ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん、英語: Battle of Midway)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)中の1942年(昭和17年)6月5日(米国標準時では6月4日)から7日にかけて、中部太平洋上の米国領ミッドウェー島付近で行われた海戦である。
同島攻略をめざす日本海軍を米海軍が迎え撃つ形で発生。日本海軍空母機動部隊と米海軍空母機動部隊および同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は投入した空母4隻とその艦載機約290機の全て、および兵士ら3057名を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。一方の米海軍は正規空母1隻と多数の航空機、および兵士ら307名を失った。
と、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のミッドウェー海戦には記されていた。
ところが、ノンフィクション作家の澤地久枝さんが、約7年もの歳月をかけて、ミッドウェー海戦での日米戦死者は、日本人が3056人、米国人は362人、合計3418人であることを突き止められたのである!
その著書である『記録 ミッドウェー海戦』は、手紙やインタビューを通じて彼らと遺族の声を拾い上げ、全名簿と統計を付した圧巻の記録である。前例のないこの功績により、『記録 ミッドウェー海戦』は、第34回菊池寛賞を受賞された。
澤地さんが仰っておられるには、「私が突き止めたかったのは“命の重さ”だった」!
ミッドウェー海戦 3418人の命を悼む 第一部「命の重さ」 – ETV特集 – NHK
このミッドウェー海戦の敗北は、当時の日本帝国海軍にとっては、日本帝国陸軍における「ノモンハン事件」と同じく、多くは語れない、語りたくない敗北であったのだ!
1:ミッドウェー 日米の死者 サンヨンイチハチ(3418) 澤地さん見つく 忘れられし人!
2:月一度 議事堂前で 自問される 澤地さん見て 背筋ぞ伸びん!
3:戦争に 良い戦争なぞ ありもせず それ知る仲間 増やすしか無い!
4:ミッドウェー 戻る母艦を 沈められ 伯父も不時着 海の上なりと!
5:空母より 無くし惜しきは 空の猛者 空には散らず 船にて沈むを!
6:それがため 伯父の任務や 神風を 敵艦隊に 連れて見届くと!
日米戦死者3418人を突き止め、その声を拾い上げた圧巻の記録。澤地久枝著『記録 ミッドウェー海戦』|じんぶん堂 (asahi.com)
ヒロシマ&ナガサキ=The Principal Ground Zero!