米国の西部開拓は、年配の日本人ならば子ども時代にワクワクして見た西部劇映画でよく知る話である!
ただし、最近では米国におけるポリティカル・コレクトネスの影響から、西部劇映画の製作自体がまれになり若い日本人には馴染みが薄いようだ!
西部開拓とは、米国原住民の側からすると侵略と略奪の歴史だったのである!
現在パレスチナにおいてイスラエルが、国際的な非難を浴びながらも行っている入植とそっくりである!
イスラエルは、現在のパレスチナで米国の西部開拓を真似て入植しているのであろうか?
一方、ドイツ人の東欧諸国への移住の歴史は非常に長く、誠に複雑なものであった!
日本でいうなら中世の鎌倉時代の昔から、既に始まっていたのである!
中世にドイツ人が行った東欧地域への移住である「東方植民」(ドイツ語ではOstsiedlung英語言うならば、the medieval eastward migrations of Germans)とは、主に12世紀から14世紀にかけて行われた植民地化運動であった。
移民という言葉よりも、むしろ入植という言葉が適切だ!
この東方植民地化(Ostsiedlung)と呼ばれる運動を通じ、東欧の地域に移住し始めドイツ人はポーランド、チェコ、ハンガリーなどの地域に定住したのだ。
この話も現在パレスチナにおいて、イスラエルが国際的な非難を浴びながらも行っている入植とホンマにそっくりである!
イスラエルは、現在のパレスチナで中世ドイツ人の東方植民地化を真似て入植しているのであろうか?
中世ドイツ人の東方植民地化(Ostsiedlung)の背景には以下のような要因があったそうだ!
1:人口増加と土地不足!
ドイツの人口が増加し、農地や資源が不足するようになった。これにより、新しい土地を開拓する必要が生じた。
2:経済的な動機!
この東方地域には未開発の資源が豊富に存在し、これを利用することで経済的な利益を得ることができた。
3:宗教的な動機:!
ドイツ人はキリスト教を広めることを目的として、東方地域に進出し、異教徒を改宗させることを試みたのだ。
4:政治的な動機:!
当時ドイツの諸侯や王は、東方地域に勢力を拡大することで自らの権力基盤を強化しようとした。
これらの要因が組み合わさり、中世ドイツ人は東方地域に進出し、植民地化を進めた。この過程で、ドイツ語や文化が広がり、東方地域の歴史に大きな影響を与えたのだ。
次は近世の16世紀から17世紀にかけての東方への移住である!
ドイツ人は益々さらに東方に移住し、ウクライナやロシアの一部にも定住した。
さらに、19世紀から20世紀にかけても多くのドイツ人は東方地域に進出した!
19世紀には、ドイツ人はオーストリア=ハンガリー帝国やロシア帝国の一部にも移住した。多くのドイツ人が農業や商業のために東欧に移住したのであった。
あのナチスドイツのヒトラーも、オーストリア=ハンガリー帝国に移住したドイツ人の子孫であった!
20世紀には、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、ドイツ人の東欧への移住はさらに増加したのだった。
しかし、歴史的なドンデン返しが起きる!
第二次世界大戦後に、ドイツからの移住者の状況は、一変したのだ!
敗戦国からの移住者となったドイツ人の移住者たちは、中世・鎌倉時代から続く入植者の子孫たちも含め、全員が東欧諸国から追放された!
ドイツ系移住者たちは、旧西ドイツや旧東ドイツなどに強制送還させられたのである!
つまり、第二次世界大戦の敗戦後まもないドイツに、およそ1500万人といわれる東欧のドイツ人移住者たちが、強制的にドイツ本国に帰国させられたのである!
勿論、敗戦によりドイツ本国の政府機能はガタガタでまともに機能していない時代に、東欧から1500万人の強制送還が戦勝国諸国の思惑により実施されたのであった!
フロンティア・スピリット(frontier spirit)!
パレスチナの風刺漫画の主人公、少年ハンダラは今も10歳のまま生きている!