2018年には日本でも公開されたイランのドキュメンタリー映画のタイトルが、この『シャルギー(東洋人)』である。
1979年のイラン革命以来、イランは米国とずっと緊張関係にあり、西側諸国から見ると多くの問題を抱えている。しかし、こんな映画を製作する外交的センスを目の当たりにすると、やはり歴史ある大国であることを実感せざるを得ない。
是非とも日本の外交筋には、爪の垢を煎じてガブ飲みして貰いたくなる!
この映画の主人公である井筒俊彦は、30以上もの言語を流暢に操った天才言語学者であり、東洋人で初めてイラン王立研究所教授として現地で講義を行ったイスラーム学者。さらに東洋思想研究者であり、神秘主義哲学者でもあった大先生である!
1993年(平成5年)に79歳で亡くなられたが、イラン及びイスラームの世界を中心に今も尊敬され続けている。
東西の知を操る異才 井筒俊彦:[慶應義塾] (keio.ac.jp)
個人的に井筒俊彦を知ったのは、30年ばかり前に司馬遼太郎との対談を読み何度も驚いてからである。
あの辛口の司馬遼太郎が対談冒頭に、「二十人ぐらいの天才が一人になっているような方」と語り、挨拶して平身低頭しているのがまず最初の驚きであった!
対談の中で今でも記憶に鮮烈に残っている話は、よくテレビに映像が出てくる東京裁判の1シーンで、あの東条英機の頭を後ろからポカリと殴る大川周明とも関わる話である。
勿論戦前の話で、1939年(昭和14年)に当時二十代半ばのヤングであった井筒俊彦が法政大学教授でもあった大川周明から亡命イラン人を東京で匿う手助けを頼まれ、イスラームの大学者と接した折の逸話である。
井筒が驚いたのは、その大先生が「おまえはなかなかよく勉強しているが、読んだ本はどうしているのか?どこか他の地へ行かねばならない時に本はどうするのか?」と尋ねられたのだ。
井筒は「取り合えず必要な本だけは持って参ります。」と答えると、大先生はさらに「火事で燃えたらどうするのか?」とまたお尋ねになったのである。
たまりかねた井筒は、大先生に「それでは先生御自身は読まれた本はどのようになされているのですか?」とお尋ねした!
先生の御答えは極めてシンプルかつ明快であった!
「読んだ本はすべて頭の中に記憶してある!」
「イスラーム学者として至極当然のことである!」
これにはさすがの後の大天才、井筒俊彦も驚愕したそうである。
『シャルギー(東洋人)』は、イスラム学者井筒俊彦の生涯と業績について、井筒の友人や教え子、そしてイランを初め世界各国の著名人とのインタビューをもとに描かれた。制作・脚本・監督はマスウード・ターヘリー。
本作の目的は、井筒俊彦の研究をより客観的な立場から紹介し、制作を通じて文化交流を行うことにあった。
映画の企画は2015年2月に開始された。撮影は2015年9月から2017年5月までかかり、移動距離14万2千キロにも及んだ。挿入曲は今回のドキュメンタリーのためにオリジナル曲が用意され、2016年5月から制作が開始、公開直前まで調整が続いた。
映像資料が効果的なくだりは、イラン時代の井筒俊彦の資料やイラン革命を実体験しながら井筒が現実世界と政治に関心を持ち遍歴を重ねる姿だ。
この姿は日本社会一般ではこれまであまり知られなかった。場面の中にはイスラームの神輿と日本の祭のそれがどこか似ているといった描写まで登場する。このドキュメンタリーはグローバル化が進む日本のイスラームとの対話にとって大きな存在となるだろう。
日本ではイスラーム研究そのものが社会一般においてまだまだ知られていないことから、井筒俊彦の構想した世界とそのテクストの重要性・意義が認識されないところがある。
井筒の業績や学才の恩恵に早い段階からあやかったのはイランをはじめイスラーム圏であり、その重要性を彼の地では早くから指摘されてきた。
イスラームからみた東洋はインドや中国・韓国・日本なども含まれている。優れた西欧の東洋研究者たちとも全くひけをとらないイスラーム研究者が日本から出て来たこと、そしてその人物が西洋・イスラーム・東洋を橋渡しするようなモデルを構築したことの意義はしっかりと評価されるべきだろう。
現代日本はAI時代になっている。井筒哲学を人工知能的にモデル化・形式化する試みもすでにこの国からはじまっている。現代文明を読み解く上で1つの大きなベースとして井筒俊彦を捉え、そこから得たものをマルチメディアな現代の中で描くのがこれからの我々に求められていることだろう。
井筒俊彦や大川周明がシュタイナーに興味を持っていたこと、子ども時代に禅を親から学んだ井筒と大家の鈴木大拙、鈴木の妻で神智学徒だったビアトリスらによる近代日本の精神史の深層といった興味深いテーマも日本から掘り起こしがはじまっている。この映画の発表によってさらに新たな展開が世界的に予想される。
参照:neoneo編集室【Review】ドキュメンタリーが示す新たな井筒俊彦とその可能性 text 吉田悠樹彦
余談ではあるが、井筒俊彦が恩師である西脇順三郎はあくまでも「学問」の師であると強調しているのは興味深い。分厚い英語辞書を丸暗記し、覚えたところは破いて捨てろという師、「私も語学が好きですから、やれといわれればやるけれども」という弟子。西脇順三郎の指導は、経験的かつ「厳格そのもの」だったと井筒俊彦は書いている。
井筒俊彦は英文学研究の道には進まず、西脇順三郎の専門領域を引き継ぐことはなかった。「学者にはなりたい、だがいわゆる『専門家』にだけはなるまい、とひそかに思い決めたのは学生時代」(「道程」)だったいうからここに、学問への態度は当時すでに決せられていたといっていい。言語哲学、ギリシャ神秘思想史、ロシア文学と、一見無秩序な講義の開講を許されたのも、西脇門下ゆえだった。
後年、西脇順三郎は「言語学概論」の講座を井筒俊彦に委譲する。しかし、従来の言語学も井筒俊彦の専門にはならなかった。井筒俊彦がいう「コトバ」とは、言語学のいう言葉ではない。形而上学でいう存在、すなわち万物の実在を規定するもの。西脇順三郎から伝授されたのは、学説ではなく、「コトバ」の系譜、すなわち存在の根源への追究である。「思えばずいぶん出発点から離れ、西脇先生の世界から遠ざかってしまったものだ。だが、コトバに対する関心だけは、始終守り続けてきた。コトバにたいする、やむにやまれぬこの主体的関心の烈しさを通じて、結局、私は今でも西脇先生の門下生の一人なのだ、と思う。他人(はた)が私をどう見るかは知らない。自分では、そうだと思っている」。(「西脇先生と言語学と私」)と井筒俊彦は書いている。
西脇順三郎は、ある詩集の序文で、内なる自己を「幻影の人」と呼んだ。
生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決できない割り切れない人間がいる。 これを自分は、「幻影の人」と呼びまた、永劫の旅人とも考える。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去っていく。この人間は「原始人」以前の人間の奇蹟的に残っている追憶であろう。永劫の世界により近い人間の思い出だろう。(『旅人かへらず』はしがき)
「幻影の人」に思いを馳せるとき、この詩人の実相とともに、井筒俊彦が、西脇順三郎だけを「師」と呼ぶ理由を垣間見ることができるのかもしれない。ヘラクレイトスを論じ、「彼は存在の動的実相を説く哲学者であると同時に、万象転変を歎く憂愁の詩人でもあった」(『神秘哲学』)と、井筒俊彦はいった。詩と哲学が不可分な実在。真実の詩人は永遠の「哲学」を歌う。西脇順三郎はそうした詩人だった。
参照:西脇順三郎 | 特設サイト「井筒俊彦入門」 – 慶應義塾大学
参照: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』シャルギー(東洋人)、井筒俊彦、大川周明