にしている。
この作品は、夏の強い日差しの下で網を編む労働者や、筏の向こうに林立する帆柱のある船たちを描いたもので、テンペラ画として色彩豊かに仕上げられている。