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紀州にて谷川俊太郎さんの「さよならは仮のことば」を挽歌に!

先月11月29日朝、姉のように慕っていた紀州は新宮のいとこが、突然亡くなったと知らせがあった!
古希を過ぎたとはいえ、現代日本の女性では早過ぎる、仕事においても現役バリバリの最中での急逝であった!

大急ぎで支度し昼過ぎに東京駅から新幹線で名古屋へ、しかし名古屋からの紀勢本線の特急が一日に4本しかないことを知らなかった!
最終の特急では午後11時を過ぎる、6時間余りはかかるが先発の各停で行けば午後10時半過ぎには新宮に到着するという!

名古屋から快速みえに乗り多気で紀勢本線に乗り換え、途中31駅に各駅停車して新宮へ向かうことにした!
途中の尾鷲ではかなりの人が降り、二両編成の列車に4人のみ、一両に2人づつとなる。
さらには、九鬼から熊野までの6駅ではホントに二両列車に我一人となった!
そんな列車の中で思い浮かんで来たのは、亡くなったいとこの姉さんと子どもの頃に新宮の浜辺で遊んだ思い出と、母の姉であるオバとオジと姉さん三人による、紀州弁での漫才のような日常の中でのやり取りであった!

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我一人となった車内で暗い海の方をじっと見つめていた時、先日亡くなられた谷川俊太郎さんならば、親しき方との別れに際しどんな詩を書かれたかが気になり始めた。

何か挽歌のような詩はないものかと!

そしてスマホで見つけたのが、この「さよならは仮のことば」だった!

「さよならは仮のことば」

夕焼けと別れて
ぼくは夜に出会う
でも茜色の雲はどこへも行かない
闇に隠れているだけだ

星たちに僕は今晩はと言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる

誰もいなくならないと僕は思う
死んだ祖父は僕の肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらを結んでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば

谷川俊太郎詩集『私』(2007年)所収の詩篇であった!

なお、自宅に戻りパソコンで作品集を見直してみると、谷川俊太郎さんにはズバリ「挽歌」もあった!

「挽歌」 谷川俊太郎

それが挽歌だった
草に落ちる夏の激しい日差しが
世界を欠席したあなたを
光で責め沈黙で言祝いでいた

あなたを記憶する私という器は
ときに干上がりときに溢れる
その日々をどこに送ればいいのか
地下にそれとも天上に?

あなたは揺らいでいる
陽炎のように
またオーロラのように
大気を住処として

言葉が立ち尽くすここ
音楽が口ごもるいま
私のうちにあらゆる感情が
いちどきに呼び覚まされ

あなたと頒かち合う
不在の通奏低音
眩いばかりの静寂にひそむ
それだけが挽歌だった

『ミライノコドモ』(岩波書店、2013年)より

紀勢本線 – Wikipedia

谷川俊太郎 – Wikipedia

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