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銀杏黄葉(イチョウモミジ)の中で!

明治神宮外苑のシンボルともいえるイチョウ並木、今イチョウ祭りの真っ最中である。
イチョウの木は、東京都のシンボルの木でもある。
昨日はまさに小春日和であったので、近くの善福寺公園のイチョウの大木をまた尋ねてみた。
毎年眺める一番お気に入りのスポットは、50メートルばかり離れた少し小高い場所のベンチ、そこに座って眺めるイチョウの木全体の眺めが大好きなのである。
休日ならばたくさんの人も訪れるが、平日なので人も少なく一人占めとはいかないまでも、それに近い気分に浸れて大満足であった。
そんな銀杏黄葉(いちょうもみじ)の中には、照り映える黄金色の落ち葉の絨毯がまた何とも言えず見事であった。

亡き母が晩年趣味とした絵手紙の中には、毎年秋になると決まって与謝野晶子のこの歌

「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏(イチョウ)ちるなり夕日の岡に」

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が添えられていたことを思い出す。

そんな心地よい一時を過ごし、家に帰ってふと思ったのが万葉集ではイチョウはどんな風に詠まれていたのか?ということであった。

万葉人はイチョウの木にどんな思いを寄せたのであろうか?

ネットで調べると、万葉集遊楽というブログには万葉集その二百九十一(ちちの木は銀杏)というこんな解説があった。

古代の人たちは「イチョウ」を「ちち(乳)の木」とよび、乳が十分に出ない母親は子供が健やかに育つよう、この木に祈ったのです。

ちちの実の 父の命(みこと)  ははそ葉の 母の命(みこと)
おほろかに 心尽くして 思ふらむ
その子なれやも ますらをや 空しくあるべき
万葉集巻19-4164 大伴家持

<現代語訳>
チチの実、ははそ葉。
それはわが尊敬する父上、母上の名。
その「ちち」「はは」は、私を懸命に育てて下さいました。
そのような私はそんなに不甲斐ない子でしょうか。
いやいや、そんなことがあろうはずはありません。
ますらをたる者 日々空しくこの世をすごしてよいものでしょうか。
いやいや、そんなことが許されるはずもありません。

樹齢1200年と言われるチチイチョウ!

ところが、庭木図鑑 植木ペディアにはこう書かれていた。
日本で見られるイチョウは、中国南東部で生き残っていたものが朝鮮半島を経緯して渡来したものとされる。その時期については、仏教が伝播した飛鳥時代とする説や室町時代とする説があり、特定されていない。

さらに、全日本通訳案内士連盟のホームページではこうあった。
イチョウの木は、日本へは鎌倉時代に伝わったようで、青桐と同じように火に強く、江戸時代には火事に備えて寺や神社によく植えられたために、東京ではイチョウの木が多いのです。

鎌倉の八幡宮のイチョウは、樹齢千年と言われているので、 渡来してすぐ植えられたものと思われます。

中国では建築や彫刻に使われるだけでなく、「頭に良い」と考えられ、その葉が漢方薬として5,000年にわたって利用されてきました。肺の働きを高め、尿のコントロール、体力増強にもよいそうです。また、生命力を支えて いると言われるフラボノイドが豊富に含まれ、老人性痴呆症予防、記憶力維持に効果があるということが明らかになっています。

ドイツやフランスでは、イチョウの葉エキスが30年以上も前に医薬品として認可され、痴呆症の治療に使われて成果をあげているとのことです。
ドイツ人の医者、植物学者、旅行家であるエンゲルベルト・ケンペルが、長崎を訪れ(1690-1692)そこで初めてイチョウの木を見ました。彼は、将軍綱吉に会うため2回箱根を越えた際、箱根の自然を本に書いて 世界に紹介した人でもあります。彼の手書きの草稿は、その後、大英博物館が購入し、今はそこに保存されて います。彼は日本のイチョウの種を持ち帰って、オランダのユトレヒトの植物園に植えました。その木は現在でも 残っているそうですが、ここからヨーロッパ中にイチョウの木が広まっていったのです。ヨーロッパにある イチョウの木が、日本のイチョウの種から生まれたなんて、知らない人も多いのではないでしょうか?
イチョウの木は18世紀の中ごろドイツに移植されました。1815年、ゲーテ66歳の時に書いた有名な詩があります。

 これは 東洋からやってきて 私の庭に植えられた木の葉です
  (中略)
 もともと1枚の葉が裂かれて2枚になったのでしょうか
 それとも2枚の葉が相手を見つけて1枚になったのでしょうか
 私は1枚の葉であり あなたと結ばれていることを
 あなたはお気づきになりませんか

ゲーテは、2枚の葉が割れて1枚につながっているイチョウの葉を男女の愛の象徴とみました。彼は、ハイデルベルグの古城の庭にあった1枚のイチョウの葉をつけて、愛する女性に詩を贈ったのです。
当時は珍しいエキゾチックな木だったのでしょう。

結局、イチョウがいつから日本に存在するのかはハッキリとは解明されていないことが分かった。

しかし、そんなことは銀杏黄葉(イチョウモミジ)の中では、どうでもよいことだけは間違いなしである!

「しぐれつつ留守守(も)る神の銀杏かな」高浜虚子

1597夜 『虚子五句集』 高浜虚子 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

鈍偶斎

還暦は過ぎたるも、心は少年の如くありたいと願っています!